2024年1月10日水曜日

池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』岩波新書,2017年を読んで (2017/2/21)

  先月発売された池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』岩波新書。私には,本書の記述は非常に重い。

 私は,学生時代に『レーニン全集』やジョン・リード『世界を揺るがした十日間』などによってロシア革命史を学んだ。その後,私は産業の実証研究で食っていくようになったが,何をやっていても,考え方の根底においてマルクス経済学や社会主義思想の見直しを絶えず行わざるを得なかった。それに伴って,ロシア革命史の見直しも必要であった。集権的計画経済や,スターリンの恐怖政治や,内戦期にレーニンやトロツキーが行った過酷な弾圧についての頭の整理はできていたつもりだが,二月革命から十月革命までの臨時政府を主な対象とした本書の記述は,私の認識をまた揺るがすものだった。

 個人的なことを離れても,本書はおそらく多くの人にとって重い。

 本書の問題提起は多様で錯綜しているが,私の読んだ限り,その核心はロシア革命の以下のようなジレンマだ。一方でエリートと隔絶し,経済格差にあえぎ戦場に駆り出されて怒りを蓄積させている労働者・農民・兵士に依拠しなければ,専制を倒し革命を遂行することはできなかった。しかし,大衆の憤激をただひたすら推し進めて「街頭の政治」をエスカレートさせるだけでは,専制にかえて確立しようとしていた自由と民主主義と経済運営自体が崩壊しかねなかった。臨時政府はこの矛盾のただなかに立って苦悩し,崩壊していった。それを倒したボリシェヴィキの実験も,種々の側面はあれ,自由と民主主義を急速に,経済運営を紆余曲折の末に挫くものとなった。

 そして,著者は「あとがき」で言う。「ことはロシアだけに限らない。民衆の価値観と社会上層の価値観とのギャップ,それによる社会秩序の動揺と混乱。こうしたことは,西欧とその白人入植地以外の地域が,西欧中心の世界秩序に組み込まれる際に,いたるところで起こったものである。のみならず,今日新たに,中東であれ,東欧であれ,旧ソ連諸国であれ,似たようなことは生じている。」

 その通りだ。そして,ことはそれだけに限らないのではないか。西欧に,アメリカに,日本に「似たようなことは生じている」のではないか。

2017/2/21 Facebookで限定公表

(2018/10/26に投稿しましたが,Bloggerでエラーが出てGoogleに認識されないため,再投稿します)

2021年10月18日月曜日

飯島敏宏監督はバルタン星人を侵略者で終わらせなかった

  以下は,2018年7月25日の午前0時57分にFacebookに投稿したものの転載です。飯島監督逝去の報を受け,哀悼の意を込めて掲載します。

ーー
 52年前の今夜(厳密にはもう昨日)である,1966年7月24日。『ウルトラマン』第2話「侵略者を撃て」が放送された。宇宙忍者バルタン星人の登場である。

 「侵略者を撃て」は第2話だが,製作は第1話で,しかも製作中はまだ第1話のシナリオが固まっていなかった。そのため,脚本を千束北男の名前で書き,監督も務めた飯島敏宏氏は,このドラマがどういうものなのかをつかみかね,ストーリー進行も演出も手探りで行わねばならなかった。つまり,いまの視聴者なら知っている,宇宙人や怪獣が出現して地球を守る防衛隊が攻撃し,ついに力及ばずにピンチに陥ると謎の巨大ヒーローが現れ,敵を倒して大団円といった黄金パターンがまったく存在しない状態で,その脚本と演出を最初に本番として構築したのが飯島監督だったのだ。私はこの黎明期のたいへんさを,飯島監督のご本で初めて認識した。

 面白いことに「侵略者を撃て」には,その後,上記のような黄金パターンになった部分の他に,いろいろな試行錯誤による特異な部分がある。特撮シーンにもあるのだが,ここで注目したいのはストーリーだ。

 科特隊のムラマツキャップは,科学センターを占拠したバルタン星人に対して,「話し合いをしてみようと思います」と言い,防衛会議で呆れられる。そして,アラシ隊員に憑依したバルタンの口からは,彼らの星が「発狂した科学者の核実験」(原文ママ)がもとで死滅してしまったという悲劇が語られる。

 さらに,「われわれは地球に住むことにする」というバルタンに,「よいでしょう」と言うハヤタ(ウルトラマン)。「君たちが地球の風俗習慣になじみ,地球の法律を守るならばそれも不可能ではない」。しかし,交渉は決裂する。「われわれは地球をもらう」と言って巨大化したバルタン星人はウルトラマンのスペシウム光線で倒される。

 この試行錯誤の展開において,飯島監督は核戦争の危機という冷戦下の時代背景を強く意識していた。バルタン星人という名称も,かつてバルカン半島が欧州の火薬庫と呼ばれたことからつけた名前だったのだ。ウルトラマンシリーズは,宇宙人をむやみに悪役と決めつけて即時攻撃するという話ばかりではない。そういうエピソードが多数派になってしまったことも否めない。しかし,原点において意識されていたのはファーストコンタクトの難しさであり,戦争の悲劇であり,それが抜き差しならぬ対立を誘発するということだった。

 飯島監督は,この時はサブタイトルの通りに侵略者を撃ちまくる。防衛会議では核ミサイル「はげたか」をバルタンに打ち込むことが提案される。場所は東京のど真ん中なのに。ムラマツは「はげたかで破壊できなかったら」と問うものの,核兵器を東京で使用した場合の破壊や放射線被害は全く意識していない。あげく,巨大化したバルタンに対して本当に撃つ!繰り返すが,核ミサイルを東京のど真ん中のビル街で!それでもバルタンは死なない。一大事だ。いや,他にもかなり一大事になっているのではないかと思うところだが,何しろ侵略者との戦争だ。

 あげく,巨大バルタンを倒したウルトラマンは,地球への移住を図った20億3000万のバルタン星人が乗っている宇宙船を透視能力で発見し,これを宇宙へ運び去り,爆破処分する。20億3000万は侵略者として皆殺しだ。

 抜き差しならぬ戦いになればこうなるだろう。飯島監督はそう思って演出したのかもしれない。しかし,そこで話は終わらなかった。飯島監督は,その後もバルタン星人を画面に登場させる。ウルトラマン第16話「科特隊宇宙へ」では製作サイドの要望でやむを得ず出したのだそうだが,その後は,自ら,繰り返し繰り返し登場させる。産業活動によって自らの星を亡ぼしてしまった悲劇の宇宙人として。そして,地球を再び襲うときは,「人間も同じことをしているのではないか」と問いかける存在として。

 2006年2月。『ウルトラマンマックス』第33,34話「ようこそ!地球へ」は,飯島氏が脚本,監督を手掛けた,これまでのところ最後のバルタン星人のストーリーだ。ここではバルタン星人内に過激派と穏健派が存在する。過激派ダークバルタンの地球侵略計画を察知した穏健派のタイニーバルタンは地球の危機を救いにやってくる。タイニーバルタンは自らの姿を醜いと言い(あの姿は戦闘服でなく身体なのだ),「ぼくたちバルタン星人が,こんなみじめな進化をしなければならなかったのは,繰り返された核戦争の結果なのです」「ダークバルタンは地球を侵略しようとしているけど,穏健派バルタンは,自分たちの破綻したバルタン星を修復しようと努力しているんだ」と語る。そして,あっさりと美少女に変身し,動揺する田舎の少年とともにダークバルタンの計画を阻止しようと行動する。まあ,このあたりは平成の番組だ。

