ラベル 社会主義 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 社会主義 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年1月10日水曜日

池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』岩波新書,2017年を読んで (2017/2/21)

  先月発売された池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』岩波新書。私には,本書の記述は非常に重い。

 私は,学生時代に『レーニン全集』やジョン・リード『世界を揺るがした十日間』などによってロシア革命史を学んだ。その後,私は産業の実証研究で食っていくようになったが,何をやっていても,考え方の根底においてマルクス経済学や社会主義思想の見直しを絶えず行わざるを得なかった。それに伴って,ロシア革命史の見直しも必要であった。集権的計画経済や,スターリンの恐怖政治や,内戦期にレーニンやトロツキーが行った過酷な弾圧についての頭の整理はできていたつもりだが,二月革命から十月革命までの臨時政府を主な対象とした本書の記述は,私の認識をまた揺るがすものだった。

 個人的なことを離れても,本書はおそらく多くの人にとって重い。

 本書の問題提起は多様で錯綜しているが,私の読んだ限り,その核心はロシア革命の以下のようなジレンマだ。一方でエリートと隔絶し,経済格差にあえぎ戦場に駆り出されて怒りを蓄積させている労働者・農民・兵士に依拠しなければ,専制を倒し革命を遂行することはできなかった。しかし,大衆の憤激をただひたすら推し進めて「街頭の政治」をエスカレートさせるだけでは,専制にかえて確立しようとしていた自由と民主主義と経済運営自体が崩壊しかねなかった。臨時政府はこの矛盾のただなかに立って苦悩し,崩壊していった。それを倒したボリシェヴィキの実験も,種々の側面はあれ,自由と民主主義を急速に,経済運営を紆余曲折の末に挫くものとなった。

 そして,著者は「あとがき」で言う。「ことはロシアだけに限らない。民衆の価値観と社会上層の価値観とのギャップ,それによる社会秩序の動揺と混乱。こうしたことは,西欧とその白人入植地以外の地域が,西欧中心の世界秩序に組み込まれる際に,いたるところで起こったものである。のみならず,今日新たに,中東であれ,東欧であれ,旧ソ連諸国であれ,似たようなことは生じている。」

 その通りだ。そして,ことはそれだけに限らないのではないか。西欧に,アメリカに,日本に「似たようなことは生じている」のではないか。

2017/2/21 Facebookで限定公表

(2018/10/26に投稿しましたが,Bloggerでエラーが出てGoogleに認識されないため,再投稿します)

2018年12月25日火曜日

松竹伸幸「元外交部長が明かす 矛盾に満ちた共産党の安保政策に共感できる理由」を読んで (2016/1/6)

 共産党の元外交部長で,党中央と方針が合わずに辞任したが,いまもリベラル・左翼の立場で論陣を張っている松竹伸幸氏による論稿「元外交部長が明かす 矛盾に満ちた共産党の安保政策に共感できる理由」。共産党の自衛隊政策の変遷についての要約は正確だと思う(ただ,1970年代のスローガンは「中立・自衛」でなく「非同盟・中立」であったと思うが)。まず,左右問わず,共産党というといつでもどこでも護憲派で,自衛隊違憲論で,自衛隊即刻廃止論だと思っている方には,一読をお勧めする。昔も今も意外とそうではないし,結構,主張が変わっているのだ。
 ただ,私は,松竹氏よりも,共産党の自衛隊観は以前は単純だったと見る。つまり,もっとマルクス主義の古典的国家論に影響されていたので,「民族独立・民主主義の権力の下では,これを守る自衛の軍はありうる,対米従属・独占資本の政権の下では悪いことばかりするから不可」という命題が底に座っていたのだ。そのために日本国憲法の規定を活用していたにすぎない。だから,政権をとったら,自衛隊は大幅縮小だが原則廃止ではなく,国民の総意次第で改憲して防衛力整備もありと言っていたのだ。
 これはある意味硬直的な理論なのだが,皮肉にも逆の効果も持っていた。旧社会党が「非武装・中立」という,いくら何でも無理だろうという理想主義を掲げたため,共産党の方が「右」で現実的な対応をしそうに見えるということが起こったのである。外交政策で,旧社会党よりもむしろ共産党の方が民族主義的で,ソ連や中国や北朝鮮の覇権主義的行為を批判することが多かったという事情もあり,これがまた共産党の方を現実的に見せた。このため,官僚などの一部にも共産党と組む人が現れる(元外務官僚の浅井基文氏など)一方,徹底したヒューマニスト,理想主義的平和主義者ほど共産党は日和見だと「左」から批判する現象が,1980年代まではよく見られていた。
 そして,この20年ほどの共産党の動きは,松竹氏が自らその中で悩まれたように大きな転換だ。「自分たちが権力をとらないと自衛隊の行動は認められない」というマルクス主義の図式の単純適用をやめ,簡単に言えば「自衛隊が国民を守る行動をとるならよい,国民を脅かし,侵略に加担する行動ならだめ」というプラグマティズムに転換したのである。自分たちが政権をとっていない時でも,日本が攻撃されたときに,本当に個別的自衛権と専守防衛に徹して行動するならば,否定はしない,ということである。集団的自衛権は,自衛でなくアメリカの世界戦略の手伝いだから悪いという批判だ。
 それは,一方から見れば,政策的にも理論的にも柔軟で現実に即した対応だ。しかし,矛盾もある。やはり松竹氏が紹介しているように,共産党はマルクス主義国家論の単純図式から離れる過程で,もうひとつ,日本国憲法9条の理想を強調し,自衛隊違憲論で徹底することによって平和運動の理念を掲げるという動きも強めているからだ。そうした憲法論から言うと,プラグマティズムへの転換は問題だ。何しろ,自衛隊は違憲だけど即時解散はできないというだけでなく(ここまでは従来も言っていた),時によっては自衛のため活躍してもよい,というわけで,自分たちの考える憲法論と政策との間に矛盾が出てしまう。そして,原理的にプラグマティズムで自衛隊を取り扱ってよいというならば,憲法は時々の政権や世論動向によって変更してはいけないとか,歴代の国会審議を無視するような解釈改憲はいけないとかいう,自らの主張が危うくなる。松竹氏が指摘する共産党の矛盾を敷衍するとこうなる。
 ただ松竹氏は,共産党が抱えるこうした矛盾を,共産党がいい加減だからと非難するのではなく,矛盾せざるを得ないような現実によるものだ言う。「そもそも、立憲主義を守るということと、国民の命を守るということと、その二つともが大事なのである。その二つをともに守ろうとすると、誰もが矛盾に直面するのである」。そして,安倍政権の言う通りにすれば確かに矛盾はなくなるが,その方が国民の生命が脅かされるので,「スッキリしていればいいということではない」という。また,非武装中立にすればやはり矛盾はなくなるが,氏はこれも国民を守れないと批判する。「矛盾のなかで苦しまないような政党、あまりにスッキリとした政党には、ちゃんとした政策をつくれない。その代表格がかつての社会党だった」という。矛盾している方が,矛盾しないよりましなこともありうるというのだ。プラグマティズムの側から見れば松竹氏の言うとおりだろう。しかし,矛盾はやはり矛盾であり,理論的に批判され,それによって運動が動揺したり,弱まったり,不団結が生じたりすることもあり得るだろう。
 法や政治は専門外ではあるが,私は,これが共産党や,これと協力する平和運動や護憲勢力が考えておかねばならない,ひとつの大きな問題だと思う。松竹氏の論稿は,その所在を教えてくれるものだ。

 松竹伸幸「元外交部長が明かす 矛盾に満ちた共産党の安保政策に共感できる理由」 『iRONNA』2016年1月5日。

2018年11月28日水曜日

中国の必修科目としての「政治経済学=マルクス経済学」に隠された深遠な陰謀 (2013/10/12)

 中国ではマルクス主義は国定思想なので、大学でも関係するいくつかの科目が必修科目になっている。そこにはマルクス経済学の基礎に相当する「政治経済学」も含まれる。

 この授業について、私の知る限り、中国の大学生から「つまらない。忘れました」という以外の感想を聞いたことがない。「ほんっとーに、つまらないです!!」「I hate it!」という表現さえ聞かれる。私自身が学生・院生時代に、当時すでに少数派となっていたマルクス経済学ベースの勉強をしていて、その問題点も多少はわかっているつもりなのだが、そういう学問的な問題ではないようだし、思想を押し付けられるのが嫌いというだけでもないらしい。

 ヒアリングと、北京や上海の書店で「政治経済学」の教科書らしきものもめくってみた限りでの情報をまとめると、以下のような事情らしい。

 政治経済学の授業のスタイルは、マルクス経済学の超要約版の教科書を使い、図式化して、丸暗記を強要するものである。内容のどこが現実の社会とどう関わっているのかといったことは一切やらない丸暗記らしい。つまり、「寿限無寿限無五劫の擦り切れ」を暗記するのとほぼ同じ要領で「社会的存在が社会的意識を規定する」と覚えるのだ。学生は試験のために暗記して試験終了とともに忘却し、ただ「つまらなかった」という感覚だけを心に残す。日本でも科目を問わずこういう授業は存在するが、教科書も教え方もそのもっとも悪いバージョンになっているようだ。

 もう少し詳しく言うと、資本主義経済については『資本論』の超要約版教科書を叩き込むのだが、社会主義計画経済の原理とそれが行き詰まった理由、中国の「改革・開放」を含む市場経済化の経済学的根拠については、ほとんど教えない。中国の経済学の授業なのに「改革・開放とはどういう原理でなされているのか」は語られないという不思議なことになる。よってますます現実と関係なくなり、学生が関心を持つべくもない。

 なぜ、こういうことになるのか。もちろん、国定思想は干からびた暗記物になるものだという一般傾向に過ぎないのかもしれない。だが私は、次のように邪推する。

 いま、マルクス経済学が正しいか、まちがっているかはは脇に置こう。とにかく中国の各大学が、丁寧に、現実の社会とのかかわりを解きほぐしながら国定思想たるマルクス経済学の授業をして、ある割合の学生がそれも一理あるなと思ったとしよう。マルクス経済学が一理あると思うというのは、つまり

「資本主義って、一見対等平等に取引しているようで、必然的に格差を生むしくみになっているんだな」とか、

「技術進歩の果実はほとんど資本家のものになってしまうんだな」とか、

「資本主義発展とともに農村から都市に移動した人口が過剰扱いされて、失業者と都市問題を生むんだな」とか、

「貧困って自己責任じゃなくても社会の問題なんだ」とか、

「信用機構や株式会社ってひとつまちがえると詐欺の温床になるんだな」とかいう風に思うことである。

 さらにすすむと、

「これはみんなわが国で起こっている問題だよね」とか、

「考えてみると中国の社会主義市場経済って、ほぼ資本主義だよね」とか思うだろう。

場合によっては、

「なるほど、労働者が立ち上がって資本主義に反抗するのは歴史の必然なのか」と思いかねない。

 そう、国定思想を丁寧に教えると、現在の体制に対する疑問を惹起してしまうのである。中国政府はこの矛盾に気づいているがために、わざと極端につまらない「政治経済学」を必修化し、学生をマルクス経済学嫌いにしているのではないだろうか。

※念のための注。中国にも学問的なマルクス主義研究は存在する(哲学が強くて経済学が弱い傾向はある)。また改革・開放に関する経済学的研究は時とともに盛んになっている。そういう研究と必修科目の授業がまったく分離していることが特徴なのである。

2018年11月19日月曜日

加藤哲郎『日本の社会主義 原爆反対・原発推進の論理』岩波書店、2013年を読んで (2016/1/17)

