光瀬龍氏の最後の単行本『異本西遊記』(角川春樹事務所、1999年)をアマゾンマーケットプレイスで購入。理由は、この作品に阿修羅王が登場するらしいと知ったからだ。
『百億の昼と千億の夜』に登場するあしゅら王は、同書を1970年代に角川文庫で読んだ中学生の私、続いて萩尾望都氏のマンガで読んだ高校生の私に強烈な印象を残した。しかし、その強烈さの正体はいまなおつかめない。表現しようとすると文才のなさを露呈するので書くことができない。
空前のSFブームが到来し、ファンがそれぞれ勝手なことを(ネットがない時代としてはたいへんな労力をかけて)言い合い、「そんなものはSFと認めない」「それは人それぞれだから」という身もふたもない宣告を乱発しては罵倒しあっていた1980年代、光瀬龍氏は過去の作家扱いであり、論じられることがなかった。実は、1985年か86年の大学の春のフェステバルで光瀬氏がおいでになり宮城県民会館で講演されたことがあったが、客はまばらであった。光瀬氏自身もSFのことはおっしゃらず、地方と中央の関係みたいな話をされていて、切れ味は今一つのように思えた。共催団体の一員だった私は、萩尾氏のマンガをコラージュして宣伝ビラをまいたりしていたのだが、まるで効果がなかったことを知った。講演終了後、廊下でお見かけした光瀬氏に何か話しかけたかったのに何も思い浮かばず、黙礼しただけであったことを覚えている。
1999年に光瀬氏が亡くなったときは、それほど話題にならなかった。2009年に写真の本『光瀬龍 SF作家の曳航』が刊行された。SFから遠ざかっていた私はそのことを知らず、3年ほど前にようやく読んだ。私は本書のおかげで、あしゅら王が登場する別の短編小説「ある日の阿修羅王」「説法」「廃墟の旅人」を読むことができた。また、『SFマガジン』2008年5月号に宮野由梨香「阿修羅王は、なぜ少女か」が掲載されていたことを知り、そちらも入手して読むことができた。今回購入した『異本西遊記』のことも、ネットに掲載されていた宮野氏のエッセイで知った。
この本で光瀬氏の生涯についてある程度のことがわかり、また宮野氏の評論や光瀬氏とのやりとりの記録によって、『百億の夜と千億の夜』がどのように少女マンガとして読まれたのかということと、それが光瀬龍の実存とはおそらく異なっていたのであろうことは理解できた。
それでは、私はどう読んだのか。あいかわらず、よくわからない。未読の材料も、今日買った『異本西遊記』と、昨年までSFマガジンに連載されたという光瀬氏の評伝くらいだろう。それを読み終えてももやもやしたままであったらどうしようか。
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