2019年1月12日土曜日

子どもの人生の破壊としての「グリコ・森永事件」:塩田武士『罪の声』を読んで(2016/12/15)

 塩田武士『罪の声』講談社、2016年。『週刊文春』を買ったらミステリーベスト10国内部門第1位で紹介されていたので買って読んだ。グリコ・森永事件を題材にしたミステリー。主人公が、ある日、「ギンガ萬堂事件」で企業恐喝に用いられた子どもの声が、自分の声であると気がつく。
 面白く一気に読んだ。グリコ・森永事件で明らかになっている事実の裏側は、実はこうではなかったかという想像をかき立てられ、心は一気に昭和に飛び、そして21世紀との往復を始める。そのたびに、パズルのピースは少しずつ組みあがっていく。
 この小説の焦点は、事件に巻き込まれた子どもであり、子どもであった今の大人である。犯人が誰なのかは問題だが、人間としての犯人は、実はさほど重要ではなく、むしろ矮小なものとして描かれている。そこは、たとえば犯人グループと刑事にフォーカスした高村薫『レディ・ジョーカー』と大きく異なる。この違いが、私には印象的であった。
 極論すれば、本書は、「ギンガ萬堂事件」≒「グリコ・森永事件」を、戦後史の闇とか企業史の秘密とか犯人像とかの問題ではなく、子どもの人生を破壊した事件なのだととらえているのである。これは非常に大胆で新鮮な視点だ。しかし、そこからものを言おうとすると、つまりは「子どもたちを守ろう」という、正しいがありふれた命題に帰結しかねない危うさもある。この危うさを伴った新視点を著者は打ち出した。その結果については、私の偏った感性を披露するよりは、それぞれの評価に任せるべきだろう。



塩田武士[2016]『罪の声』講談社。

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