 加藤哲郎『日本の社会主義 原爆反対・原発推進の論理』岩波書店、2013年。もともと「日本の社会主義」を論じるはずだったが、福島第一原発事故を受けて社会主義勢力の原子力観を中心に据える本に変更したようだ。
 この本の意義は、かつて、日本共産党も日本社会党も、原爆反対・原子力の平和利用賛成の立場に立っていたことを指摘して、その理由について史的検証が必要だと提起したことだ。若者にはびっくりだろうが、日本共産党が、現在存在する原発もすみやかに廃炉にすべきだと主張し始めたのは東日本大震災以後のことだ。それまでは、原発の増設反対、総点検、老朽化しているものから段階的に廃止という主張であった。また日本社会党のブレーンである有澤広巳氏は原子力発電の推進者であった。
 私は、1950-60年代のことは歴史としてしか知らないが、学生時代、つまり1980年代から1990年代初頭までの日本共産党の政策をよく覚えている。共産党は、核兵器については即時全面禁止を訴えており、当時このテーマでの運動に力を注いでいた。すでにソ連の核兵器についても批判的になっていた。一方、原発、すなわち原子力の平和利用については、「自主・民主・公開」の原則の下で適切に推進するという立場であった。現に存在する原発は技術的には未完成な技術であり、自民党政権や電力会社が上記3原則を守らないから新規立地に反対する、原発事故には厳重対処する、という方針であった。
 当時の共産党の特徴は、核兵器廃絶運動と原発の危険に反対する運動をまったく別個に行おうとしていたことである。共産党の影響が強い原水協では、核兵器廃絶運動のみを行い、反原発運動は行わないようにしていた。共産党が提唱して「非核の政府を求める会」をつくったときも、原発もテーマにせよという意見を退けて核兵器の保有や持込みのみをテーマとする運動に設定していた。
 そして共産党は、「現に存在する原発を直ちに廃炉にすべきだ」という市民運動とは一線を画していた。むしろ、これらの運動を「核と人類は共存できない」と主張するものだと決めつけ、それは「反科学主義」だとレッテルを張った。実際には、種々の運動のすべてが「核と人類は共存できない」といっていたわけではないし、それはそれなりに根拠があって行っていたので、反科学主義だというのも理屈に合っていなかった。現に、2016年現在では共産党も5-10年以内に現存する原発も廃炉という政策をとっているが、これはまさか反科学主義に基づくわけではないだろう。
 一方、社会党については、私にはあまり知識がないが、内部が現在の民主党のようにばらばらであったと思う。ラディカルな反原発の市民運動とも連携するグループもあれば、原発推進のグループもあって、まったく統一が取れていなかった。
 なぜこのようなことが起こったのか、それは社会主義の理論や思想とどのように関係していたのかは、確かに検証を要するテーマだ。
 しかし、執筆構想を途中で変更したせいか、加藤氏の分析は、どうも粗い。加藤氏の研究の命は実証にある。資料や証言から事実を再構成し、社会主義運動の建前の下で、実際には何が起こっていたかを明らかにすることにある。私は、氏のそのようなコミンテルン研究に強い影響を受けた(加藤哲郎『モスクワで粛清された日本人―30年代共産党と国崎定洞・山本懸蔵の悲劇』青木書店、1994年のこと)。ところが、本書では、著者が「原発に反対しないのはおかしい」と頭から決めつけているために、自分の主張を型紙にして「ほおら、原爆には反対していても原発には反対していませんでしたよね。それはダメ。社会主義オワタ」という議論の仕方になっているのではないか。肝心の、「原爆には即時廃絶で臨んだが、原発にはそうでなかった理由。その意味」の解明が弱いのだ。
 「鉄腕アトム」を読み返すまでもなく、原子力の平和利用に対する期待は、1950-60年代には日本社会全般に非常に強力なものだったと思う。共産党や社会党が原発に期待したのは、その日本社会全般を動かしたのと同じ力学によるものなのか、日本の社会主義の思想と運動に固有の問題点によるものなのか、本書ではよくわからない。
 そもそも社会科学的に考えた場合、核兵器と原子力発電は共通の面と異質な面がある。技術経営論で考えるならば、核兵器と原発が共通の原理、共通の問題点を持っていることは確かだし、相互の技術転用も可能だ。しかし、政治学や経済学で考えると、残虐兵器と、安全性に問題のある発電システムは、政治・経済システムにおける位置が異なっている。そのため、核兵器廃絶運動と反原発運動には、同一になる理由もあれば別々になる理由もあると私には思える。ここは、もっと立ち入った検討が必要なはずだ。

加藤哲郎『日本の社会主義 原爆反対・原発推進の論理』岩波書店、2013年。

泊次郎『プレートテクトニクスの拒絶と受容 戦後日本の地球科学史』東京大学出版会,2008年を読んで (2017/2/25)

 本書は以下のことを主張している。日本の地質学界では,プレートテクトニクス説(PT)の受容が欧米より10年以上遅れた。地球物理学界ではすぐに受け入れたのだが,国内でも地質学界ではとくに遅れた。それはなぜかという科学史上の疑問に取り組んだ本。著者によればその理由は,1)日本の地質学が,日本列島の地質発達史の解明に課題を集中して,グローバルな地質現象の解明に関心を示さなかったこと,2)1950-70年代に強い影響力を持った地学団体研究会(地団研)が,PTに批判的態度を取ったこと,3)東京大学の地質学教室の「佐川造山輪廻」説へのこだわりである。

 まったく門外漢の私がなぜこの本を読んだかというと,理由は2)にある。地団研のリーダーであった井尻正二氏の名前は私になじみがあったからだ。幼少の頃は自然史のマンガ『先祖をたずねて億万年』の原作者として,学生の頃は,『新版 科学論 上・下』(大月書店<国民文庫>,1977年)の著者として,大阪市立大学に就職してからは,一部の教員や院生の間で人気のあった哲学者見田石介と親しく弁証法を論じる自然科学者として。もう少ししてからは中村禎里『日本のルィセンコ論争』(みすず書房,1997年再版)に登場する,1950年の日本共産党科学技術部長として。

 井尻氏がリーダーであった地団研は戦後直後に発足し,一時民主主義科学者協会(民科)と合同していたこともった。つまり,研究団体でもあれば運動団体でもあった。泊氏によれば,地団研は戦後直後に研究体制の民主化のために大いに活躍したが,同時に独特の研究方法や学説を生み出した。その一つが日本列島の形成に関する「地向斜造山説」という学説であった。泊氏が指摘するのは,この「地向斜造山説」へのこだわりをもつ地団研の影響力故に,プレートテクトニクス説の受容が日本の地質学界では遅れたということである。これはまったく初めて知ったことであり,地団研の名前を聞いたことはあるが接触したことはない私は,驚きをもって本書を読んだ。

 むろん,私には専門外の学界の学説史について,詳細を評価する力がない。そこは専門家のご教示を賜りたい。ただ,科学史として本書を読むと,気になることがある。それは,地団研の影響力というものが,何によって担保されていたかということだ。学説自体が当初それなりの理論的・実証的説得力を持っていたという側面と,地団研の組織的な影響力によって維持されていたのかということだ。

 本書の特徴は,「地向斜造山説」の中に研究戦略や認識論上のこだわりとなるポイントがいくつかあり,そのこだわりが社会的背景と結びついていたことを示している。つまり,地団研に限らずある時期まで地質学界が日本列島形成史へ関心を集中させていたこと,ある時期までの日本社会全体におけるマルクス主義哲学の影響による「自己運動」,「歴史科学」,「機械論批判」への認識論的こだわりが通用しやすかったことなど,井尻氏や地団研の説が歴史的に存在根拠を持っていたことを示している。これらが研究の進展とともに徐々に覆されていく過程を丁寧に描いたのが本書の貢献のように,素人なりに思える。

 しかし,本書には,泊氏自身が最後に書かれているように未解決な課題もある。地団研の活動が具体的にはどのような組織運営を行い,学界活動や,大学での人事に影響力を行使していたのかを十分解明したとは言えないことだ。そのため,学説上の問題が研究者運動の論理によって処理されていくような事態がどこまで存在したのかが,もうひとつわからない。

 例えば,すぐに思いつくこととして,地団研が左翼的社会観を持っていたために,そのような社会観を持つ研究者を運動団体として結集しやすく,しかしいったん結集すると個人崇拝を含めた強固な組織であるため,会員の学説が一定の見解に固着してしまうようなこと,学問的説得力とは別に社会観擁護のためや組織防衛のために地向斜造山説の普及や擁護に回り,大学人事も賛同者で固めようとすることがどれほどあったのだろうか。学会誌や研究者のブログなどを中心に本書への評価をネットで検索すると,地団研の組織活動と井尻氏への服従はひどいものだったと批判する人もいれば,それほどではなく学問的論争の範囲だったとする人もいる。ここのところが解明されていないために,地質学界に関連する人々にも,本書にやや物足りなさが残るのだと思われる。

 もう一つ気になるのは,同じ井尻正二氏がもっと以前の1940-50年代に関与したルィセンコ論争との違いである。似ているというより,違っている点が気になる。

 ルィセンコ論争は,単純化してよいとすれば科学の政治勢力への従属問題であった。ルィセンコ論争においては,スターリン時代のソ連の権威が背景にあり,分裂状態でありながらともにその権威に従っていた日本共産党の存在があることで,ルィセンコの「獲得形質の遺伝」説の宣伝,遺伝子説への非難,ミチューリン農法の農民運動への持ち込みが正当化されていた。とくに1951年綱領の社会認識は,ミチューリン運動と結びつきやすかった。当時,日本共産党の科学技術部長であった井尻氏には,ルィセンコ論争への一定の責任があると言わねばならない。

 一方,本書を読む限り,1950-70年代の地団研の研究者の「地向斜造山説」へのこだわりは,政治勢力と結びついていたわけではない。確かに地団研は,井尻氏を初めとして左翼的な社会運動も行っていたし,井尻氏当人においては,その学説や研究スタイルは彼なりのマルクス主義解釈から導き出された部分があった。しかし,1950年ごろについてはわからないが,1960-70年代について言うならば,日本共産党が介入して地団研の学説を押し立てるというようなことはなかったように見える。むしろ,本書末尾の脚注において指摘されているように,日本共産党は1970年代に入るとプレートテクトニクス説を拒絶しなくなったという。私が記憶している1980年代以降になると,プレートテクトニクス説の著名な研究者である上田誠也氏は共産党と友好関係にあり,共産党の出版物でもプレートテクトニクス説が紹介されたりしていたと思う。この辺りの事情は分からない。ともあれ,地団研の「地向斜造山説」へのこだわりやその組織的影響力は,共産党の政治介入によるものではなく,地団研の研究者自身のものであった。

 だから大したことではないと言いたいのではない。結局,私が本書からくみ取った示唆はこうだ。普通,科学への政治介入というのは,国家権力であれ共産党であれ別の党派であれ,政治勢力が,政治的利害や政治思想に基づいて学説を捻じ曲げ,科学者や学界を従属させようとすることだと考えられる。それはそのとおりだし,実際にルィセンコ論争はそのようなものだった。しかし,実は,政治勢力が介入していないのに,学者の行動自体が政治化してしまうことがある。その行動は,国家権力や政治党派の虎の威を借りるが,主体は学者自身である。この場合,国家権力や政治党派を責めて,排除しても改まることはない。学者自身の学術活動のあり方が問われるのだ。

 井尻氏本人は,ある時期以後はおそらく共産党の権威を振りかざすことはやめたか,少なくともできなくなったのだろう。しかし,自らの学説を見直すことはなかったのではないか。今回,井尻氏の『科学論 上・下』を本棚から引っ張り出してみた。本書は学生時代の友人との思い出を呼び起こすこともあり,心を全く揺らさずに読み返すことは難しい。それでもめくってみると,今の私に影響を与えている点もある。分類的方法の意義と限界について,本書で初めて学んだのだった。私が企業の類型分析にこだわることの遠い背景は,この本にあるのかもしれない。しかし,さらにめくってみると,やはりネガティブな驚きも感じる。一つは,1977年に出された新版であるのに,ルィセンコの名前こそないものの,同時にワトソンとクリックの名前もなく,井尻氏がなお獲得形質の遺伝説を信奉していることだ。もう一つは,地向斜造山説を弁証法の例証とする旧稿が収録されていることだ。もちろん,プレートテクトニクスは出てこない。これを出版しつづけた大月書店もどうかと思うが,私が持っているのが1985年の6刷りであるから,それなりに売れ続けていたのであろう。そして,私も買って読み,一度は確かに感銘を受けたのだ。しかし,その頃,学界では地団研も拒絶を脱してプレートテクトニクスを受け入れつつあった。時代とのギャップは著者の井尻氏においてだけでなく,読者としての私においてもはなはだしかった。

