大野健一氏より新刊『産業政策のつくり方』をいただいた。
「ある国の産業戦略がうまくいかないのは、何をすればよいか皆目わからないという場合もあるだろう。だが、より普通なのは、直面する課題も解決の方向も大体把握できているが、具体的な施策を戦略的に打ち出すための手順や組織が不明あるいは未熟なために前に進めないという事態である。すなわち、政策のWHATではなくHOWの問題である」(ii頁)。
「これまでの政策研究や政策提言は、WHATの描写は勧告が多く、HOWへの有益で戦略的な示唆が少なかったのではないか。とりわけ、当該国の政治社会状況を無視して長い政策要求リストを突きつける、あるいはどこの国に行っても同一の政策を説いて回るといったアドバイスのあり方は、有害無益というほかはない」(ii頁)。
「本書の目的は、政策当事者--国家指導者、政策の企画者および実施者、あるいは彼らを補助する専門家や研究者--に対し、開発政策の質を高めるための実践的かつ具体的なアイデアと材料を提供することにある」(vi頁)。
大野氏に出会ったのは2000年のベトナム市場経済化プロジェクト(石川プロジェクトフェーズ3)の時であり、以後、7年くらいは高い頻度でベトナムを訪問して鉄鋼業育成政策を研究した。
大野氏の問題提起に関連することで、当時、私が関連して感じた疑問は、「政策提言は、政策担当者に届いているのだろうか」と言うことであった。有効なプロジェクトであったことを前提にいささか戯画化して述べると、例えば、ベトナム計画省とJICAで国際会議を開く。逐語通訳で時間のかかる発表、長丁場の会議による疲労(隣のホールで音楽会が始まり、ツァラトストゥラが鳴り響いたこともあった)、ベトナム内の研究者や官僚の序列に影響された出席者の選択などゆえ、政策論がストンと腑に落ちるには至らない。そして発表論文に基づく報告書の作成、翻訳、送付。任務は達成されたと双方の官僚は満足し、政策評価を求められても作文は可能だと事務担当者は納得する。報告書は棚にしまわれる。研究者は大学に帰還して終了。内容は忘れられて、また別のプロジェクトが起こされ、一から議論をやりなおす。これでは予算消化と自己満足であり、だめに決まっている。
この傾向に対して大野氏がとった手法は、実際的な議論ができる若い研究者を国民経済大学(NEU)から組織すること、政策を実際に起案したり、決定したりする人のところに報告書をきめ細かく届けること、こちらから政府機関を訪問して対話したり、実務者に呼びかけての小規模ワークショップをすることであった。つまり、届くべきところにメッセージが届くまで、コミュニケーションの機会をつくり続けるのである。私もいっしょに行動して議論をするうちに、政策現場ではなにが問題であり、何がボトルネックなのかが具体的にわかってきた。それは経済学の論理から自動的に生じる、それゆえ経済学者がどこに行っても同じように繰りかえすような論点(産業政策をするべきか、すべきでないかとか)とは異なっていた。実際的で具体的な論点に答えなければならないというのは、しんどいことだが、確かにベトナムの現実とつながっていると感じられる、やりがいのある仕事でもあった。
大野健一『産業政策のつくり方』有斐閣,2013年。
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