2018年10月31日水曜日

日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について (2018/6/16)

 日銀は,なぜ物価が上がらないかについてよく考えるべきだ。「1998年から2013年まで15年続いたデフレと低成長が、一種のデフレマインドとして企業や家計に残っていることがある。そのため、中長期の予想物価上昇率がなかなか上がってこない」などと心理的惰性のようにいうのは適切ではない。「信ぜよ,さらば救われん」など論外だ。単に経済学の初歩的常識に従えばいい。実際の需要が弱いから,予想物価上昇率も現実の物価上昇率も弱いのだ。需要が弱いというのは,つまり設備投資と個人消費が盛り上がらないということだ。

 労働市場について,「失業率が示すよりスラックが残っているため,賃金が上がらず,物価も上がらないのではないかという議論もある」というのは,まちがってはいないがスラックなどという言葉ではあいまいだ。いま労働市場に参入しているのは女性と高齢者だ。しかし,非正規として雇われている。だから,失業率は完全雇用かと思わせるほど下がっているのに,賃金が低いのだ。

 日銀が,不況の際に金融を緩和することは間違ってはいない。現時点で金融緩和基調を維持するというのも妥当だと思う。問題は,金融緩和だけでは需要を盛り上げることはできないということだ。日銀は,ケインズ的理論をとるのはよいのだが,同時に貨幣数量説的なリフレーション理論を採用しており,金融緩和の威力を過大に評価してしまっているところに問題がある。

 設備投資は,実質利子率と期待利潤率の差によって決定される。しかし,ケインズその人が言ったように,期待利潤率は本質的に不確実なものだ。だから,利子率が下がった分だけかならず投資が伸びるわけではない。期待利潤率の不確実性を無視した経済理論は現実的でない。

 また,個人の貯蓄は利子率の関数でない。消費者は,預金利子率が少し下がると,かえってやっきになって貯蓄するかもしれない。むしろ所得の関数で,余裕ができたから貯蓄すると言ったほうがまだ正確だ。かつて政府も高度成長期の高貯蓄率をそのように説明したではないか。また,期待物価上昇率が上がれば貯蓄が目減りするから消費が増えるというのも,あまりに人間を単純化した仮定だ。これまた,かえってやっきになって貯蓄するかもしれない。

 要するに,日銀のリフレ理論は貨幣の世界だけでもものを考えており,利子率と期待物価上昇率だけで人間の行動を変えようとしている。そこに問題がある。投資と消費を委縮させているのは,もっと広がりを持った,将来に対する具体的な不安である。離れて暮らす親に介護が必要になったらどうするのかという不安,ひとたび病気になれば医療費が払えないのではないかという不安,子どもが大学を出るまで稼ぎ主の健康や勤め先の経営に問題が起こらないかという不安,会社に問題があるが転職したら給料はかえって下がらないかという不安,このような人口減少・高齢社会において市場は拡大しないのではないかという不安,だ。これらは利子率と期待物価上昇率では解消できない。もっと不安の中身に即した政策が必要だ。低所得者に手厚い税制であり,非正規の処遇改革であり,社会保障の充実であり,教育費負担の軽減であり,介護の充実と介護労働者の待遇改善であり,いま労働市場に参入している女性と定年後高齢者の処遇改善だ。消費税増税が景気を再び低迷させないか,それに代わる税制はないのか,安倍政権の「働き方改革」で不安を緩和できるのかも問われねばならないと思う。

 肝心なことは,これらは財政政策と社会政策でなければできないということだ。すでに,日銀の仕事ではない。金融は緩和されている。それはそれでいい。いくつかの弊害や出口戦略の難しさはあるが,緊縮よりはよい。しかし,そこで思考停止してはならない。日銀自らも,政府もマスコミも経済学者も,金融政策に過大な役割を押し付け,利子率と物価と心理に問題を矮小化するのをやめて,財政・社会政策を用いた改革論をたたかわせねばならないときだ。

2018年6月16日にfacebookに投稿したものを転載。

「日銀総裁の会見要旨」『日本経済新聞』2018年6月16日。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO31861490V10C18A6EA4000/

シェア先
「黒田日銀総裁「信ぜよ、さらば救われん」 会見やり取り」『朝日新聞』2018年6月15日。
https://www.asahi.com/articles/ASL6H516GL6HULFA023.html

2018/6/16 Facebook
2018/7/1 Google+


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