泊次郎『プレートテクトニクスの拒絶と受容 戦後日本の地球科学史』東京大学出版会,2008年。

マルクス主義の中国化というテーマについて:研究会で発言せずに終わったコメント (2018/3/28)

 先日,日本国内で,中国のある名門大学の哲学院の先生の報告を拝聴する機会があった。それはマルクス主義の中国化に関する研究報告であり,端的に言えば,マルクス主義は国毎の諸条件に応じて民族化する。毛沢東は主観主義と教条主義を排して,マルクス主義を中国化した,『実践論』や『矛盾論』はその成果だとするものだった。そして,その後も中国化は順調に進展し,真理基準をめぐる討論,生産力標準をめぐる討論,「三つの有利」論が生まれ,習近平新時代特色社会主義思想になった,のだそうだ。

 あまりにもあんまりな内容にじっとしていられず,脳内から長らく使っていない「マルクス主義用語・言い回し辞典」を引っ張り出し,以下のようなメモを10分くらいかけて作成した。しかし,この研究会は通訳を交えたもので報告に時間がかかってしまい,討論時間がほとんどなくなったため,ややこしく長引きそうな発言はまずいかと思って,挙手しなかった。

「 私は経済学研究の観点から,先生が報告された,マルクス主義哲学の中国化における1978年を境とした変化について私見を述べたい。
 毛沢東は確かに主観主義と教条主義に反対し,「農村から都市を包囲する」など,中国革命のための独自の理論と戦術を発展させた。それは中国を日本帝国主義とそのほかの外国支配から解放するためには非常に有効だったと思う。
 しかし,毛沢東のマルクス主義は,階級闘争に過度に焦点をあてたものであり,新中国の経済建設においては十分貢献しなかったのではないか。とくに晩年,毛沢東自身が主観主義と教条主義に陥り,中国の現実に即した経済政策ができなかったのではないか。計画経済の停滞と文化大革命期の混乱はその結果であると思う。これは中国共産党が「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」(※1)で総括していることだ。
 だから1970年代後半において,鄧小平は,晩年の毛沢東と,それを取り巻いた人々の誤った考えを改めるために,大きなエネルギーを割かねばならなかった。「実事求是」は唯物論にとって本来当たり前の考えであるが,これを彼が強調しなければならなかったのは,それが守られていなかったからだ。また,「三つの有利」(※2)を強調しなければならなかったのは,当時中国の生産力,外交的立場,そしてもっとも肝心な人民の生活が損なわれ,社会主義建設ができているとは言えない状態にあったからだ。
 鄧小平は,状況を改善するために,あえてマルクス主義の原則からはみ出してさえいる。本来,マルクス主義は,生産力と生産関係の両面に注目するものであり,生産力さえ発展すればよいと考えることはないし,階級闘争を無視することはない。しかし,鄧小平は,多少の理論的逸脱に目をつむってでも,中国の社会・経済を発展させるためにあえて「三つの有利」を述べ,階級闘争を政策の中心から外したのだ。これは,中国の現実に対処するために必要だったプラグマティズムであったと私は理解している。
 ある社会の現実に即してマルクス主義を発展させるためには,教条主義と主観主義を排しなければならない。その通りだと思う。しかし,晩年に毛沢東自身がその誤りに陥り,それを乗り越えるために鄧小平は,創造的な哲学を開発しなければならなかった。この鄧小平の哲学こそが改革・開放の成功に道を開いた。私は1978年を境目とする中国のマルクス主義哲学の移行を,このように,円滑な発展ではなく,矛盾と葛藤に満ちた弁証法的発展だと理解している。」

※1。文化大革命を「指導者が誤って発動し,反革命集団に利用され,党,国家,各民族人民に大きな災難をもたらした内乱」と規定した。以下で原文が読める。
中国共産党新聞。
http://cpc.people.com.cn/GB/64162/71380/71387/71588/4854598.html
※2。鄧小平の唱えた政策判断の基準。生産力の発展に有利かどうか、総合国力の発展に有利かどうか、人民の生活. 水準向上に有利かというもの。渡辺英雄『「和諧社会」の構築に挑む中国・胡錦濤政権 - 「四位一体」の調和論』日本国際問題研究所,2007年3月,6頁で説明されている。
http://www2.jiia.or.jp/pdf/resarch/h18_china/h18china-4_Chapter1.pdf

2018年11月9日金曜日

加藤哲郎『ゾルゲ事件 覆された神話』平凡社新書,2014年を読んで (2016/1/1)

 加藤哲郎『ゾルゲ事件 覆された神話』平凡社新書,2014年。シンプルなタイトルになっているが,概説書ではなく,ゾルゲ事件をある程度知っている人向けの本。

 とくに,1)「伊藤律の供述が元になって東京ゾルゲ団の活動が日本の警察に発覚した」(伊藤律端緒説)という長年の通説を覆すとともに,2)事件の本当の端緒を明らかにすること,3)「上海ゾルゲ団」の活動を含めて,当時の国際的な情報戦の解明を前進させることが主眼となっている。その要点をまとめると,以下の通り。

 1)渡部富哉『偽りの烙印』五月書房,1993年が明らかにしたように,伊藤律端緒説はまったく事実と異なる。これは事件当時においては,実際に存在したゾルゲの工作をもとに,さらに他の事件をでっちあげるための,また自らの諜報工作を隠すための特高警察の筋書きづくりの一部であった。また戦後においては,もともとは作家アグネス・スメドレーと中国共産党の関係を明らかにしてレッド・パージに用いようとする占領軍G2の謀略に端を発していた。ところが,そこでGHQの協力者となった,ゾルゲ事件被告の一人川合貞吉が,当時日本共産党の幹部となっていた伊藤律追い落としにこの動きを利用した。さらに,50年問題のさなかにあった日本共産党内部の党内闘争において,野坂参三らによって伊藤律追い落としの口実として利用された。

 2)伊藤律端緒説が誤りならば,特高警察はどのようにして北林トモ,宮城与徳に目をつけて検挙し,そこから尾崎秀実,ゾルゲの逮捕へと進むことができたのか。それは,1930年代から日本政府が進めてきた,アメリカ共産党日本人部に関する情報収集によって,北林と宮城の名前も名簿によってつかまれていたからだった。
 情報収集が名簿作成に及ぶきっかけになったのは,鬼頭銀一というアメリカ共産党員の日本人が,治安維持法被疑者の逃亡を助けたとのことで1931年に逮捕された時の供述であった。鬼頭の供述には,末端党員の北林や宮城の名前はなかったが,名簿作成が進展するうちに,1933年以後は氏名がつかまれるようになった。

 3)鬼頭は,実は上海で活動していた1930年に,尾崎をゾルゲに紹介した本人であった。そして,釈放後,神戸でゴム販売業を営むようになってから,尾崎と再会していた。それは,尾崎の側の情報ネットワークづくりであったと思われる。鬼頭が,釈放後もコミンテルンに協力する活動をしていたかどうかは不明。鬼頭は後にペリリュー島で店を構えたが,1938年,出入りしていた男に進められたあずきの缶詰を食べた直後に苦悶して死亡。真相は不明。
 鬼頭の存在がゾルゲ事件関係文書で希薄なのは,逮捕されたゾルゲが上海での活動を隠すために,鬼頭との関係について,極力薄めた供述をしたからだった。鬼頭も,逮捕されたのは上海ゾルゲ団と関係ない事件についてであったし,アメリカ共産党日本人党員10数名のことは供述したが,上海ゾルゲ団についてはしゃべらなかった。このため,上海ゾルゲ団の活動や,コミンテルンがアメリカ共産党日本人部を通して行っていた諜報活動の重要な一部分が,これまで謎のままになっていた。

 伊藤律端緒説の崩壊自体は渡部氏の本で証明されているが,本書の貢献は,戦後も進歩的立場を装っていた川合貞吉が,GHQ協力者として伊藤律端緒説の作成と普及に関わっていたことを明らかにしたことだ。また,鬼頭銀一の生涯と活動に関する解明と,ゾルゲ事件発覚の真の端緒の解明も,本書の貢献だ。

 私は,伊藤律本人が中国での軟禁状態を解かれて帰国した時に高校生であったが,彼が何者であるか全く知らなかった。その後,松本清張『日本の黒い霧』と日本共産党の公式見解によって伊藤律端緒説を知り,その時は,たぶんそのとおりなのだろうなと思い込んでいた。しかし,渡部『偽りの烙印』を読んで,それが誤りであることを確証した。その後,この話題からしばらく遠ざかっていたのだが,本書を読んで,研究が順調に進んでいることがわかった。

 本書を読むと,「ソ連から日本を守ること」が正しかったとも,「革命闘争を遂行すること」が正しかったとも到底思えない。この事件から現代的教訓を引き出そうとする際に,日本を守る機密保持体制や対敵諜報活動を強化せよというのはまったくの矮小化だ。情報戦とはからみあう謀略の中に個人が翻弄され,その人生を狂わせるものだ。それは,国家が存在する限り不可避であろうが,なるべくその害を減らさなければならない。それこそが最大の教訓だ。私は,結論部における加藤氏の以下の記述に同意する。

「責任を問われるべきものがあるとすれば,自分たちの活動を世界の変革と戦争阻止のためと信じた人々を歯車として展開された,ソ連やコミンテルンの秘密の諜報活動の全体であり,それに対抗する『防諜』という口実でなされた,日本の特高警察・憲兵隊,米国占領軍G2・キャノン機関,CIAその他の謀略や拷問を含む言論思想弾圧の諜報戦であった。そこから現代の情報戦が学びうるものがあるとすれば,それは知る権利,言論・思想の自由と情報公開の必要性,公文書の作成・保管と歴史資料の収集・保全の重要性であろう」(241頁)。

加藤哲郎[2014]『ゾルゲ事件 覆された神話』平凡社新書。

2018年11月8日木曜日

映画『マルクス・エンゲルス』:帰らざる時 (2018/6/25)

 仙台でも上映が始まったので『マルクス・エンゲルス』を視た。あらゆる国家や思想や運動を批判しながら前進する若きマルクス,工場主の子息でありながら労働者に対する過酷な搾取を黙って見ていられない若きエンゲルスが活躍する。原題も「若きマルクス」だ。とにかくマルクスが傲慢さを伴いつつ,若さで周囲を押しまくる。

 本作ではカール・マルクスもフリードリヒ・エンゲルスも,イェニー・マルクスもメアリー・バーンズも20代半ばから30代前半で,4人ともまっすぐに自らの道を走り続けようとする。ちなみに,史実が良くわかっていないだけにフィクションが導入されたと思われるメアリーは,現代的な,意志の強い自立した労働者の女性として描かれており,4人目の魅力的な主役として位置づけられている。

 ラウル・ペック監督は,彼らを美しく描き過ぎているかもしれない。しかし,マルクスを好意的に描くが,神格化はしていない。ヴァイトリングやプルードンなど論敵たちとの争いでも,マルクスを政治的な正しさのシンボルとして際立たせるのではなく,頭が切れ過ぎて相手を根本的に否定してしまう若者として描いている。そして,本作は,絶妙な時期を選んで映像化されているように見える。私はマルクス伝にもエンゲルス伝にも詳しくないが,この映画で描かれた1942-48年,つまり木材窃盗取締法に関する論評から始まり『共産党宣言』に終わる時期は,ひた向きな若者として彼らを描くには最適だったのだろう。