 経過は省くが,結局美少女,いやタイニーバルタンは,ウルトラマンマックスを倒す勢いだったダークバルタンを,銅鐸の平和の波動で(佐々木守氏や実相寺昭雄監督も好んだ縄文文化論の影響か)説得することに成功する。バルタンたちは母星を再建すべくバルタン星に帰っていく。「自分たちの星に帰り,理想的な天体であったかつての美しいバルタン星を取り戻すために」。防衛隊DASHのヒジカタ隊長は言う。「互いに相手を理解すること,和み,平和。今,地球にとって一番必要なことだ」。

 バルタン星人が登場する個々の作品への評価は様々だろう。街中での核兵器ぶっぱなしもどうかと思うが,美少女が活躍して解決すればよいというものではないかもしれない。しかし,ここで確認したいのは,飯島敏宏監督はバルタン星人を,もともと侵略者として撃たれるだけの存在にしたくはなかったし,どうしてもそれで終わらせたくなかったということだ。地球人と和解し,母星の再建のために努力する。バルタン星人はそこにたどりついたのだ。

飯島敏宏+千束北男『バルタン星人を知っていますか? テレビの青春,駆け出し日記』小学館,2017年。




2021年8月6日金曜日

『はだしのゲン』は語る。「日本帝国は侵略した。だからと言って原爆は許されない」と(2017/8/6)

  私は、20世紀初頭から1945年まで、大日本帝国は朝鮮半島や中国大陸や東南アジアのの人々に対して侵略国だったと考えています。帝国が滅亡したことによって日本は多大な犠牲を自ら払い,また他者に強要しながらも再生し,少なくともそれ以前よりは良い国になったと考えています。

 しかし,侵略国だから原爆を落とされても当然だとは思いません。アメリカの世論にこの見解が根強いこと,中国政府が,以前は違っていたのに近年はこの見解に傾斜していることはとても残念です。

 第2次大戦以前から、軍事目標と一般市民とを区別しない無差別攻撃は国際法違反でした。つまり、誰であろうとやってはならないことでした。まず、日本軍による重慶爆撃がこれにあたります。アメリカ政府は、重慶爆撃について正しく批判しながら、自らも広島、長崎において多くの市民を殺傷し、長く続く放射線障害で苦しめました。また、日本全土に対して都市無差別爆撃を行いました。これらの行為は、大日本帝国が侵略国であろうが真珠湾攻撃がだましうちであったろうが,許されることではなく、批判されるべきだと私は考えます。

 日本帝国は侵略した。だからといって原爆は許されない。私には,ここに何の無理もないように思われます。「おまえはだめだが,こっちは正しいから何をやってもいいんだ」史観,「やられたらやり返すのは当然だ」史観でものを見るからおかしくなるのではないでしょうか。

 『はだしのゲン』では,主人公たちは,そんな硬直した考えを持っていませんでした。ゲンは原爆で家族を奪ったアメリカの戦争政策を憎みますが,同時に自由を奪い,国民を戦争に動員した帝国の生活も憎みながら,懸命に生きていきます。このマンガは,戦争という行為の手触りを感じさせるとともに,その行為の背景に社会的ななりたちがあることを,小学生の私に教えてくれました。そしてまた,このマンガの迫力から,ものごとを人の手触りがない理屈だけで語っても人の心に響かないこと,さりとて大事なことを見失わないためには、気分や感覚だけでない洞察が必要であることをも思い知らされたのです(でも,結局こうして理屈を書きつづるばかりなのですが)。

2018/8/6 Facebook投稿。





2019年7月15日月曜日

きっとくる未来:河合雅司『未来の年表』を読んで(2018/2/12)

 河合雅司『未来の年表』講談社現代新書,2017年は2回読んだ。中央公論新社の「新書大賞」で2位になったとかで話題になっている。

 本書の前半は素晴らしい。このままいくと,何年には少子高齢化はどこまで進むか,その結果何が起こるか,が政府・自治体・シンクタンクのかなりまっとうなシミュレーションをもとに描かれている。私は,自らが何歳の時に日本がどうなっていて,その時,自分がまだ生きていればどのような位置にいるのだろうと想像しながら読んだ。その時,自分にかかわる人々もまたどうなっていて,その人たちにどういう影響が及ぶだろうという連想をかきたてられた。輸血用血液が不足した時にガンになったらどうなるだろうか(2027年,63歳),3戸に1戸が空き家になる時期に私が先に死んだら妻はこの家をうまく売れるだろうか(2033年,69歳),火葬場が不足するころ,私と妻の後に残った方が死んだら,誰が火葬の手配をしてくれるだろう(2039年,75歳),高齢者人口がピークに達した時,政治において世代間対立はどうなっているだろうか(2042年,78歳)。自分の足元からつながっている,輝かしくはない未来を見せてくれるというか,突きつけてくれる。

 もちろん,その未来はあるところまでは変えられる。しかし,ある程度以上には変えられない。たとえば,これからいくら特殊出生率を上げたところで,人口減少自体は逆転できない。著者は,おおむね「まずまちがいなくこうなる」という範囲のことを書いているのだ。一部,単純化のすぎた項目や,著者の価値観からくる偏った心配(人口が減少した地域に外国人が住みついたら大変ダー,など。不便なら外国人も住まないよ)も少し入ってはいるが,少しだけだ。むしろ,リベラルや左派の人には,著者が『産経』の論説委員であることからといって食わず嫌いをしないことを勧める。

 ただ,後半にの対策提案に入ると,肩に力の入った叙述の割には,話は急速にしょぼくなる。「24時間社会」をやめるとか「匠の技」を活かすとか,そういうことでどうにかなるようなものではないという話が多く,とくに年金,医療,介護,地域支援,そして財政をどう持続的なものにするかに話が及んでいないので何ともならない。しかし,これも前半のリアリティと後半のしょぼさのコントラストによって,対策を考えることの難しさを思い知らされるという思わぬ効果がある(狙ってこのように書いたのだとすれば見事な自爆精神である)。

 そういうわけで,議論の入り口として使うには,たいへんよい本だと思う。

河合雅司(2017)『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』講談社。
「イギリスのテレビ局も驚愕した日本の『国難レベルの人口減少』」講談社,2018年2月10日。

2018/2/12 Facebook投稿を転載。

2019年7月7日日曜日

アンドリュー・ロス・ソーキン『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』を読んで(2014/4/6)

 アンドリュー・ロス・ソーキン『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』(原題Too Big to Fail)は、タイトルの通り2008年のリーマンショックのさなかに、経営危機に陥った金融機関や連邦政府、連邦準備銀行の関係者やそれに連なる人々が何を思い、どのように行動し、どのような帰結に至ったのかを追跡したルポルタージュだ。つまり、ポールソン財務長官、バーナンキFRB議長、ガイトナーNY連銀総裁(いずれも当時)や、リーマン・ブラザーズ、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックスの経営者たちが登場人物のドラマである。アメリカ経済と金融の研究から遠ざかって久しい私は(※)、仕事としてでなく、息抜きとして寝る前や休日に読んでいたが、文庫版上下で940ページをまったく退屈せずに読んだ。

