2021年8月6日金曜日

『はだしのゲン』は語る。「日本帝国は侵略した。だからと言って原爆は許されない」と(2017/8/6)

  私は、20世紀初頭から1945年まで、大日本帝国は朝鮮半島や中国大陸や東南アジアのの人々に対して侵略国だったと考えています。帝国が滅亡したことによって日本は多大な犠牲を自ら払い,また他者に強要しながらも再生し,少なくともそれ以前よりは良い国になったと考えています。

 しかし,侵略国だから原爆を落とされても当然だとは思いません。アメリカの世論にこの見解が根強いこと,中国政府が,以前は違っていたのに近年はこの見解に傾斜していることはとても残念です。

 第2次大戦以前から、軍事目標と一般市民とを区別しない無差別攻撃は国際法違反でした。つまり、誰であろうとやってはならないことでした。まず、日本軍による重慶爆撃がこれにあたります。アメリカ政府は、重慶爆撃について正しく批判しながら、自らも広島、長崎において多くの市民を殺傷し、長く続く放射線障害で苦しめました。また、日本全土に対して都市無差別爆撃を行いました。これらの行為は、大日本帝国が侵略国であろうが真珠湾攻撃がだましうちであったろうが,許されることではなく、批判されるべきだと私は考えます。

 日本帝国は侵略した。だからといって原爆は許されない。私には,ここに何の無理もないように思われます。「おまえはだめだが,こっちは正しいから何をやってもいいんだ」史観,「やられたらやり返すのは当然だ」史観でものを見るからおかしくなるのではないでしょうか。

 『はだしのゲン』では,主人公たちは,そんな硬直した考えを持っていませんでした。ゲンは原爆で家族を奪ったアメリカの戦争政策を憎みますが,同時に自由を奪い,国民を戦争に動員した帝国の生活も憎みながら,懸命に生きていきます。このマンガは,戦争という行為の手触りを感じさせるとともに,その行為の背景に社会的ななりたちがあることを,小学生の私に教えてくれました。そしてまた,このマンガの迫力から,ものごとを人の手触りがない理屈だけで語っても人の心に響かないこと,さりとて大事なことを見失わないためには、気分や感覚だけでない洞察が必要であることをも思い知らされたのです(でも,結局こうして理屈を書きつづるばかりなのですが)。

2018/8/6 Facebook投稿。





0 件のコメント:

コメントを投稿