 裏返して言うと,この前の時期,例えばマルクスがどのようにして家庭の宗教的背景を乗り越えて,何事にも批判的な無神論者にして唯物論者になったのかは,この映画では描かれていない。また,この映画以後,マルクスが政治的にも個人的にもどれほど複雑な問題を抱えながら生きたかも,この映画には描かれていない。例えば,イェニーの使用人で映画にも出てくるヘレナ・レンヒェン・デムートがマルクスの子を生むのは,『共産党宣言』出版からわずか3年後だ。ペック監督はそれらのことを知らないとは考えられないし,政治的な理由から美しいところだけを描くというかつてのマルクス伝のようなことをしたとも思えない。彼はただ,マルクスたちの若さが,思想を生み出していく瞬間を描きたかったのだと思う。

 最終盤。マルクスはやや疲れて砂浜にしゃがみ込み,『共産党宣言』は輪転機から静かに刷り出されてくる。そして現代の様々な映像。物語は大団円を迎えるのではなく,その後も長く続いていくのだ。何ものも恐れずに走る若者の純粋さは,時の流れの中に消えていく。人は年を取り,思想や書物は歴史の中でそれなりの役割を果たす。そこには必ず紆余曲折があり,回り道があり,挫折と再生が繰り返される。富と救いももたらすが,罪と死も刻まれる。だが,それ故にこそ,帰ることのない黎明の瞬間はかけがえのないものとなり,永遠となる。私は,そのように受け止めた。

Facebookに2018年6月25日に投稿したものを転載。

公式サイト
http://www.hark3.com/marx/

2018/6/25 Facebook
2018/6/28 Google+

2018年10月29日月曜日

伊藤亜人『北朝鮮人民の生活』脱北者の手記から読み解く実相』弘文堂,2017年に見る集権的・戦時計画経済の機能不全 (2018/1/6)

 伊藤亜人『北朝鮮人民の生活 脱北者の手記から読み解く実相』弘文堂,2017年。久々にものすごい本を読んだ。

 本書は,タイトルが示す通り脱北者に書いてもらった手記から北朝鮮の生活を再構成し,人類学的に考察しようという本だ。

 何よりすごいのは,北朝鮮経済・社会の存立構造が,理論的演繹や統計分析ではなく,人民の生活の多彩な描写を通して理解できるということだ。日本や韓国を対象にしても容易ではない調査方法なのに,北朝鮮についてこれをやる。確かに統計がない,またはあてにならない,そして現地調査ができないという状況下で合理的な手法だが,途方もない労力のかかる話だ。本書に収録されている手記だけで99篇,収集した生活記録は380篇,ある1名から別個に寄せられたものを含めると450篇近くとのこと。調査屋の端くれとして,見習いたいがなかなか見習えないレベルの研究だ。伊藤教授も若手に呼びかけたが誰ひとり手を上げなかったとおっしゃっている。自分なら上げるだろうかと考えてしまう。

 本書では,そうした手記を活用しての生き生きとしたというか生死がかかった切羽詰まった描写をもとにした考察により,北朝鮮における計画経済のメカニズムとその不全のあり様や、変質と市場化の程度,および北朝鮮に独自と思われる特徴がくっきりと示されている。以下,断片的だが本書から学んだことだ。

 まず,経済学で教科書的に書かれている集権的計画経済の問題が,具体的にはどのような姿で起こるのかがわかる。つまり,集権的計画経済では経済効率を上げる方向への動機付けが働かないので,目標達成のためには指示命令の強化と怠業の悪循環が生じ,全般的不足が生じること,社会構成員の需要を把握しきれないので過不足の不均衡も激しく起こること,不足は価格上昇ではなく品切れ・配給待ちに現れること,いったん不足が予想されると物資の過大請求や隠匿が横行するのでなお不足が加速すること等々。人民の生活過程に関わる部分を中心に,本書はそうしたことの事例に満ちている。

 また,これまでの旧社会主義研究が明らかにしたように,集権的計画経済は戦時統制経済でもある。北朝鮮はとくに極端であり,いわゆる先軍政治という軍事優先のロジックが生活の隅々にまで入り込んでいることも,具体的な姿をもって理解することができる。

 計画経済の機能不全で追い込まれた人々にとって,事態を突破するための努力が何段階かあることもわかる。例えば,農民の場合,集団農場に附属する家族農地の耕作に全力を注いでそちらで食料を確保する。これは,旧ソ連史をかじった人には常識だが,より苦しくなるとそれでは足りない。何らかの商品をつくって売り,かせいだお金で食料を買う,あわよくばさらに事業を拡大することを迫られる。麺をつくったり,飴をつくったり豆腐をつくったり,食堂を開いたりだ。自然発生的にというか各自が生きるための必死の努力によって,地域内,地域間の交換が発達し,さらに場所としての市場(いちば)が形成されていく。

 その際,建前としてこうした行為が禁止されていること,原料も輸送サービスも手に入りにくいことを突破しなければならない。その道具として用いられるのが贈り物とわいろだ。贈り物と賄賂を使うには,その原資を確保しておかねばならないので,そのためにさらにプラスして何かをつくって売る必要がある。一方,機関や企業の幹部は社会主義のタテマエに拘束されているので,自分があまり露骨に商売をすることができない。そのために,贈り物やわいろを受け取り,それとの一種の「交換」で種々の権限(生産許可、原料調達,輸送割当,販売のお目こぼし)を行使する。このロジックも,いやというほど豊富な具体例を持って示されている。

 アジア社会主義でよく出てくる「自力更生」の論理の理解も深まる。個人での不足への対処とは別に,工場や村で不足による生産停止や配給停止による労働者の生活苦が生じると,政府と党は「自力更生」とか「自体解決」を求める。つまり,自分で何とかしろということだ。同時に,自分で何とかすることは政府と党が奨励する正当な行為となる。工場や各級の単位は副業を始め,食物を栽培し,物々交換で物資や食料を手に入れる。漁船が日本海に出漁して来るのも,背後にあるのはこの論理なのだろう。

 ところが,一方で政府と党は,市場での交換も,それによる蓄財も正当化することに踏み切れない。これらは根本的に非合法,あるいは反社会主義的行為のままである。だから,副業の生産それ自体はいいのだが,原料調達と製品販売,さらに市場(いちば)の発達も,伸びては叩かれ,たたかれては伸びてのいたちごっことなる。これは要するに本書で言う非公式の領域,つまりはヤミ経済がないとおもての経済が回らないということで,計画経済では話としてはよく知られていることだが,言い換えると,再生産を可能にするために行われざるを得ない行為の範囲と,正当化される範囲は違っているのだ。どこかに境目がある。副業での生産は英雄的行為と正当化されるが,そのための原料横流しは違法であり,市場での交換はグレーなのだ。別分野では,食べ物やお金を仲間同士でタノモシ,つまり定期的に参加者各人から一定の拠出をさせ,それを入札や抽選など一定のルールにより参加者に給付するのは合法で,広く行われているのが面白かった。しかし,貨幣による金貸しで利子をとったら非合法だろう。本書で個別の借金の事例はあっても,金融業の事例が出てこないのは,そこは厳しく禁圧されているからではないか。
 
 それにしても,北朝鮮における計画経済の機能不全や不足の程度は,とくに手記の執筆者たちを苦しめた1990年代後半の「苦難の行軍」期にはすさまじい。消費財の配給制度をいまどきやっているというのは,私の浅学による記憶で言っても,たぶん1960年代の東欧以前の改革水準である(ベトナムも80年代後半にやめた)。そして,「苦難の行軍」期には生産財の配分も消費財の配給も,食品を含めて行われなくなり,餓死する人がおおぜい出る。それを何とかするのは,盗みである。計画経済のダメさ加減の話には慣れている私でも「盗み」が逸脱現象としてでなく,経済の機能不全を補完するメカニズムに達しており,各級組織では「調節」という名で半ば公式に正当化さえされており,軍隊が強奪を働くことも日常化しているというのには驚いた。

 もう一つ,意外性を持って学んだのは労働者家族のあり方だ。社会主義の建前と関係なく専業主婦の家族が多く,かつ専業主婦が自営業者化するという実態だ。つまり,夫が働く工場は原料不足で止まっているのだが,とにもかくにも出勤しないと配給を受け取ることができない。だから夫は出勤するがぶらぶらする。そして,家に残った主婦が,何とか食料を調達するしかない。したがって,麺や服をつくって売りに行くのは主婦の仕事となるわけだ。本書は,計画経済が不全になるほど,この形の性別分業が促進されるという事例に満ちている。

 本書は,集権的計画経済かつ戦時計画経済の理論と実証を深めるためにも,北朝鮮の人々の実相をできるだけ感覚レベルで理解するためにも,必読の書だと思う。

 本書の到達点の上に立って現状を考えると,「苦難の行軍」の後,現在に至るまでどの程度経済改革をおこなったのかが気になる。消費財を配給するレベルの強い統制は続いているのか,それとも給与を貨幣で払い,消費財は自由市場で購入する形になっているのだろうか。あるいは,企業から見た場合,生産物の一部は市場で販売する二重価格制に入っているのだろうか。生産財の過不足調整に市場は取り入れられているのだろうか。その中での生活はどう変容しているか。興味は尽きないが,これらを解明しようとすると,また伊藤教授のように困難を乗り越える研究が必要になるのだろう。しかし,そうした研究こそ,結局は日本でも世界でも役に立つ。北朝鮮経済が平和裏に開放されようと,その統治体制とともに崩壊しようと,世界、そして日本との関わりは深まっていくのだから。

2018/1/6 Facebook
2018/1/8 Google+



2018年10月27日土曜日

村岡俊三先生の学恩 (2017/04/04)