 本書では、書類は乱れ飛び、メールは行き交い、電話は鳴り、ブラックベリーでメールが交換され、罵声は飛び交い、スーツやステーキや自家用ジェットや専用車や会議室は登場する。しかし、恐慌によって家を失い、職を失い、生活の糧を失う人々の姿は、(クビになったリーマンなどの経営者を除けば)、本書には直接には全く登場しない。しかし、ここで起こっていることから無数の人々が影響を受けていることは示されているし、まさにそれが現実だ。

 本書でのエリートたちの息詰まるやり取りに世界の命運がかかっているということは確かなら、全体として馬鹿げたしくみに世界が委ねられているということも確かなのだと、私は思う。優れた知性と行動力を示す人々のやり取りは魅力的であるが、もし人類より優れた知性を持つ宇宙人が観察していたら、「いったい、こいつら何をやってるんだ」と言うだろうなとも思う。

 ちょっとだけ具体的な点。アメリカ政府と言えども金融機関の経営や合併に介入する。その仕方が具体的にわかって面白い。会議室に金融機関のCEOを集めて脅すという、19世紀のようなやり方が、いざというときは21世紀でも起こるのだ。さらに細かい点を言うと、ポールソン財務長官が介入するのはわかるとして、ガイトナーNY連銀総裁が、金融機関同士の合併を促すために経営者に電話するというのには驚いた。

※大学院でごいっしょした方以外には信じがたいかもしれないが、私の修士論文は「1970年代以降のアメリカにおける企業合併運動」であった。

アンドリュー・ロス・ソーキン(加賀山卓朗訳)『リーマン・ショック・コンフィデンシャル(上)追い詰められた金融エリートたち』早川書房,2012年。
アンドリュー・ロス・ソーキン(加賀山卓朗訳)『リーマン・ショック・コンフィデンシャル(上)倒れゆくウォール街の巨人』早川書房,2012年。





田中隆之『総合商社の研究』が指摘する産業調査の意義(2014/4/27)

 田中隆之『総合商社の研究』。明日の大学院ゼミに備えて通読した。総合商社の概念,戦前,戦後の歴史と現在,研究史についてコンパクトにまとめられている。おそろしく便利で,おそろしくわかりやすい。こんなにきれいにまとまっていていいものだろうかと,かえって不安になるのだが,それは,単に私の性格がひねくれているからか。専門家の意見を聞きたい。

 商社論としての評価とは別に,著者が「おわりに」で以下のように述べていることには,大いに共感する。

「高度成長期以降,1990年代までの日本では,長期信用銀行3行,そして日本開発銀行(現日本政策投資銀行)など政府系金融機関の調査部,産業調査部が,わが国の産業調査を担っていた。それは,個別の産業・業界を長期的,構造的な観点から調査し,将来展望を行うという性格のもので,現在の証券アナリストが行う,主として短期の業績調査などとは一線を画するものであった。しかし,バブル崩壊後の金融危機を経て,長信銀が業態として姿を消し,政府系金融機関も民営化や統合で縮小するに及び,かつてのスタイルの産業調査は,ほとんど日本から姿を消してしまった。
 今回,はからずも私が書かせていただいた本書は,まさにこのスタイルの産業調査そのものであるといってよい。あらゆる産業・業界において,その来し方行く末を客観的な眼で見つめることは,将来の発展のために不可欠である。もはや産業調査を体系的,継続的に行う担い手は存在しないが,今回のようなアドホックな形においてでも,産業調査が『復活』することを強く望むものである」。

 ただ一点のみコメントしたい。大学の研究者も産業調査を行ってきた。それは今も生きている。大学教員となった著者が発表したこの本のように。

田中隆之『総合商社の研究:その源流,成立,展開』東洋経済新報社,2012年。

2019年7月6日土曜日

古田足日氏の逝去によせて(2014/6/10)

「そうじゃないわ。待ってても未来はこないのよ」
と、ミドリがいった。
「だって、十年したら、十年先のことがやってくるじゃないか?」
「ほおっておけば、来るのはいまのつづきだけよ。」
--『ぬすまれた町』より

 古田足日『宿題ひきうけ株式会社』は,その意表を突く題名とアイディアで有名である。子どもたちが小遣い稼ぎのためにつくったこの会社の経営は,順調に発展したが,やがてその存在が学校に露見して解散させられる。その後,いじめっ子とたたかうやら,地元電機メーカーの電子計算機(と昔は呼ばれていた)導入で兄弟が配置換えされ,同級生はソロバンで手に職をつけて就職するという夢が破れるやら,「月世界旅行ができるようになっても,月までの切符はずいぶん高いんじゃないかしら?」とつぶやくやら何やらで,何が本当に大事かと考えたあげく,主人公たちは「宿題ひきうけ株式会社」を「試験・宿題なくそう組合」として再組織する(えっ!)。

 『モグラ原っぱの仲間たち』は,原っぱに集まる子どもたちの日常を描いた作品だが,最後に原っぱが団地開発のために造成されてなくなってしまう。主人公たちは切り倒されようとする木の上に籠城し,かけつけた市長に遊び場をなくさないでと夜中まで交渉する。その結果,ほんの小さな公園,その中の小さな林,小さな丘が団地の片隅に実現する。子どもたちは「こんなものしかできなかったのか」と悔しがるが,仲間の一人が「でも私たちががんばらなかったら,もっと小さな公園しかできなったかもしれないんですもの」と慰める。

 上記の叙述に好感を持つ人も違和感を持つ人もおわかりのように,古田足日の一部の作品は,高度成長期の労働運動や住民運動を背景としている。したがって,いま,大人が読んだら好き嫌いが分かれるであろうことは予想される。日本中の子どもたちが海賊旗を掲げて,「宿題反対!試験反対!」とデモをすることを夢想するシーンもある。さすがに自分が大学教員になってみると立場上困るし(笑),「ちょっと,ちょっと」と言いたくなるところもなくはない。

 しかし,古田作品は政治的勧善懲悪劇ではないし,そこが人気だったわけでもない。主人公たちは家族や学校や友人を通して社会の現実を知っていくが,だからといって家計の事情や,家族内の葛藤や,自分の容姿や,成績への鬱屈した思いはなくなるわけではなかった。彼/彼女たちのそれぞれは,あくまでも一人の子どもであり,真剣であったが無力であった。主人公たちは必ずしも成功せず,しばしば敗北して,動かしがたい大人たちの現実に唇をかんだ。それでも彼/彼女らは,徒手空拳で,見えない明日に向かって懸命に手探りし続けた。そういうところが私は好きだったし,また人気だったのだと思う。

※今では古田作品を自宅に持っておりませんので,ストーリー,設定は記憶によっています。まちがっていたらすみません。また冒頭の台詞は「ゆかちゃんのbook review」(http://yukareview.jugem.jp/?eid=105)から孫引きさせていただきました。

