カルテル・トラスト・コンツェルンを独占の形態とするのは、独占論の古典的な区分である。私の師匠、金田重喜氏もよくこの3形態を論じていた。
金田氏の場合、現代資本主義の支配的な資本形態は「独占資本」でなく「金融資本」であるとすることにこだわった。銀行資本と産業資本を両方含むコンツェルンを金融資本の具体的な存在形態とし、支配することから利潤を獲得することの重要性を強調したのである。これは古賀英正『支配集中論』と、Victor Perlo, The Empire of High Financeの影響下での見解であった(Perloの政治行動は論争になっているようだが、経済学上のことではないし、いま自ら検証する時間がないのでここでは触れない)。
いま金融資本はわきに置くとして、カルテル・トラスト・コンツェルンがそれ自体独占体であるかどうかについては、今日では疑問視されている。カルテルはそれ自体の意味のうちに競争制限を含むので独占と言える。そして、独占は必ず競争を歪めるともいえる。ただし、生産の組織化や設備投資の増進に結びつく場合もあるので、独占といっても生産力を停滞させるとは限らない。これは現代の産業組織論をひもとくまでもなく、古くからシュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』や白杉庄一郎『独占理論の研究』が指摘していたところである。
M&Aによる企業合同という意味のトラストや親会社・子会社による異業種間結合という意味のコンツェルンは、それ自体が独占なのではない。それ自体は別の原理、例えば規模の経済性や補完性、取引費用の節約、資本市場の内部化といった効率性増進の原理で成立しているかもしれないからである。これらは古くはガルブレイスなどによって指摘されていたが、いまでは経営組織論や企業の経済学の発展によって体系的に明らかにされており、私の授業でも取り上げていることである。このような内部組織や企業間関係の理論が今日では絶対に必要である。マルクス経済学が産業論で弱体化したのは、このあたりの研究が弱く、あまりに多くのものを独占概念で理解しようとしたからだと思う。
とはいえ、トラスト・コンツェルンが独占でないと言い切るとまた逆の行き過ぎである。ある産業や、産業横断的な経済領域において、競争制限的な行動が支配的になり、その原因がトラストやコンツェルンによる経済力集中であるならば、それは独占であろう。独占による競争の歪みは分配の不平等の助長や社会的排除につながりやすく、場合によっては社会的生産力の停滞を招く。独占は現代資本主義のすべてではないが、一つのアクチュアルな問題であり続けている。
もうひとつ考えねばならないのは私的独占と政府による独占の関係である。両者には共通項もあれば異なるところもある。例えば、成立した後の競争制限効果は共通であるが、存立基盤は異なっている。私的独占は、企業や企業集団が産業組織を操作することで参入障壁を築き、戦略的行動を行うが、政府による独占は国家権力によってこれを行うからである。各経済における規制産業の研究や、中国を含む政府による所有・経営関与の強い経済における産業研究には、政府による独占の独自性に関する研究が必要である。近年、中国の大型企業では、国有資産管理監督委員会が集団企業を100%所有し、集団企業が、股ブン企業(株式会社)を過半数ないし少数持ち株支配するという構造がよくみられる。この構造については故今井健一氏の研究が正面からとりあげていたと記憶するが、鉄鋼業でも中屋信彦氏の研究がある。中国企業・産業研究の重要論点であろう。
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