 3月7日,東北大学名誉教授・村岡俊三先生が亡くなられた。村岡教授は指導教官であった金田重喜教授と並んで,私にとっての恩師であった。村岡教授からは,経済学への向き合い方という学問の方法論,世界経済論,貨幣・信用論を中心に,実に多くのことを学んだ。これらはいずれも,今日に至るまで私の思考の基礎となっており,国の競争優位が,過剰能力が,金融緩和が,ヘリマネがと話題にするたびに,私は村岡教授のことを思い出す。教授が亡くなられたその日も,私は量的金融緩和と金融資産のリバランシングを,村岡教授ならどう評価するだろうかと思っていた。
 とりわけ私の思考にとって強力な助けになったのは,村岡教授が比較生産費と国際分業の理論を整合的な形で教えてくださったことだ。ここで普通の経済学(近代経済学)を学ばれた方ならば,お前は馬鹿か,そんなことは国際経済学のイロハ中のイロハだろうとおっしゃることだろう。でも,学生・院生時代に私が住んでいたマルクス経済学の世界ではそうではなかったのだ。どのようにそうでなかったかというと,話は大まかに二つに分かれる。今となってはマニアの世界でかつ個人の体験談であるが,忘れてしまうにはもったいないので書き記しておく。
 第一に,1970年ごろまでのマルクス経済学の学界では,世界経済論ないし国際経済論(※1)は帝国主義・独占資本主義論として展開されるという通念が強く存在した。これは,学問的に言うと,二つの問題への回答として提出された通説だった。
 ひとつは,もともとマルクス本人が『資本論』さえ未完の状態で亡くなったことから,マルクスが書かなかった部分をマルクス経済学は本来どのように体系化すべきか,という問題であった。マルクス本人はメモ書きのような経済学批判体系プランだけ残していたので,それを手がかりにして論じる作業が続いた。この問題の起源は古く,初期日本共産党の指導者だった福本和夫氏も戦前にこれを論じている。東北大学では,原田三郎氏がこの課題と格闘した。
 もうひとつは,一般理論と段階理論の関係という問題であった。マルクス経済学の古典の中で,『資本論』を含む経済学批判体系が経済原論=資本主義の一般理論にあたり,レーニンの『帝国主議論』やヒルファディングの『金融資本論』が帝国主義・独占資本主義の特殊段階の理論であることは広く認められていた。そこで「資本論と帝国主義論はどういう関係にあるのか」という問題が設定された。その一部として世界経済の理論はどこに組み込むべきかということが議論されたのだ。
 この二つの課題において主流になったのは帝国主義・独占資本主義段階の理論として世界経済論を論じるべきだという考えだった。これは,『資本論』を資本主義から社会主義への移行理論ととらえるオーソドックスな立場でも,『資本論』を永久に同じ運動を繰り返す純粋資本主義論として純化すべきとする宇野理論主流派でも同じであった(※2)。
 わずかに宇野理論の一部と歴史家の河野健二氏らのグループが別々に世界資本主義論を捉えたが,こちらはこちらで『資本論』を経済原論と見ること自体に否定的で,一回限りの歴史を把握する理論としてマルクス経済学を構築する傾向を持っていた(このような一般化の拒否,抽象の拒否は,今でいうとウォーラーステイン氏の世界システム論と似ていると思う)。
 こうした事情のため,マルクス経済学では,近代経済学のように,特殊な歴史段階を前提せずに,国際経済論の一般理論を論じることが困難になっていた。そして,マルクス経済学者は比較生産費説というと理論的には資本主義を美化するものとし,現状分析としては独占を無視する空論として頭から否定することが多かった。
 第二に,そうした中でも,さすがに専門家が集まる国際経済学会では,何とかマルクス経済学の世界経済論を一般理論として構築しようという努力も続けられていた。それは労働価値説の応用としての国際価値論という形をとった。
 しかし,議論の主な流れは,世界市場での労働価値法則を展開してリカードのような比較生産費説に進むのではなく,国際的搾取の仕組みを解明しようという方向に進んだ。搾取に着眼するのはマルクス主義らしい問題意識ではあった。そしてそれは,世界経済では国と国との間で国際的不等価交換が行われているという議論に発展した。この議論は名和統一氏によって初めて体系的に主張され,雁行形態論で有名な近代経済学者の赤松要氏との間で比較的冷静な論争も行われた。後に,日本の議論とは全く独立に,西欧マルクス経済学でエマニュエル氏らによっても不等価交換論が展開され,従属学派の議論の一部になった。
 国際的搾取を論証しようとする際の基本的な議論の仕方の基本線は,国民経済単位で見た労働の交換比率が不等価だというものだった。しかし,国と国と間では通貨が異なるので,そこでの不等価とは,結局各国の平均的労働の交換比率が不等だということであった。つまり先進国の1労働日=途上国の3労働日といった交換比率が不等価だという話が軸になって,国際搾取論が組み立てられていったのである。ここでも,比較生産費説は資本主義を美化する謬論扱いであった。
 このため,ある時期まではマルクス経済学から世界経済論に入ると,第一の帝国主義から出発する世界経済論が主流であり,少数派の第二の議論をとっても不等価交換による国際搾取論になる状態であった。そのため,他の研究分野に比べても近代経済学の世界と話がまったくかみ合わないという現象が生まれた(※3)。
 かみ合わないだけではなかった。1980年代にもなると,世界経済にはマルクス経済学に不利な事態が次々と出現した。それはソ連・東欧の崩壊によって政治的に追い込まれたということだけではない。まず,国際的な競争が価格競争も含めて非常に激しくなったために,独占資本主義論から出発した分析の説明力が低下した。次に,マルクス経済学は戦後のパクスアメリカーナを現代帝国主義ととらえていたが,アジアNIEs(当時はNICsと言った)の出現により,途上国工業化とキャッチアップは可能であることが実証され,帝国主義の一方的支配を主張する議論の切れ味が悪くなった。2010年代のいま,独占資本主義論から出発した世界経済論は見る影もない(※4)。
 村岡教授が東北大学で講義されていたのは,この二つの弱点を克服した,数少ないマルクス経済学的世界経済論だった。
 第一に,村岡教授はマルクス経済学批判体系には『資本論』に書かれている前半部分と「国家・対外商業・世界市場」という書かれざる後半部分が含まれるとして,マルクス経済学も世界経済の一般理論を構築すべきだとし,そのことに終生努力された。帝国主義論・独占資本主義論という発展段階論に行く前に,世界経済の一般理論がなければならないとしたのだ。
 第二に,村岡教授は国際価値論を比較生産費を用いて展開された。マルクス経済学において,市場一般を前提とした理論モデル(モデルという言葉を教授は嫌って使わなかったが)では社会的平均的労働が想定されて,これが労働価値を生み出す。では世界労働ではどうなるか。世界経済のモデルでは資本は移動するが労働力は移動しない。すると,世界労働というのは,実は,国ごとに生産性が異なる労働の分布である。だから,A国の1労働日=B国の2労働日=C国の3労働日などと言う関係に入る。しかし,ここからいきなり「不等価交換で搾取だ」と言ってはいけない。等価・不等価を論じるには貨幣と関係づけねばならない。すると,A国の1労働日=B国の2労働日=C国の3労働日=世界貨幣商品(金)Xグラムとなるのだ。 
 こうすると,労働価値説的な比較生産費モデルがリカードより精緻に構築できる。A国とB国の間では,生産性格差が2倍以上の部門はA国製商品の方が安価で比較優位となり,2倍未満の部門は,たとえA国の方が絶対生産性が高くてもA国製商品は高く,比較劣位になる。村岡教授はこのように,マルクス経済学の世界労働や国際価値とは比較生産費にしたがうものであり,それを無視してはいけないと主張された。
 ちなみに,この労働価値説版比較優位説からは,先進国の比較劣位部門に対外直接投資を行うインセンティブがあるという,貿易と直接投資の統一理論も生まれた。これは近代経済学では小島清氏が唱えられた順貿易志向直接投資論と似た理論である(互いに全く知ることなく,しかもほぼ同時期に開発されたようである)。しかし,村岡理論には小島理論にない特徴がある。先進国で比較劣位部門にある企業も,途上国に行けば比較優位になり,それだけではなく,生産性が現地企業より絶対的に高いために,現地での最優位に立つ個別企業になる可能性が高い。このことは,村岡理論と小島理論の両方に書かれている。ここで,村岡理論はもともと比較優位・劣位を国民的生産性格差によって説明しているので,対外投資を行った企業の進出先での生産性優位が内在的に説明できる。しかし,小島理論では比較優位を要素賦存で説明しているので,生産性の高低を論じるツールがないのである。
 第三に,村岡教授は不等価交換論を否定した。A国の1労働日=B国の2労働日=C国の3労働日=世界貨幣商品Xgというのは,不等労働量交換ではあるが,これを不等価と言ってはいけない。等価か不等価かというのは価格表現上の問題であって(だから等「価」という),貨幣で表現されたものとしては,この交換は等価交換なのである。不等労働量の交換が等価とみなされるのが世界経済なのだ。
 このように,村岡教授の世界経済論は経済原論であり,そこでは等価交換が行われて比較生産費原理が働き,比較生産費原理が対外直接投資をも規定しているのである。この一般理論の世界が基礎に座った上で,その上に,帝国主義や戦後世界の段階の独自の法則が作用する。植民地支配や国際独占体の支配力が弱くなれば,等価交換や比較生産費原理や比較劣位部門の対外直接投資の世界があらわれる。途上国がそれに基づいて工業化を実現しても,日本からアジアへの対外直接投資が盛んになっても,何もおかしなことはなく,慌てる必要はない。そのことを説明可能なモデルになっているからである。そして,このモデルならば,価値論は違っても,近代経済学と対話・討論することも可能になる。
 第四に,村岡教授は不等価交換とは異なる形で国際経済格差を論じた。ここまでの話に,「マルクス経済学なのだから国際経済格差を理解する枠組みでなければいけないのではないか」,という疑問を持つ人もいるかもしれない。実は,学生時代の私もそう思った。この疑問に対して,村岡教授は,国際的格差は不等価交換から生じるのではなく,比較生産費に従った国際分業が各国の産業構造に反映される結果生じるとした。つまり,生産性が高い成長産業が先進国の比較優位産業になってしまうことによって,先進国・途上国の所得格差,成長速度の差,富の蓄積の格差が生じることが,一般理論レベルでの国単位の経済格差の原理なのである。このモデルに,種々具体的な前提を加えていけば,新製品が最先進国で開発されるとするヴァーノンのプロダクト・サイクル論や,生産性の高い産業を常に確保できるように経済システムを構築するよう先進国がつとめているとするポーターの「国の競争優位」論を理解することが可能だろう。また,工業化自体は実現したが,「中所得国の罠」などキャッチアップに種々の問題を抱える新興国の問題を射程に入れられるだろう。
 村岡教授の世界経済論を学んだおかげで,マルクス青年から出発した私も,何とか世界経済をめぐる種々の議論についていくことができた。それを痛感したのは,2000年に石川滋教授率いるJICAのベトナム市場経済化支援プロジェクトに参加した時であった。初めは学界の雄が並ぶ場に怖気づいて逃げ出したくなったのだが,よく先生方の話を聞いているうちに,細かいモデルはダメだが,大まかなストーリーや因果関係は何とか理解可能であることに気が付いた。それは,村岡教授にならったフレームワークを拡張すれば射程に入るものだったからだ。私が,ベトナムにおける,貿易・投資の自由化の下での工業化論を論じるようになったのは,村岡理論の支えがあればこそである。
 むろん,村岡理論も完ぺきではない。金がいつでも貨幣商品なのかとか,非貿易財も国民的労働の交換比率に入るのかとか,2財モデルの限界とか,価値次元と市場価値次元と価格次元の比較生産費の違いとか,論点は色々ある。早い時期のゼミ生であった佐藤秀夫教授や佐々木隆生教授は,村岡理論の問題点を乗り越えて世界経済論を発展させようとしている。それは自然な学問の発展だ。しかし,私にとっては,比較生産費説と国際分業,生産性の変動を軸とした競争,国際分業に規定された産業構造,それによる格差を私の思考の根幹に据えてくださったこと,それによって工業化と産業の国際競争を論じる力を与えてくださったことにおいて,村岡先生の学恩は何にも代えがたく貴重なのである。
(浅学のため,またこのノートを何も見ずに書いたために,諸学説についての誤解があり得ることをお詫びしておく)

※1 マルクス経済学の中では,『資本論』を「市場一般における理論」,世界経済を「国境によって区切られ,労働力が移動せず,貨幣が国ごとに違う世界の理論」ととらえる立場が「世界経済」論だ。論理的に世界が先にあって各国が後にあるとかんがえる。ウォーラーステインの世界システム論もこれに近い(が,本文に書いたように一般理論というもの自体を否定する傾向が混じっている)。一方,『資本論』を国民経済の理論,国際経済を国民経済同士の関係の国際理論と捉える立場が「国際経済論」である。村岡教授は前者であり,その理論的書物のタイトルは『世界経済論』であった。村岡教授のよきライバル木下悦二教授は後者であり,その理論的著作のタイトルは『国際経済の理論』であった。この二つの違いはスコラではなく,例えば外国為替論を展開する際に表れた。村岡教授は為替だから商業信用であるとして,通貨が異なる国々が向かい合う世界での商業信用論として外国為替論を展開した。木下教授は国民経済同士の貿易を決済するのが外国為替だとして,貿易決済論を起点に据えた。非常に抽象的な次元での認識が,理論構成に大きく影響していたのである。
※2 こうした議論は,結果として,スターリン批判が不十分であったことになると,私は思う。スターリン時代のマルクス・レーニン主義は,マルクスの理論は独占以前の資本主義の理論,レーニン主義は帝国主義時代の理論としており,旧ソ連の経済学教科書もそのように書かれていた。いまでも中国の大学ではそうした政治経済学の教科書が使われていることがある。これでは,現代世界経済の理論としてはレーニン主義さえあればよいということになってしまう。スターリン批判後,この考え方は形の上では否定されたが,世界経済の起点は帝国主義だとしてしまっては,結局段階分析や現状分析に一般理論が使えず,段階理論にもっぱら頼ることになってしまう。スターリン理論の枠を完全には出られなかったのではないかと私は思う。
※3 私の本来の専門であった産業論でもマルクス経済学と近代経済学の隔絶はあったが,独占資本主義論と産業組織論の間でまったく会話が通じないというほどのことはなかった。私の指導教員金田重喜教授は独占資本・金融資本(日常用語でいう財閥の意)を研究するマルクス経済学者であったが,ミシガン州立大学に在外研究に赴き,伝統的産業組織論の雄であったウォルター・アダムス教授と親交を結んだ。帰国後にアダムス教授の編によるケース・ブックの翻訳を手掛けた。
※4 国内に向かっては権威主義,国外に向かっては勢力圏主義という潮流が国際政治において強まっている今,帝国主義の概念自体は再評価すべきかもしれない。しかし,同時に,その背後に世界的規模の市場競争があることを踏まえねばならない。帝国主義を独占資本主義と等置し,さらにそこから出発するので市場競争は軽視するという構えでは,グローバリゼーションは理解できないだろう。

