2019年5月23日木曜日

ほとんどは途中で倒れてしまうけど:内海愛子・大沼保昭・田中宏・加藤陽子『戦後責任 アジアのまなざしに応えて』によせて(2014/7/14)

内海愛子・大沼保昭・田中宏・加藤陽子『戦後責任 アジアのまなざしに応えて』岩波書店,2014年で最も印象に残った言葉。

「ただ、市民運動ってそういうものなんですね。当事者の思いを実現するため、箱根駅伝みたいに、自分に課せられた--神様が課すんでしょうかね--区間というか期間をとにかく走り続けて次の走者にたすきを渡していく。ほとんどは途中で倒れてしまうけど、ごく稀にゴールインできる人もいる。そういうものなんじゃないんでしょうか」(大沼、178頁)。

 本書は、何が正しいかを学者があれこれ論じただけの対談集ではない。朝鮮人のBC級戦犯や台湾人元日本兵やサハリン残留朝鮮人や従軍慰安婦について、実際の政治的・司法的・行政的・外交的措置を実現するために奔走した記録だ。そのため、物事は一筋縄ではいかず、駆け引きも妥協もあるし、挫折も多い。「実現してナンボ」という言葉が飛び交い、ひたすら正義を叫ぶだけで実効ある措置に結びつかない主張は、むしろ批判されている。

 私は本書の主張内容の是非や、右か左かということとは別に、大沼氏の言葉を紹介したかった。この言葉が示すのは、社会において、権力を持たないものが何かを実現することの途方もなさであり、限りある個人がそこに関わることに伴う宿命だ。たいていの場合、人は途中までしか行けない。にもかかわらず、行こうとする人もいる。立派だから見習おうというのではない。ただ、そういう風に生きようとする人もいるということは、覚えておきたい。

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