「古田足日さん死去、86歳 絵本「おしいれのぼうけん」の児童文学作家、評論家」Huffington Post, 2014年6月9日。

2019年5月27日月曜日

バーリ&ミーンズ『現代株式会社と私有財産』誤読の歴史:森杲氏の新訳刊行に寄せて(2014/6/25)

 北海道大学図書刊行会から宣伝ハガキが来るまで気がつかなかったのだが、バーリ&ミーンズ『現代株式会社と私有財産』(The Modern Corporation and Private Property)が森杲先生の新訳によって新たに刊行された。従来の訳は1958年に出版されたものだが、超直訳調でどうも危なっかしく、原著を脇に置きながらでないと使えなかった。本に対する丁寧な読解では、森先生の右に出る者はいないと私は思っているので、新訳には大いに期待が持てる。

 バーリ&ミーンズと言えば、アメリカの巨大株式会社で「所有と経営の分離」と「経営者支配」が生じたことを示した本として知られている。しかし、この理解はまちがってはいないが正確ではない。バーリ&ミーンズが強調したのは「所有と支配の分離」の様々なバージョンであり、「経営者支配」はその極限である。

 もっと問題なのは、バーリ&ミーンズが「経営者支配の下では経営者は様々なステークホルダーに所得を割り当てる中立的テクノクラシーになった」と主張したと理解されていることだ。これはまったくの誤読だ。

 バーリ&ミーンズが主張したことはこうだ。「所有と支配の分離のもとで、支配者(経営者など)は自己利益を追求している。しかし、企業利潤を支配者が得ることは正当化できない。さりとて所有者(支配を失った株主)が得ることも、もはや正当化できない。こうなったら、支配の機能は、利潤を独り占めするのではなく、様々なステークホルダーに所得を割り当てる中立的テクノクラシーに変わる「べき」だ。そうならないと株式会社は存続できない」ということである。

 私が大学院に入って最初に公表した論文は、実はこの点に関するものであった。新訳を注文しながら、苦い思い出がよみがえった。着眼点はよかったと思う。しかし、身の程知らずであった。『資本論』の株式会社論をベースに、マルクス経済学内部の論争に関与する形で書いたためにわかりにくくなり、その上、自己主張を焦るあまり、説明不足の、穴だらけの論文となった。

 書いた後、語学的素養も教養もない自分には、(古典的で数理化されていないマルクス経済学の範囲でも)理論研究は無理だと悟った。まだしばらく、あきらめの悪い、妙な書き方の論文が続くのだが、まるきり理論・学説の論文を書いたのはこのときだけである。

 バーリ&ミーンズがなぜ「変わるべきだ」と規範論を主張したかについては、私の論文でも解釈しているが、わかりにくい。今回の新訳には森杲先生の長い解説がついているようなので、きっとそこに載っているであろう。まだ届かないが、読むのが楽しみだ。

拙稿「バーリ&ミーンズ『近代株式会社と私有財産』批判の方法的視点」はこちらでダウンロードできます。


ロベルト・アンプエロ『ネルーダ事件』(2014/6/28)

ロベルト・アンプエロ『ネルーダ事件』。アジェンデ政権末期のチリ。キューバから来た男カジェタノは,詩人パブロ・ネルーダからある医者を探してほしいとの依頼を受ける。にわか探偵となったカジェタノは,メキシコへ,キューバへ,東ドイツへ,ボリビアへと飛び回ることになる。ネルーダの目的は政治工作でもなければ,自身のがんの治療法でもない。それでは,いったい……というような話。

 ネルーダの壮絶なパートナーとっかえひっかえ人生って,研究者には常識なのでしょうが,私,知りませんでした。

 チリでは「9・11」と言えば2001年のあれではなく,1973年9月11日,選挙で選ばれたサルバドール・アジェンデ政権をピノチェト将軍率いる軍部がクーデターで崩壊させたことを指すのだそうです。

2019年5月23日木曜日

ほとんどは途中で倒れてしまうけど:内海愛子・大沼保昭・田中宏・加藤陽子『戦後責任 アジアのまなざしに応えて』によせて(2014/7/14)

内海愛子・大沼保昭・田中宏・加藤陽子『戦後責任 アジアのまなざしに応えて』岩波書店,2014年で最も印象に残った言葉。

「ただ、市民運動ってそういうものなんですね。当事者の思いを実現するため、箱根駅伝みたいに、自分に課せられた--神様が課すんでしょうかね--区間というか期間をとにかく走り続けて次の走者にたすきを渡していく。ほとんどは途中で倒れてしまうけど、ごく稀にゴールインできる人もいる。そういうものなんじゃないんでしょうか」(大沼、178頁)。

 本書は、何が正しいかを学者があれこれ論じただけの対談集ではない。朝鮮人のBC級戦犯や台湾人元日本兵やサハリン残留朝鮮人や従軍慰安婦について、実際の政治的・司法的・行政的・外交的措置を実現するために奔走した記録だ。そのため、物事は一筋縄ではいかず、駆け引きも妥協もあるし、挫折も多い。「実現してナンボ」という言葉が飛び交い、ひたすら正義を叫ぶだけで実効ある措置に結びつかない主張は、むしろ批判されている。

 私は本書の主張内容の是非や、右か左かということとは別に、大沼氏の言葉を紹介したかった。この言葉が示すのは、社会において、権力を持たないものが何かを実現することの途方もなさであり、限りある個人がそこに関わることに伴う宿命だ。たいていの場合、人は途中までしか行けない。にもかかわらず、行こうとする人もいる。立派だから見習おうというのではない。ただ、そういう風に生きようとする人もいるということは、覚えておきたい。

2019年4月5日金曜日

戦争経験者と接した経験について (2014/8/15)

 アジア・太平洋戦争の直接経験者が生命の定めによりいなくなっていく以上、直接経験者と接した経験の保存はそれ自体大事なことと思います。しかし,その大事さの中身については,よく考える必要があります。

 私のように親類が戦争経験者という位置にあるものは,戦争経験を、他人の経験の伝達ではなく、「経験者と接したという自らの経験」としてアーカイブすることが独自の役割のように思います。これは非常に難しい。前の投稿でも,私は親類の戦争経験をどのような場面で聞かされ,それをどう受け止め,それが今の自分にどうつながったかを書けていません。事実の叙述としてよりも伝聞調で書いて,それを1969年なり,1980年なりの私がどう受け止めたかを書くことが望ましい。でも,整理できていないから書けないのです。

 しかし,そうであってもこの経験の伝達には重要性があること自体は主張したい。「戦争経験者と接した経験」は,書物やネット情報から学ぶ戦争よりは,いくらか「自分のこと」であるから,忘却せずにとっておく価値があると思うからです。

 以下,やたらと理屈っぽくなりますので,しちめんどくさい方は無視してくださって構いません。

 経験に価値があるというのは,経験イコール真実ということではありません。経験にも経験談にも,経験者との接触経験にも偏りや欠落や思い違いがあります(例えば、よく言われますが加害経験よりも被害経験の方が伝わりやすい。私の親類の経験談も被害の方が多い)。しかし、偏りや欠落がある経験もまた経験です。絶対視してもいけないですが,無視するのはもっとまずく,そこから出発して考え直していくべきものです。