2017/4/4 Facebook
2017/4/14 Google+

「大躍進」の背景としての伝統的製鉄技術と洋式小型高炉の導入:Donald B. Wagner教授のサイトによせて (2017/02/14)



中国技術史の専門家Donald B. Wagner教授のサイトによせて。中国の伝統的製鉄法に関する論文やエッセイが満載の素晴らしいサイトだ。かつて私が引用したThe Traditional Chinese Iron Industry and its Modern Fate(中国における伝統的製鉄業と近代におけるその運命)(※1)も全文が掲載されている。この機会に,Wagner教授の本を活用して拙著で山西省製鉄技術史に触れたことを回顧しておきたい。この部分はどなたからも論評されることがなく,正直寂しいからだ。
 大躍進に関してワーグナー教授が主張しているのは,中国の伝統的製鉄技術が大躍進の背景になっていたということである。
「中国の内部からも外部からも,1958年から60年における大躍進は,「裏庭での大衆製鉄」をめぐるストーリーとして聞かされるのであるが,実はそうではなかった。ほぼ完全に失敗に終わった大衆キャンペーンは,1958年の終わりにわずか数カ月だけ続いたものに過ぎなかった。より重要なことは,個人による,または人民公社による小型工場であり,それらは試されずみの伝統的な炉,あるいは近代的な炉のスケールダウンされたものを使用したのだ。1958年にこれらの小型工場は400万トンの銑鉄を製造した」。
「実際には,大躍進においては四つの別々の技術が機能していた。スケールダウンされた近代的高炉,大規模な伝統的高炉,小規模な伝統的高炉,そして大衆キャンペーンによる「裏庭」高炉だ。不幸にして,大躍進に関するすべての報告は,ジャーナリストによるものであれ学者によるものであれ,このうち最後のものだけが重要だったと仮定している。すぐれた歴史家であるRoderic MacFarquharでさえも,この時期の政治について最良の研究の中で,この誤りを犯している。このウェブサイトにおける私の希望は,中国現代史と中国政治の研究者に対して,大躍進に対するより精細な見方をしてもらえるかもしれないということなのだ」(シェア先)。
 私は『東アジア鉄鋼業の構造とダイナミズム』を執筆した際に,1990年代後半から2000年代初頭における山西省における小高炉の爆発的増加について,その背景を調べようとした。その手がかかりは,一方において山西省での技術指導に当たられていた川原業三氏の「これらの高炉は日本が戦時中に持ち込んだものの流れを汲んでいるのではないか」という問題提起(※2),そしてワーグナー教授の研究であった。
 言語能力の制約から苦しい調査であったが,限られた回数のフィールドワーク,ワーグナー教授の著作,19世紀末から20世紀初頭においてヨーロッパや日本で山西省に関する情報源とされたフェルディナド・フォン・リヒトホーフェンの著作,東亜同文会や満鉄の調査資料などを集めて読みふけった。幸いだったのは,戦前の山西省に関する書物,雑誌をリストアップすると,たいがいが東北大学附属図書館に所蔵されていたということだ。そして,戦後になるとぱたりと情報が途絶えるのだ。まさに帝国大学の威力であり,帝国の滅亡によって情報も途絶えたのだ。
 結局,わかったことは,山西省における大躍進期の鉄鋼増産運動には三つの背景があったということだった。1)伝統的るつぼ製鉄技術,2)民国期山西省における,小型洋式高炉を用いた経済開発,3)戦時期の日本帝国による小型洋式高炉の持ち込みである。これらの基礎上に鉄鋼増産運動が展開される。るつぼ製鉄は硫黄分をコントロールできないために他の伝統的高炉に切り替えられ,さらに洋式小型高炉に切り替えられるが,結局挫折した。そこまでの流れを描くことは,それなりにできたと思う。
 しかし,大躍進が挫折した1960年代初頭から,小型高炉が急増する1990年代までの30年間の空白は,埋めることができなかった。以下のように注記して,史的背景の記述は閉じるしかなかったのである。なにしろ,この章の本題は現在の山西省鉄鋼業であり,前段のところでつまずくわけにはいかなかったからである。
拙著227ページ。
「したがって,大躍進が小規模企業による製鉄業に打撃を与えたとしても,同時に技術の連続的変化を起こした可能性がある。すなわち,なお小規模製鉄が合理的である条件が残されている限り,多少の企業は残存したであろう。残存企業にとって見れば,坩堝製鉄が駆逐され,洋式小型高炉技術が導入されたことになったかもしれない。そして,大躍進期には,小型高炉の標準的な設計図も省内に普及したであろう(注34)。」(※3)
拙著253ページ注34.
「Wagner[1997]pp.10-11は,大躍進が,伝統的な銑鉄生産技術が忘れられていなかった地域においては,ある程度においては成功したかもしれないという仮説を述べているが,実証していない。ただし山西省については,坩堝製鉄が大躍進期に採用されなかったので,この仮説の対象外としている。筆者は山西省について,伝統的製鉄技術が成功したのではなく,伝統的技術から小型高炉技術への転換が起こったのではないか,という仮説を立てている。この仮説をいま実証することはできないが,これまでの記述から合理性を持つ仮説提示であると考える。」
※1 Donald B. Wagner, The Traditional Chinese Iron Industry and its Modern Fate, Richmond: CUrzon Press, 1997.
※2 川原業三「山西の高炉たち」『鉄鋼界』1996年4月号。
※3 なお,Wagner教授に一言だけ反論するならば,大躍進の時期においても,土法高炉製の銑鉄があまりに品質が悪いために,洋式小型高炉への転換が起こったことは,石川滋教授によって把握されていた(石川滋「資本蓄積と技術選択」〔石川編『中国経済発展の統計的研究III』アジア経済研究所,1962年〕)。私は,石川教授の記述をヒントにして,この仮説を思い立ったのである。

钢铁生产大跃进的背景:中国传统制铁业及其现代命运
http://donwagner.dk/MS-Zhongwen/MS-Zhongwen.html

Publications by Don Wagner
http://donwagner.dk/index.html

Background to the Great Leap Forward in Iron and Steel: The traditional Chinese iron industry and its modern fate, August 2011.
http://donwagner.dk/MS-English/MS-English.html

2018年10月26日金曜日

和田春樹教授と池田嘉郎教授の対談「討議 革命はいかに語りえるか」を読んで (2018/1/5)

 昨年,私は池田嘉郎『ロシア革命』を読んで,本書が臨時政府に焦点をあてて,その直面したジレンマに注目したことから学んだと書いた()。しかし,この『現代思想』2017年10月号に掲載された和田春樹教授と池田教授の対談「討議 革命はいかに語りえるか」を読んで,これまでのロシア革命論と池田教授が打ち出した新しいものの区別は,もっと別な,史観レベルのところにあるのではないかと思い始めた。さらに,両者の区別にもかかわらず解決しない深い所でのジレンマがあるのではないかと感じ始めた。以下,ロシア革命史についてまったくの素人の単なる感想であり,思い込みや誤りがあれば正していただきたい。
 和田教授のような研究者も,また社会運動家も含めて,ロシア革命に触れた時に,人類の進歩と解放ではないかという仮説や願望をまずは抱くことから入った人が多い世代においては(また本来はもっと後の世代なのに時代遅れでそうした入り方をした私にとって),ロシア革命,とくに10月革命への見方には一つの特徴がある。それは,民衆の視線からロシア革命を理解しようとする視点だと思う。ロシア革命に際して民衆にとって最も大事なことは戦争への過酷な動員を終わらせることだった。2月革命で成立した臨時政府は,それを実現しようとせずに戦争を続行した。平和を実現しようとするかに見えたのがボリシェヴィキによる10月革命だった。
 昔なら,そこからさき憲法制定議会の解散や内戦期の弾圧まで革命防衛のために肯定する議論もあったろう(かつて私もそういう本や論文を読んだ)。もちろん,いまではそういう無邪気な肯定は,ほとんど見られない。ボリシェヴィキは革命防衛の名のもとに憲法制定議会を解散し,反対党を抑圧し,過酷な軍事統制を復活させて多くの命を,当のプロレタリアートや兵士の命を奪い,農民から穀物を取り上げた。抑圧はネップ期には緩んだが,スターリン体制の確立によって再び過酷となる。しかし,批判的な見方を獲得したにしても,民衆を主体にして,その願いの実現がボリシェヴィキに託されながら,それが裏切られていく過程と見るのが,これまでの研究ではないか。トロツキーと同じ主張ではないにしても,史観のレベルで「裏切られた革命」というものだ。
 池田教授の『ロシア革命』がこれと異なるのは,統治するエリートの視線からロシア革命を理解していることだ。つまり臨時政府の人々だ。池田教授は特にカデットについて造詣が深いらしい。エリートは一方では民衆に依拠する。経済格差にあえぎ戦場に駆り出されて怒りを蓄積させている労働者・農民・兵士に依拠しなければ,専制を倒し革命を遂行することはできなかった。他方,エリートは民衆を抑えようとする。大衆の憤激をただひたすら推し進めて「街頭の政治」をエスカレートさせるだけでは,専制にかえて確立しようとしていた自由と民主主義と経済運営自体が崩壊しかねなかった。臨時政府はこの矛盾のただなかに立って苦悩し,崩壊していった。ボリシェヴィキはその隙を突き,平和を掲げ「街頭の政治」に依拠して臨時政府を打倒した。その後のボリシェヴィキが臨時政府と違ったのは,パンと平和が実現できない事の責任を反革命勢力と諸外国になすりつける正当化にある程度成功し,かつ正当化し切れない場合には民衆を暴力的に弾圧することに成功したことだ。
 和田氏と池田氏の違いをこのように理解すると,これは確かに視線の違いとなる。私はここで左翼的に「民衆史観こそ正しくエリート史観はけしからん」というつもりもなければ,いま流行りの議論のように「民衆の感情に依拠したポピュリズムはけしからん,冷静な判断ができるエリートこそ重要だ」という議論に与するつもりもない。このそれぞれの視線によって,確かに新たに見えるものもあるだろう。しかし,いま言いたいのはそこではない。不安で仕方がないのは,視線は違っても,ロシア革命のジレンマはこの両者に共有され,そして解決困難なままに残されているのではないかということだ。
 戦争に兵士を駆り立てるな!という声に依拠しなければ革命はできなかった。しかし,戦争に兵士を駆り立てないようにすることが極端に難しい現実もまたあった。現にソビエト政権が戦争からの離脱を計っても,列強はそれを許さなかった。すると防衛戦争は回避できないし,軍隊は再建しなければならない。しかし,そこでプロレタリア独裁の名のもとに過酷な軍事統制や食糧徴発を行えば,約束された軍隊民主化も「土地を農民へ」も水の泡だ。
 この問題は,民衆視線から見ようとエリート視線から見ようとまったく変わらずに存在するように私には見える。だから臨時政府には解決できなかったし,ボリシェヴィキには抑圧的にしか解決できなかったのだ。民衆の勢いにエリートが押し流されれば外交も経済も運営できない。そうかもしれない。しかし,エリートが民衆を従わせようとすれば,エリートを押し上げた民衆の願いを裏切ってしまう。それでは本末転倒だ。私は,ロシア革命とはこうしたジレンマが極端に深かった状況下での出来事なのだと思う。このジレンマから抜け出す道はあったのだろうか?私は,古いロシア革命論を学び,また池田氏の新しいロシア革命論に出会っても,そこがまだわからない。次に学ぶとすれば,このジレンマにとらわれない可能性を示す研究だろう。

