壮絶なる旧校舎
川端望
6回生(1980年入学,1983年卒業)
私たち6回生が学んだ旧校舎は,壮絶なボロであった。木造モルタル2階建て,夏は冷房はおろか扇風機すらなく,冬は石油ストーブで暖を取った。どちらかというと冬がきつかった。窓がアルミサッシでないのと長年の風雪で窓枠がゆがんでいるために,すきま風が吹きこんだからだ。私は入学試験の時,座席がストーブの真ん前で,その暑さと周囲の寒さのギャップで風邪をひいた。教室の大きさがまちまちで,広々としていて寒いか,すし詰めで暑いかのどちらかであった。トイレは何か出そうな雰囲気であったことは言うまでもない。
体育館は二つあったが,少子化以前のことでそれでも足りず,私の入部した卓球部は「講堂」というところで活動していた。低い位置に窓がたくさんあり,太陽光が卓球台に反射してボールが見えなくなる。そこでわざわざベニヤ板で遮光板をつくり,すべての窓を覆い隠して部活を行った。1980年代には卓球はオシャレでもなんでもなく,もっとも暗いスポーツの一つとされていたが,実際物理的に暗かった。
設立6年目なのになぜボロかったのか。それは,旧校舎が宮城県女子専門学校(女専)の流用だったからだ。1934年に建てられて戦争を生き残り,国立仙台電波高等学校,さらに向山高校に流用された。
ボロ校舎であったが,それでも何とかしてそれをみんなで使いこなそうとしていた(せざるを得なかった)。それは楽しくもあった。帰らざる日々である。
0 件のコメント:
コメントを投稿