 また「戦争経験者と接した経験」は、特定の主張のために役立つから大事なのではありません(役立ってももちろんいいのですが)。戦争防止に役立つから大事で、役立たなければ無価値なのではない。経験から何を汲み取るべきかは、幅のあることで、後世の人間の置かれた状況と問題意識に応じて多様であってよいのです。私は,アジア・太平洋戦争について一定の主張を持っていますが,前の投稿では「覚えておくべきだ」というところでいったん話を区切るべきだと思いました。それは,私の「戦争経験者と接した経験」は,私と主張の異なる人にも意味があると思ったからです。

 では,経験はなぜ大事なのか。偏りや欠落があってもなぜ大事なのか。それは,アジア・太平洋戦争の直接経験者がやがていなくなるという現実の中で,戦争に関する議論が空理空論にならないようにするためではないでしょうか。戦争は理論でも把握できます。文章でも把握できます。写真でも把握できます。しかし,それらで把握できないこともあります。経験者と対面で会話し,声を聞き,傷跡の有様を見,表情をうかがい,息遣いを感じてでなければ把握できない側面もあります。そうした側面を欠落させた空理空論を決してせず,今から将来に向かい,戦争について地に足をつけた捉え方をするために,「戦争経験者と接した経験」は必要なのではないでしょうか。

 社会学や心理学などの用語では,このようなことをもっと適切な用語で把握するのでしょうが,私なりには,以上のように思います。

光瀬龍氏と阿修羅王のこと (2014/9/21)

 光瀬龍氏の最後の単行本『異本西遊記』(角川春樹事務所、1999年)をアマゾンマーケットプレイスで購入。理由は、この作品に阿修羅王が登場するらしいと知ったからだ。
 『百億の昼と千億の夜』に登場するあしゅら王は、同書を1970年代に角川文庫で読んだ中学生の私、続いて萩尾望都氏のマンガで読んだ高校生の私に強烈な印象を残した。しかし、その強烈さの正体はいまなおつかめない。表現しようとすると文才のなさを露呈するので書くことができない。
 空前のSFブームが到来し、ファンがそれぞれ勝手なことを(ネットがない時代としてはたいへんな労力をかけて)言い合い、「そんなものはSFと認めない」「それは人それぞれだから」という身もふたもない宣告を乱発しては罵倒しあっていた1980年代、光瀬龍氏は過去の作家扱いであり、論じられることがなかった。実は、1985年か86年の大学の春のフェステバルで光瀬氏がおいでになり宮城県民会館で講演されたことがあったが、客はまばらであった。光瀬氏自身もSFのことはおっしゃらず、地方と中央の関係みたいな話をされていて、切れ味は今一つのように思えた。共催団体の一員だった私は、萩尾氏のマンガをコラージュして宣伝ビラをまいたりしていたのだが、まるで効果がなかったことを知った。講演終了後、廊下でお見かけした光瀬氏に何か話しかけたかったのに何も思い浮かばず、黙礼しただけであったことを覚えている。
 1999年に光瀬氏が亡くなったときは、それほど話題にならなかった。2009年に写真の本『光瀬龍 SF作家の曳航』が刊行された。SFから遠ざかっていた私はそのことを知らず、3年ほど前にようやく読んだ。私は本書のおかげで、あしゅら王が登場する別の短編小説「ある日の阿修羅王」「説法」「廃墟の旅人」を読むことができた。また、『SFマガジン』2008年5月号に宮野由梨香「阿修羅王は、なぜ少女か」が掲載されていたことを知り、そちらも入手して読むことができた。今回購入した『異本西遊記』のことも、ネットに掲載されていた宮野氏のエッセイで知った。
 この本で光瀬氏の生涯についてある程度のことがわかり、また宮野氏の評論や光瀬氏とのやりとりの記録によって、『百億の夜と千億の夜』がどのように少女マンガとして読まれたのかということと、それが光瀬龍の実存とはおそらく異なっていたのであろうことは理解できた。
 それでは、私はどう読んだのか。あいかわらず、よくわからない。未読の材料も、今日買った『異本西遊記』と、昨年までSFマガジンに連載されたという光瀬氏の評伝くらいだろう。それを読み終えてももやもやしたままであったらどうしようか。



2019年3月30日土曜日

事例研究のスペクトラムについて (2018/5/16)

 ここ数年,自分が行う査読と,自分やゼミの院生が受ける査読を比べてみると,事例研究に対する私の考え方が少数派なのではないかと,つくづく思う。

 画像は昨年度のゼミで院生向けに話した時に使ったもので,事例研究のスペクトラムを表そうとしたものだ。

 私の理解では,事例研究とは,表の一行目のものであってよい。つまり,
1)事例の重要性は理論的に重要なことにかかわるからであってもよいが,社会・経済情勢から見て重要であるということでもよい。
2)事例研究とは,事例に関する事実に基づくものであり,したがって事実の解明がきちんとできているかどうかが何より重要だ。
3)事例研究とは,事例を学問的に解釈することだ。ここで学問的とは,経済学と経営学の論理で100%説明するということではない。経営や産業とは経済的・経営的側面だけでなく,技術的側面や政治的・社会的側面を持っており,また普遍性だけでなく個別性をも持っている。したがって,それらの諸側面の総合としての事例を合理性的に理解するのが研究だ。誤解なきように追加すると,合理的であることも矛盾していることを含めて理解することだ。

 したがって,理論的解釈以前に事実がきちんと明らかにされていることが必要条件だ。逆に,一切を理論の説明材料に落とすかのような分析の仕方,結論の出し方は,好まないし,本来適切でないとさえ考えている。

 だが,私の受け止めでは,単行書や分担執筆に対して,近年の雑誌論文の査読は,事例研究に対して,理論的枠組み,理論的解釈,理論的インプリケーションを求める傾向が強過ぎる。これは,私のスペクトラムの3段目,つまり理論の例証としての事実を求めているからではないかと思う。

 繰り返すが,私はそこに行き過ぎを感じるし,もっと言えば,間違いだとさえ思う。理由は上記のように,産業や経営に関する事実そのものが,純経済学的・純経営学的存在なものではないからだ。経済学と経営学の論理に解消できない諸側面と個別的諸事実があるから事例なのだ。事例から無理くりな一般化を行ったり,事例の諸側面を切り捨てて経済法則の一例としてのみ扱う論文は,序論と結論がいかにきれいに(エレガントとやらに)書かれているように見えても,低く評価されるべきなのだ。

 しかし,このような考えは,国際的にも国内的にも,学会の主流とはなりえないだろう。正直,このことを考えると非常に憂鬱になる。

 ともあれ,私は,断固として,スペクトラムの第一行のような事例研究を高く評価する見地で研究も査読を行うし,それは私なりに認識論的根拠を持ってやっていることなのだと表明しておきたい。やがて,査読を依頼されなくなるかもしれないし,拙稿は雑誌に載らなくなるかもしれないが,それはそれでしかたがないだろう。

 ただし,院生には,私と同じ認識論や学問観を持たせて苦労させるわけにはいかないので,そこが頭痛の種だ。したがって,せめて1行目と3行目の中間を狙うように支援するしかないかと思っている。




2019年3月26日火曜日

宮城県仙台向山高校の旧校舎 (2014年12月7日)