2018年1月5日 Facebook似て限定公開。

池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』岩波新書,2017年を読んで (2017/2/21)

 先月発売された池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』岩波新書。私には,本書の記述は非常に重い。

 私は,学生時代に『レーニン全集』やジョン・リード『世界を揺るがした十日間』などによってロシア革命史を学んだ。その後,私は産業の実証研究で食っていくようになったが,何をやっていても,考え方の根底においてマルクス経済学や社会主義思想の見直しを絶えず行わざるを得なかった。それに伴って,ロシア革命史の見直しも必要であった。集権的計画経済や,スターリンの恐怖政治や,内戦期にレーニンやトロツキーが行った過酷な弾圧についての頭の整理はできていたつもりだが,二月革命から十月革命までの臨時政府を主な対象とした本書の記述は,私の認識をまた揺るがすものだった。

 個人的なことを離れても,本書はおそらく多くの人にとって重い。

 本書の問題提起は多様で錯綜しているが,私の読んだ限り,その核心はロシア革命の以下のようなジレンマだ。一方でエリートと隔絶し,経済格差にあえぎ戦場に駆り出されて怒りを蓄積させている労働者・農民・兵士に依拠しなければ,専制を倒し革命を遂行することはできなかった。しかし,大衆の憤激をただひたすら推し進めて「街頭の政治」をエスカレートさせるだけでは,専制にかえて確立しようとしていた自由と民主主義と経済運営自体が崩壊しかねなかった。臨時政府はこの矛盾のただなかに立って苦悩し,崩壊していった。それを倒したボリシェヴィキの実験も,種々の側面はあれ,自由と民主主義を急速に,経済運営を紆余曲折の末に挫くものとなった。

 そして,著者は「あとがき」で言う。「ことはロシアだけに限らない。民衆の価値観と社会上層の価値観とのギャップ,それによる社会秩序の動揺と混乱。こうしたことは,西欧とその白人入植地以外の地域が,西欧中心の世界秩序に組み込まれる際に,いたるところで起こったものである。のみならず,今日新たに,中東であれ,東欧であれ,旧ソ連諸国であれ,似たようなことは生じている。」

 その通りだ。そして,ことはそれだけに限らないのではないか。西欧に,アメリカに,日本に「似たようなことは生じている」のではないか。

2017/2/21 Facebookで限定公表。

2018年10月18日木曜日

梶谷懐『日本と中国,「脱近代」の誘惑』太田出版,2015年を一読して (2015/11/2)



 「近代」社会の行き詰まりを,何らかの意味での「脱近代」を求めることによって打開しようとする動きをどう捉えるか。これは,人文社会科学の一大テーマだ。ここに正面から挑むというのは,正直,私などには気が遠くなる話なのだが,梶谷教授は自分の専門である中国研究に内在しつつ果敢に挑戦されている。それも,日中の安全保障上の緊張と,近代を脱近代で超えようとする思想に密接な関係があるという切実な問題意識に基づいてだ。

 たとえば集団的自衛権。

 安倍政権の公式見解では,これは日米のパートナーシップを強め,自由と民主主義と法の支配を尊重する普通の国として,同盟国とともに安全保障を進めようとするものだ。しかし,その支持者の政治行動や発言から批判者は,戦前の日本帝国による侵略戦争を美化する方向に歴史を修正し,国民の基本的人権を抑圧し,さらに女性や内外の外国人に対する差別と偏見を助長し,国民には道徳的義務を押し付けるような政治体制づくりをかぎ取ってしまい,不信感を持つ。

 逆に,集団的自衛権の行使に反対する勢力は,立憲主義を擁護して政権党の恣意的支配を抑止し,日本国憲法第9条を擁護して,戦争によらない国際紛争の外交による解決を図り,あわせて基本的人権と議会制民主主義を擁護することを訴える。しかし,その支持者の行動や発言に批判者は,対外膨張と軍事的挑発を強め,憲政と基本的人権,三権分立を「国情」を理由に認めずに批判勢力を抑圧する中国に対する寛容さを読み取ってしまい,不信感を持つ。

 つまり,双方とも近代社会の枠内で自己を主張しているにもかかわらず,今日,無視できるはずのないアジアの過去と現在を十分に取り上げて自己の主張に組み込めていない。そのため,ともに非近代的な側面の「闇」の部分を相手に見出して不信感を募らせ,コミュニケーション不全が起きるのだと,著者は言う。これは数多い本書の論点の一つに過ぎないが,著者の問題意識がよくわかるところだ。

 本書が取り上げるテーマはあまりに大きくて広く,この難題に挑んだ著者には敬意を表せざるを得ない。しかし,あまりにも難題である。駆使される諸概念,たとえば「西洋」と「アジア」,「憲政」と「民主」,「国権」と「民権」があり,さらに「近代」と「脱近代」と「前近代」,「資本主義」と「社会主義」などは,今日では,一つずつ意味を確認するのに手間取るようなものばかりだ。そのため,どうしても読み進めながら,「ここでの『近代』の意味は何?」「『アジア的なるもの』ってどこまで含むの?」という疑問にぶち当たり,つっかえつっかえしながら進むことになってしまう。一読すれば,問題の所在は上記のようにわかるのだが,問題の整理と解決の方向は,一読しただけではどうもまだわからない(私の読解力不足による可能性があるということだ)。

 種々の概念の中でもわかりにくいのは,「近代」と言う概念そのものだろう。中国が資本主義化して激しい競争社会となっているけれども私有財産権がはっきりしないというのは「近代」なのか違うのか,中国に「憲政」はないけど多数の民の利益を無視できないという意味でそこそこ「民主」はあるというのは,「非・西洋近代」なのはわかるとして,より広義の「近代」なのか「非近代」なのか,と考えるともう迷路に入りそうになる。

 ただ,著者がきわめてはっきりさせていることもある。「国権」と「民権」という軸を忘れるなということだ。権力の分かち合いを拒否し,説明を拒否する権力と、そうでない社会は異なるということだ。それを忘れて,多数の民族を統治できる「帝国の原理」(日本であれ中国であれ)にあこがれるのはおかしい。それを忘れて,民の要求がそこそこ通る中国的「民主」に留保をつけないのはおかしい,それを忘れて「前近代的」社会を強権的に「近代化」しようとすると日本帝国による侵略の正当化になる,等々。著者は,多数の要求を帝国が実現するという意味の「帝国の良き統治」や「民主」でよしとしてはならない根拠として,マイノリティへの抑圧は一顧だにされなくなってしまうことをあげる。ウイグルやチベットや在日外国人の問題は,統治の原理に関わる問題なのだ。

 このように,まずは「民権」という軸が貫かれており,そこに著者の視座があるのではないかと私は読んだ。しかし,まだつかみきれない論点は数多い。何度か読み返しながら考えていくしかない。そして本書は,そうする価値がある本だと思う。

http://www.ohtabooks.com/publish/2015/06/06102743.html

いまどき労働者階級について:資本主義は均一な不熟練労働者を作り出さないことについてのノート (2015/3/20)

 「経済学入門A」のためのノート。労働者階級について。いったい,いまどき何を言っているんだと思われるだろうし,自分でもそう思うが,マルクス経済学の授業なので説明なしにすっ飛ばすこともできない。今回は専門家から見ると中身がありきたりで恥ずかしいがご勘弁願いたい。

 マルクス経済学では,資本家,労働者,地主が3大階級であり,とくに資本家と労働者は,資本主義の発展そのものが生み出す2大階級とされている。『資本論』では,これらの階級の一般的なありかたが,経済理論的に考察されている。ここで言う「労働者階級」が,現代社会の実態と異なるのではないかということは,実は100年くらい前からずっと疑問に付されていることだ。

 労働者階級とは賃労働者から構成されている階級だ。賃労働者とは,生産手段を所有していないために,資本家に自分の労働力を売って賃金を得ることを主要な生計手段とする必要がある人のことだ。支払われる賃金は,等価交換の原理の下では労働力の価値に等しい。労働力の価値は,1)労働者本人が労働力を再生産するために必要な生活必需品の価値,2)労働者に必要とされる技能を磨くための訓練費用,3)労働者が扶養する,将来の労働力である子弟の養育費,の合計とされている。単純な理論モデル上の資本家は自己利益を追求するものであるから,この1)2)3)の合計より多くを払う理由がない。1)2)3)の合計の最小限度は,しばしば「生存賃金」と呼ばれる。

 このモデルは,経済学の一般理論としてはもっともなことだ。労働者という存在を純粋にモデル化しなければ理論が始まらない。また賃金論も,「生存賃金が払われないと資本主義は成り立たない」,「資本主義が成り立っているとすれば,まがりなりにも生存賃金は支払われている」という意味で,資本主義の存立条件を明らかにしたものとして妥当だ。だから放棄すべきではないし,政治経済学入門では教えなければならない。ここまでは何も問題はないと私は思う。

 いや現実と異なるではないかという人も多いだろうが,一般理論のモデルと現実が異なるのは色々な社会科学では当たり前のことであって,マルクス経済学に限ったことではない。要はその間の論理がつながれているかどうかが問題だ。また,一般理論で語るべきことと,発展段階論や個別の事情で語るべきことは当然違ってくる。

 例えば,労働組合運動による賃金交渉や福祉国家が(このところだいぶ弱体化したとはいえ)それなりに存在しているのは,もちろん原理的な根拠のあることだが,ロシア革命以後の社会主義の脅威が資本主義に反作用し,体制安定のために許容されたり,積極的に構築されたりしているという,社会ごとの,時期ごとの事情を反映した政治・社会的要因が作用している。賃金が生存水準より上がっているから,一般理論としての生存賃金論が間違いだということにはならない。それは一般理論と現実の媒介項の問題かもしれないからだ。

 逆に,明らかにそうでないのに,大多数の労働者に等しく生存賃金しか払われていないと主張するのは単なるマルクス崇拝のイデオロギーだ。貧しい人を見つけてあれもマルクスが正しい,これもマルクスが正しいというのはおかしいのであって,労働者内に大きな格差が存在していることは,マルクスが正しいことを意味しないのだ。一方では,かなりの消費水準を実現し,一部の所得は株式投資に回す人もいる。他方で,本当に生存ギリギリの人もいる。その現実を一般理論から,媒介項の何段階もの階段を上って説明しなければならないはずだ。

 回り道をした。現状分析はおくとしても,一般理論の範囲内で見ても,マルクスの論理には問題は残っていると私は思う。もう,相当多くの人が言っていることで目新しくもなんともないのだが,授業用のノートとして書きとめておく。

 マルクスのモデルが成り立つためには,社会が3大階級のうち,資本家と労働者に分かれていく強力な傾向と,労働者が技能を基礎にして自立的に働くことが資本の働きによってできなくなり,純粋に労働力を売るしかない状態に追い込まれる傾向が必要だ。このことは機械制大工業論と資本の蓄積過程論で論じられている。しかし,その証明が不十分ではないかと思う(※1)。

 ひとつは管理者だ。意外にも『資本論』は何か所かで管理者,今で言う専門的経営者の考察を行っている。管理者は,労働力を売って給与をもらうという点では形式的には賃労働者とも言えるが,その労働の中身は,資本の機能を遂行し,生産やその他の業務,そして労働を管理することだ。トップ経営者は,資本の管理機能の頂点を担うし,自分の報酬を自分で決められるとか,貨幣資本家の監督を逃れやすいという事情もあってとくに報酬は高く,むしろ剰余価値を源泉として所得を得ていると言ってよいだろう(※2)。 しかし,それならトップは資本家階級の現代の姿ではないかという人もいるかもしれず,それはそれでもっともなところがある。例えば,以前はよく使われた大橋隆憲氏の方式での階級構成論は,トップ経営者を資本家階級としている(大橋編著「1971」)し,戦後に作られた多くの階級構成表もそうだ(橋本[1999]16-17頁による)。