 宮城県仙台向山高校父母教師会発行『向陵だより』第80号に寄稿した文章。

壮絶なる旧校舎

川端望
6回生(1980年入学,1983年卒業)

 私たち6回生が学んだ旧校舎は,壮絶なボロであった。木造モルタル2階建て,夏は冷房はおろか扇風機すらなく,冬は石油ストーブで暖を取った。どちらかというと冬がきつかった。窓がアルミサッシでないのと長年の風雪で窓枠がゆがんでいるために,すきま風が吹きこんだからだ。私は入学試験の時,座席がストーブの真ん前で,その暑さと周囲の寒さのギャップで風邪をひいた。教室の大きさがまちまちで,広々としていて寒いか,すし詰めで暑いかのどちらかであった。トイレは何か出そうな雰囲気であったことは言うまでもない。
 体育館は二つあったが,少子化以前のことでそれでも足りず,私の入部した卓球部は「講堂」というところで活動していた。低い位置に窓がたくさんあり,太陽光が卓球台に反射してボールが見えなくなる。そこでわざわざベニヤ板で遮光板をつくり,すべての窓を覆い隠して部活を行った。1980年代には卓球はオシャレでもなんでもなく,もっとも暗いスポーツの一つとされていたが,実際物理的に暗かった。
 設立6年目なのになぜボロかったのか。それは,旧校舎が宮城県女子専門学校(女専)の流用だったからだ。1934年に建てられて戦争を生き残り,国立仙台電波高等学校,さらに向山高校に流用された。
 ボロ校舎であったが,それでも何とかしてそれをみんなで使いこなそうとしていた(せざるを得なかった)。それは楽しくもあった。帰らざる日々である。



2019年3月24日日曜日

NHKスペシャル「メルトダウン File.5 知られざる大量放出」の衝撃(2014/12/23)

 12月21日に放映されたNHKスペシャル「メルトダウン File.5 知られざる大量放出」を録画で見た。衝撃だった。2011年3月11日の東日本大震災後に福島第一原発事故によって放出された放射性物質のうち,75%は3月15日午後以降に放出されていたというのだ。
 これまで私は,大量放出はメルトダウンと1,3号機の建屋爆発,および2号機の圧力調整プール破損時に生じたし,とくに2号機の破損時の放出がもっとも多かったと,公表情報から思っていた。当時のゼミ生にもそう伝えてきた。しかし,これらは,15日午前までの放出に限れば正しかったが,放出の全体を視野に入れるならば,正確ではなかった。
 今回報道されたことを要約すれば,以下のようになると思われる。 
*3月15日の夜に全体の10%を占める大量放出が起こっていた。その原因は3号機5回目のベントであった。ベントの際に放射性物質は希釈されるはずが,1)圧力調整プールの温度が高いためにプールで希釈されず,2)それまでのベントで配管内に付着していた放射性物質が押し出されたために,かえって大量の放出を招いた。
*電源喪失時期に緊急措置として消防車による1-3号機への注水が行われたが,建物内の多数の箇所でポンプが動かず,水は別方向に漏水し,ほんの一部しか圧力容器内に届いていなかった(これはこの番組の以前の回で知っていた)。そして,少量の水を注水したことは,核燃料を覆うジルコニウム合金管を化学反応で加熱させ,核燃料の損傷を加速していた。そのため,放射性物質の放出を止められず,むしろかえって増加させてしまい,また長引かせることになった。
*4号機の使用済み燃料プールに水があるのか,ないのかの判断により,復旧作業の優先度を決めねばならなかった。水がないならばプールへの注水を優先しなければならないが,水があって,干上がるまで時間があるならば電源回復によって1-3号機への注水量を増大させ,冷やし,かつ放射性物質の放出を止めることを優先しなければならなかった。3月16日,福島第1原発の現場では自衛隊機が撮影した写真により水があると認識し,よって電源回復を優先と判断した。しかし,15日に発足した政府と東電による統合本部に決定権が移っており,統合本部は注水優先と判断した。それは,アメリカ原子力規制委員会などが,プールに水がなく,より大規模な汚染が起こるという最悪のシナリオを想定して対処すべきであるという見解を示したことに影響されたものであった(ただ,この意思決定プロセスは番組内でよく検証されたとは言えない)。結果として4号機プールに水は入ったが,電源回復が遅れた分だけ放射性物質の放出期間は長引いた。
 緊急の判断で最善ないし次善の策と思ってやったことが裏目に出るということが重なっていた。しかも,私の素人判断だが,どれも,その場で問題がわかっていれば回避できたとも言えないように思う。第5回ベントの時に装置の問題点に気が付いていたら,ベントを中止した方がベターと意思決定されただろうか。あるいは,大量放出のリスクを軽減させる補足措置がとれただろうか。また,漏水に気が付いたとしても,対処ができただろうか。3月16日時点の判断として,プール注水を優先したことは間違いと言えるだろうか。専門家の意見は必要だが,わかっていてもできることは限られていたのではないか。
 今回の報道内容が示唆するのは,その場の状況における判断がまちがいだったから,ただしい判断をすべきだったということではないと思う。実際,番組もそう言う方向に編集されていたのではない。むしろ問題は,これほどに困難な判断を必要とする状況をつくり出してしまったことであり,また,その判断の帰結が3年たってようやく明らかになったということであり,さらに,まだ明らかになっていない事実もあるだろうということだ。

2019年2月24日日曜日

伊東光晴『アベノミクス批判 四本の矢を折る』岩波書店,2014年について(2014/8/23)

 私は伊東光晴氏から一度だけ電話を頂いたことがある。ウォルター・アダムス&ジェームス・ブロック『アダム・スミス,モスクワへ行く』の拙訳をお送りした時である。「アメリカの産業組織論の中でもアダムスはまともですよ」という趣旨のことをおっしゃっていた。これは伝統的産業組織論(SCPパラダイム)をとるアダムス教授の反独占と分権化の論理を指してのことである。

 伊東氏は,歴代日本政府の経済政策を論じるときに,目新しい理論を使っているわけではない。逆である。いまでは古臭いとされている理論,たとえばケインズ当人による資本の限界効率の不確実性論,ハロッドの人口成長率を組み込んだ経済成長論,SCPパラダイムの独占批判(ただしガルブレイスの拮抗力の理論も使う),政策論では完全雇用余剰を利用した反循環政策論,クロヨン是正論,より広く混合経済論などを駆使するのである。

 私は伊東氏の主張すべてを支持するわけではない。たとえば,福島第一原発事故に関する全額国家補償論は納得できない。広く社会的行動についても,たとえば,鹿児島国際大学教授懲戒解雇事件での理事としての伊東氏の行動は受け容れられない。

 しかし,私は,伊東氏による「古い」理論を駆使してのアベノミクス批判は,まことに理に適っていると思えるのだ。むろん,私が新しい理論と経済学の数理的な理解に疎い「古い」学者だからそう思うのかもしれない。伊東氏の主張を批判する経済学者が少ないのは,「古い」理論だから相手にしないということなのかもしれない。しかし,古くても,間違っているとは限らない。後になってみると「古い」理論の方が正しかったのかもしれない。そこが,ときどきの支配的な価値観,流行り廃りに流される経済学や経営学のやっかいなところだと,私は思う。

「安倍首相は自らの政策を三本の矢と称した。
 第一の矢--量的・質的緩和は,株価の上昇にも為替の変化にも何の関係もない。株価が大きく上昇したのは外国ファンドの買いのためであり,リーマン・ショック以後落ちた欧米の株価が低金利政策もあって上昇し,元に復し,残る市場である日本に向かったのである。第二章『安倍・黒田氏は何もしていない(続・第一の矢を折る)』がこれである。」
「 第二の矢--国土強靭化政策は,予算化されていない。2014年度予算案の検討でこれを明らかにした。
  第三の矢--経済成長政策は,具体化の姿が見えない。何よりも,その時代ではないのは,第四章『人口減少下の経済』で明らかにした。」(本書108ページ)。

伊東光晴(2014)『アベノミクス批判 四本の矢を折る』岩波書店。

ついで。すみません,たぶんまだ売れ残ってますので。
W. アダムス&J. ブロック(川端望訳)『アダム・スミス,モスクワへ行く』創風社,2000年。

2019年2月20日水曜日

東日本大震災後1か月の仙台での被曝量を求めて(2013/9/10)

 2011年4月。私は「本震後も仙台に住んでいて、おおよそどれくらい被曝したと考えればよいのか」という疑問を持っていた。当然、周囲の同僚や学生も持っていた。しかし、毎日これでもかというくらいに放射線について報道されている割に、この単純な質問に対する答えはどこにもなかった。「使えない」報道だと腹が立った。しかし、素人に計算できるわけもないと思っていた。

 ところが、ある日、放射線医学総合研究所のサイトに、東京に1か月暮らした場合の簡便な被曝量計算方法が掲載されたことに気が付いた(※)。まったく同じ方式と、対応する地元のデータを使えば、それほどまちがわずに仙台についても計算できるのではないかと考えた。そこで何度か放医研に電話して、大きなまちがいがないように気をつけながら試算した結果がこうである。

3/13-4/12の仙台市における、福島第一原発事故による総追加被曝量(放医研に相談しながらの素人計算)

注意:自然放射線に対するプラスアルファの被曝分に限って計算。

1.空間放射線からの外部被曝 0.066ミリシーベルト
・データ出所:理学研究科田村教授が仙台市青葉区で測定。

2.水・食べ物からの内部被曝 0.255ミリシーベルト
・データ出所:水と野菜は宮城県のサンプル調査のうち、放射能が最大のもの。魚は県内データなく、放医研のもの。

3.放射性物質吸引からの内部被曝 0.0363ミリシーベルト
・データ出所:残念ながら地元データがなく、放医研の東京の大気のデータを流用。

*合計(1+2+3)
 0.358ミリシーベルト(四捨五入の関係で上記合計と0.001の差)

 これは、胸のX線集団検診(0.05)より多く、胃のX線精密検査(0.6)より少ない程度、または東京・ニューヨークを 2 往復した場合に宇宙線を余分に浴びる最大値(0.38)より少し少ない程度である。私は「今後、原発事故が徐々にであっても収束に向かうのであれば、仙台に住むことは放
射線防護の観点からはまったく心配ない」と判断してゼミ生にそう伝えた。

 何の根拠もなく「安全だ」「危険だ」とは言いたくなかった。だからこの試算をしてゼミ生に送ったことは今でも正しいと思う。しかし、素人計算が間違っていたらどうするのかと思うと、とても恐ろしかったことも事実である。いまでも恐ろしさがなくなったわけではない。いまさら私の試算値で不安に駆られる人もいないだろうと思うので公表するが、まちがいがあると思う方は、遠慮なくご指摘いただきたい。計算方法を教えろと言う方には無論お教えする。

 後日、原発問題のシンポジウムの後、放射線を仕事で扱っている理系の先生方にうかがうと、「だいたいはそれでよい。しかし、自分たちは、たいへん低い確率で特定の人が深刻な健康被害を受ける可能性があることを知っているので、危険はないと断定できないのだ」と言われた。またそのシンポジウムで原子力工学の先生は、原子炉の状態については明快に説明してくれたが、被曝の話になると「私、放射線については弱いので……」と困った顔になり、新聞報道と同様の解説だけを紹介された。これらは、いずれも科学的には正しく、学問に誠実な態度なのであろう。専門的に厳密に話したい、専門外のことに口を出さないという姿勢である。

 しかし、正確さが保証されなければ何も断言しないということは、いつでもどこでも正しいのだろうか。ある状況で、ある責任を負っている場合には、誤差がかなりあり、専門的にはまちがいを含むかもしれないとしても、その危険性を認め、さらに手元でできる限りの正確さを期したうえであれば「○○の理由で、だいたいこうです」と言わねばならないとき、言わねばならないこともあるのではないだろうか。

 この経験以来、私は原発にかかわる事柄について、いつでもどこでも同じことを言う態度はとれなくなり、また短い一言で「危険だ!」「安全だ!」ということもできなくなり、さりとて「科学的に確かめられていないことを主張したり、専門知識のない分野で主張したりするな」という自然科学者の意見にも、直ちにはうなずけなくなったのである。

※放射線医学総合研究所「放射線被ばくに関する基礎知識第6報」2011年4月14日(現在公開のバージョンは8月24日更新)。

2019年2月19日火曜日

山崎豊子さんのご逝去に際して(2013/10/1)

 作家の山崎豊子さんが亡くなられた。私は小説は『大地の子』と『華麗なる一族』しか読んでおらず,ドラマは『大地の子』の途中からしか見ていない。『大地の子』を偶然テレビで見て,その後,鉄鋼業研究者となったため,宝山製鉄所建設とそれに対する新日鉄の技術協力が舞台の一部となる原作を精読,数年前に『華麗なる一族』もいわば鉄鋼業ものだよなと思って読んだ。

 『大地の子』で感銘を受けたのは,日本と中国の双方の社会の複雑な闇と,それを乗り越えて生きようとする人間の強さを描いたことであった。山崎さんは執筆構想を立てた当時の胡耀邦総書記に「中国のよいところも悪いところも,遠慮なく書いてください」と言われ,その通りにしたという。中国の現代化を目指す懸命な努力も描けば,国民党軍・八路軍双方による長春市包囲による飢餓も描き,文化大革命による弾圧も描いた。中国残留孤児である主人公を,中国人の育ての親たちが命がけで文革の弾圧から守ろうとする姿も描けば,その妹を別の中国人夫妻が労働力として死に至るまで酷使する姿も描いた。

 このドラマが日本で放映されて日中関係が緊張しただろうか。当時の日本で,最近のようにことあれば中国の悪口を言う人間が増えただろうか。それはなかったと記憶する。このドラマから,日本も中国も光と影がある社会であること,だからこそ双方とも人間の強さを信じて生きねばならないこと,愛情が国境を超えるのは難しいが不可能ではないこと,少なくとも二度と戦争を起こしてはならないことを感じ取った人が多かったからではないかと思う。

 自分の国の影の部分は見せないことで評判をとろうとする態度も、隣国の達成はくさし欠陥はあげつらうという態度も浅はかだ。このドラマが作成されたときには、中国政府も日本の視聴者もそのような態度はとらなかった。

※『大地の子』には,戦前から1950年代まで中国に住んで,長春市包囲で死線をさまよった遠藤誉さんから,自らの著作を引き写したのではないかという批判があり(裁判では遠藤さんが敗訴),いささかの警戒感も私は持っている。また,遠藤さんの著作からも私は多くを学んでいる。しかし,『大地の子』から私が受けたインパクトが大きかったことも事実である。

NHKオンデマンド ドラマスペシャル『大地の子』
山崎豊子(1994)『大地の子(一)』文藝春秋,Kindle版。





2019年2月11日月曜日

劉江永先生と東日本大震災のこと (2013/10/15)

 清華大学の劉江永先生は,中国における日本問題専門家の政治学者である。多くの問題で中国政府に近い見地からこれを補強し,日本政府を批判する論陣を張っている。日本政府から見れば論敵の中の論敵といってよい。ふだん数々のことで日本政府に批判的な私であっても,尖閣諸島などについては劉先生の主張に賛成できないところが多い。

 しかし,私はここで,劉先生が東日本大震災に際して,日本と中国の人々にとって重要な発言をしていたことを紹介したい。

 2011年3月11日,大地震発生のニュースはただちに中国にも伝わった。北京で夕方からテレビに出演した劉先生は,以下のように発言した。

「日本にいる中国人が中国に避難できるように政府は支援すべきだ。中国人の安全を守らねばならないし,これから食料や物資も足りなくなるから,中国人を退避させることが日本の被災者のためにもなる。ただ,リビアの場合と異なり(当時,中国はリビア在住の中国人を全員帰国させようとしていた),日本にいる中国人は数が多いし,日本で働いている人や日本人と結婚している人など,生活基盤が日本にあって帰国できない人もいる。だから帰国を強制するのではなく,帰国するかしないかは当人の自由に任せ,帰国したい人を支援するのがよい」

 中国政府が,この意見を直接に聞いたのかどうかは,私は知らないし,劉先生本人もわからないそうだ。しかし,実際に中国政府がとった措置はこの提案のとおりであった。東北大学に通う留学生の間では,3月13日ころから政府が帰国を支援するという噂が流れ始めた。私たち教員は,それが本当かデマか判別することができず,中国大使館に電話をかけても常に話し中で通じないために苦慮していた。15日になって,ついに大使館と総領事館のウェブサイトに公告が中国語で掲載された。私はゼミの留学生の助けを借りてこれを解読し,「帰国したいものは支援するから,○日○時に××に集合せよ」という意味であり,帰国を命じるものではないことを確認した。

 この確認はきわめて重要であった。まず,帰国支援が本物であったことにより情報の混乱が収拾された。また,大学の政策を,留学生を保護することから,帰国する留学生に必要なメッセージを出し,今後の連絡経路を確保することにシフトさせることができた。さらに重要なことは,帰国した大半の留学生だけでなく,種々の事情があって帰国しないことを選んだ留学生の立場も守られたことであった。彼/彼女らが政府の帰国命令に反しているわけではないことが確認できたので,本人は中国政府との関係を心配する必要はなくなり(他方で日本に残ったために,この後,心配する親類を説得したり,放射線の恐怖とたたかうという困難に直面した),大学も,留学生と大使館の間に挟まってしまうという事態を避けることができた。中国政府はともすれば一方的な命令を出しがちであるが,この時の「帰国したい者は支援する。帰国するかどうかは本人の選択」という方針は,絶妙なものだったのである。実際,帰国を選んだ学生たちは,大使館の支援の下で,日本人との摩擦をまったく起こさず,秩序を守って帰って行った。また日本に残った学生たちも,大使館から何らとがめられることはなかった。

 私は,2012年3月末に東北大学で開催された「東日本大震災1周年 日本再興東北フォーラム」の会場で劉先生と出会った。劉先生は,仙台市に寄贈するための「絆は力」という書を持参されていたが,どうすれば市に届くかわからず,スケジュールの都合で会議終了直後に帰国しなければなかったので,事務局を訪ねてこられたのだ。私は,このときに,劉先生の震災当日の提案のことをうかがった。書は,会議終了後,劉先生に代わり,経済学研究科長から仙台市に届けられた。

 劉先生は日本政府と鋭く対立している。それは確かなことだ。私は劉先生の政治・外交に関する主張を肯じ得ない。それも確かなことだ。しかし,劉先生は日本人を憎んでいるのでもないし,日中関係を破滅的対決に追い込もうとしているのでもない。彼自身の立場から日本人を思い,日中関係を発展させようとしているのである。それもまったく確かなことだと,私は信じている。そして私は,あの不安と混乱の中で,日本人と中国人の双方にとって適切な提案をされた劉先生に心から敬意を払う。

2019年2月10日日曜日

手塚治虫先生が亡くなられた日 (2018/2/9)

 1989年2月9日。私は大学から帰って築30年(推定)のボロアパートで「ニュースステーション」を視ていた。突然,画面が白黒になって「空を超えて~」という歌をバックに「鉄腕アトム」のアニメ画面が。ギクリとしたが,案の定,小宮悦子さんが手塚治虫先生が亡くなられたことを告げた。
 
 子どものころ,私にとって「先生」とは手塚治虫先生と藤子不二雄先生だった。家にあったカッパコミクス版『鉄腕アトム』が私にとっての未来であり,虫コミックス版『オバケのQ太郎』が私にとっての今だった。この世界と続いているすぐそばの世界。ロボットやオバケと友達になれる世界にわくわくした。それだけに,『アトム』でロボットと人間のシビアな対立が描かれ,アトムが破壊される「青騎士の巻」は衝撃で,おそろしくてめったに読み返せなかった。とくにカッパコミクス版は青騎士の巻で終わっており,壊れたアトムを抱えてお茶の水博士が科学省に向かうところで終わっていた。私は『アトム』はこの悲劇で幕を閉じたのだと思っていたのだ。その後にアトムが復活するのだと知ったのは,何年か後にサンコミックス版に触れてからだった。

 『アトム』で最も印象的なセリフは,「人工太陽球の巻」に搭乗する英国諜報部員ホームスパンのものだ(ホームズと007が混じっている?)。彼は事件調査大けがをして頭脳以外はすべて機械になっているが,自分は人間だということに誇りを持ち,その反面ロボットをひどく嫌っている。アトムとの交流で考えを変えていくが,事件の最後に負傷して頭を打たれ,頭脳も機械化してロボットになってしまうのだ。彼は回復して新聞記者に語りかける。

「私をロボットと呼ぶなら呼ぶがいいよ。しかし私は…」
「ロボットになれたことを誇りに思うくらいだ」
「それはロボットがどんなにりっぱなものかということを知ったからだ」
「それは手術をうけるずっと前,アトムくんによって教えられた……」
「人間のように欲ばらずいばらず,ただ正しいことのためにつくすロボットたち」
「諸君,私はよろこんでロボットの仲間に……」

カッパコミクス版とはこんな感じのものです。
「光文社カッパコミックス版『鉄腕アトム』全32巻表紙集」『昭和otaku画報』ウェブサイト。
http://www.gahoh.net/enta/atom/index03.html

「手塚治虫について:プロフィール」手塚治虫オフィシャルサイト。
http://tezukaosamu.net/jp/about/