 だが,管理者はトップだけではない。大量に存在するミドル・マネジメントやローワー・マネジメントはどうか。労働力を売って賃金をもらわねば生活できない人が多いという意味では労働者性を持つ。トップ経営者と異なり,資本家と言えるほどの指揮・監督権を持っているわけでもないし,利潤を自ら処分できるわけでもない。しかし,ミドルやローワーも,資本の機能を遂行する使命を帯びているのであり(会社の役に立つことを仕事としない課長さんはいない),そのために必要な権限を配分されている。中間以下の管理者は資本家とも言えないが,純粋な労働者とも言えない。

 もうひとつは,専門的・技術的労働者だ。マルクスはこれをほんの少数とみているが,明らかに異なる。そうなる理由がない。機械制大工業が発展したからと言って,技術者や専門的労働者は不要にならず,むしろ必要性が増すことは明らかだ。まして研究開発者はなおさらだ。その知的スキルなしに製品開発も技術開発もできない。これらも,管理とはやや異なる性質を持つが,資本の機能を遂行するための専門機能を配分されている。管理者よりは資本家から遠い。しかし,明らかに高度な技能を持っていることと,生産の直接の過程(いわゆるライン)につかされているのではないことが,不熟練労働者とも異なる。むしろ,生産過程を円滑に動かすための間接的な過程に関わっている。このため,機械化で自立性を失った労働者とは異なる地位に立つ。

 中間管理者も専門的・技術的労働者も,その仕事は機械化し切ることができず,独特のスキルを必要とする。その訓練費用は高い。また,利潤を自ら処分はできないが,資本機能の遂行という仕事に対して,利潤分配を受ける理由も大いにある。だから,不熟練労働者の労働力の価値とは異なる賃金を得る理由はあるのだ。

 中間管理者や専門的・技術的労働者も広い意味で労働者階級と呼ぶべきという意見もある。その根拠は,主に,結局は労働力を売っているから労働者階級だということと,機械化とコンピュータ化とネットワーク化でどんどん不熟練化して数もいらなくなってプロレタリア化するということだ。大橋方式はこのような理解であり,この延長線上に戸木田嘉久,牧野富夫,加藤祐治などの見解がある(大橋方式の政治的背景は橋本[1999]第1章を参照)。

 労働力を売って暮らしているという点はもちろん重要で,その点でこれらの人々も経済学の労働力商品論につながっている。しかし,資本の機能を担っていることも同様に重視しなければならない。また,不熟練化の傾向は確かにあるものに,逆に管理のスキルや専門的スキルが新たに重要視される傾向もあるから,一面的すぎる。とくに新技術が開発され,新製品が開発されて新産業が生まれる場合はそうだ(※3)。階級は,労働力を売っているかどうかだけで決まるものではない。生産における位置,とくに生産手段の所有と剰余生産物の取得に対する位置によって決まり,また生産活動の統制の中での位置によって決まるとみるべきだ。とすると,指揮・監督機能や専門的機能を担う中間管理者や専門的・技術的労働者は新中間階級とまとめる方が素直ではないだろうか(橋本[1999]第3章。表現は必ずしも同じではないが)。

 さらに,生産労働者についてさえも,均一な不熟練労働者にはならない。まず大量生産が普及しない分野では熟練労働者が必要とされるし(※4),大量生産が普及した分野であっても,熟練労働者から不熟練労働者までの階層構造は多くの産業で存在している。マルクスも労働者の階層的編成に触れてはいるのだが,結局,論理としては均一な不熟練労働者への収れんを論じてしまっている。

 現代では非常に多くなった事務労働者,販売労働者についても,その実情は様々だろう。実態に応じて,つまり指揮・監督機能や専門機能を担うか,利潤分配を受けられるかどうかに応じて,新中間階級か労働者階級かが決まってくると見ればいいだろう。

 マルクスは管理者の存在も技術者の存在も,労働力の階層的編成も認識していた。しかし,『資本論』ではそこに理論的な重きをおかず,ただ労働者のスキルはダウングレードされ,均一な不熟練労働者が大量に生み出されると見込み,それをもって資本・賃労働関係のモデルを確証するものとしてしまった。これは適切ではなかったと思う。近代資本主義社会における生産様式は,純粋な資本家と労働者ではなく,少なくとも新中間階級をも作り出すし,労働者階級においても均一な不熟練労働者を作り出すとは言えないのだ。機械制大工業という経営様式には,そこまでの力はないということなのだ。マルクス派の政治経済学でやっていくためには,一般理論レベルでもこのことを率直に認めることが必要だと思う(※5)。

※1 経済学の一般理論なので,純粋な資本主義社会を想定してモデル化するのは問題ない。だから,とりあえず問題なのは資本主義社会内部で生まれる階級であり,それが資本家と労働者にわかれるかどうかだ。旧中間層(自営業者,自営農民)が広く残存していることは,現状分析では重要だが,とりえず一般理論からは除外してもよいだろう。地主のあり方が多様であることも同様だ。
※2 ちなみにピケティ[2013=2014]が格差の要因としてr>gによる資本所得と別に,スーパー経営者の労働所得をあげていることに注意。ピケティの議論では,この二つが分離している。しかし,スーパー経営者の報酬は,形式上は労働所得でも,実質は資本の果実の分配ではないだろうか。私は,マルクス経済学者はここを検討すべきだと思っている。
※3 マルクスはプロセス・イノベーションには強いが,プロダクト・イノベーションは驚くほど論じていない。これも一般理論としての弱点だと思う。シュムペーターはマルクスを読んでここに気がついたのだと思う。
※4 資本主義化はしているが(だから旧中間層の世界ではないが),マルクスが想定したほど大量生産にならないという分野が広範に存在していることも注意しなければならない。ハーヴェイ[2010=2011:324]は,「マルクスがマンチェスターで進行中の事態を資本主義的産業主義の究極形態であるかのように一般化する傾向があった」として,バーミンガムの小規模企業の集積を,本来は考慮されるべきだった別のモデルとしてあげている。
※5 ややマニアックな補足。株式会社も専門的経営者も,一般理論の中では扱えない,もっと具体的な発展段階論でだけ扱える,という見解もありうる。しかし,これは,株式会社を独占と混同している。株式会社は独占とは別に論理化しなければならないし,独占抜きでも論理化できる。また,経営者支配を例外的な個別的事態としているのもおかしい。私は,経営者支配は,株式会社がとる典型的な姿であって,一般理論でモデル化すべきだと思う(有井[1991])。

有井行夫『株式会社の正当性と所有理論』青木書店,1991年。
大橋隆憲編著[1971]『日本の階級構成』岩波新書。
橋本健二[1999]『現代日本の階級構造』東信堂。
ハーヴェイ,デヴィッド(森田成也・中村好孝訳)[2010=2011]『<資本論>入門』作品社。
ピケティ,トマ(山形浩生ほか訳)[2013=2014]『21世紀の資本』みすず書房。

2015/3/20 Facebook
2016/1/6 Google+
2020/02/01 誤字・語句修正

「消費しつくせない」「企業で直接には生産できない」「生産に家族がからむ」特殊な商品としての労働力について (2015/3/15)

 「経済学入門A」。労働力商品について,教科書を補足すべき点。
  
 労働力商品は特殊な商品だ。一方では,労働力が商品になっているからこそ資本主義は成立している。

 資本家や企業は労働力商品を購入して消費する。消費するとは,つまり資本家や企業の指揮・監督下で労働者を働かせることだ。すると新商品に体化された価値が生まれる。労働力は,消費すると価値が生まれるという特殊な商品なのだ。そのため,資本家は,労働力商品に価値通りの賃金を払っても,労働者を一定時間以上働かせることで,労働力価値以上の価値を生産させることができる。その価値は生産物に体化されており,資本家ないし企業の所有物である。こうした,生産された価値のうち,労働力価値を上回る部分が剰余価値として資本家ないし企業のものになる。等価交換を厳密に守りながら労働者は搾取される。労働力が商品にならなければ資本主義は成り立たない。ここまでは,授業で使用する大谷禎之介『図解 社会経済学』を含む,どんなマルクス経済学の教科書にも書いてある常識だ。

 ところが労働力はまた,商品らしくない,完全には商品とならないような性質を持っている。それは,「自由に消費しつくせない」,「企業で直接は生産できない」「生産に家族が絡む」ということだ。

 第1に,労働力の売買は,通常商品のように,代金と引き換えに所有権を移転するものではない。それでは奴隷制だ。通常の生産要素は企業内に抱えたり,分離したりできるが,労働力は完全に企業のものとすることはできない。なぜこのようなことが起こるかというと,労働力は労働者の肉体・精神と結合しており,そこから完全に切り離すことができないからだ。ちなみに,日常生活ではしばしば「会社の持つ人,カネ,モノ」といった表現が使われるが,不正確だ。労働者は会社のものではない。

 資本家や企業が購入しているのは,労働力を時間決めで使用する権利,つまり一定時間の間指揮・監督下において働かせる権利だ。これは機械に例えると,会社がコピー機を買うよりはコピー機をリースすることに近い。労働力は,リースはできても完全所有はできない商品なのだ。そのため,商品として資本家や企業が無制限に消費しようとすると,つまりは無茶な働かせ方をすると,労働者が消耗することによって労働力商品も消耗する。そして,消耗させることは,いかに資本主義だと言っても,たいていの社会では人権という観点から何らかの制約がかかるし,かかって当然だとみなされる。

 つまり労働力商品は,購入したからと言って自由に処分すれば,社会の法的枠組みに触れてしまう可能性をもともと持っている。自由に処分しようとすれば,経済の外から制限がかかるような商品なのだ。

 第2に,労働力商品は,通常商品のように資本が直接生産することができない。労働力商品の生産とは,つまり労働者が消費財やサービスを消費して労働力を回復することであり,必要な教育・訓練を受けることであり,子どもをもち,扶養家族を養うことだ。

 このことの帰結1として,労働力商品は,労働者自身による消費を通さないと生産できない。もちろん,労働者の能力を向上させる教育機関や訓練サービス業を資本主義企業として営むことはできる。しかし,その訓練も,労働者やその子弟が通うという,労働者の自発的な消費行動を通してでなければ行われない。

 帰結2として,労働力商品の価値は,労働力製造企業の生産性の変化によって変動するのではない。そんなものはないからだ。そうではなく,消費財やサービスの価値変動を通して変動する。

 つまり,労働力商品の再生産と価値変動は,間接的にならざるを得ない。そのため,その需給調節も,市場メカニズムを通して行われることは行われるが,間接的になる。

 第3に,労働力再生産はほとんどの場合,家族を単位として行われる。労働力の再生産は,生命の再生産や,労働者による,非労働力の家族の扶養を通して成立するからだ。すると,家族のありかたに応じて労働力価値のあり方も,労働力再生産のあり方も変わってくる。そこには慣行も価値観も入り込む。例えば,ジェンダーをめぐる価値観と慣行によって,誰が誰を養うという扶養のありかたは変わる。家族のうち1人が働いて残り全員を養うのか,成人全員が働くのか,子どもも働くかで労働力価値やその計算方法,労働者1人当たりへの配分が変わる。労働者の価値観によって子どもの出生傾向も変わるので,再生産確保のために必要な価値量が変わる。労働者の価値観自体が,経済的要因と社会的要因によって変わる。

 つまり,労働力価値も労働力再生産のありかたも,資本主義生産と市場メカニズムだけによっては決まらない。家族のありかたをめぐる制度や慣行によって左右されざるを得ないものなのだ。

 以上のように,労働力が商品になることは資本主義を成立させる必要条件であるにもかかわらず,資本主義の下で労働力は決して完全には商品にならないという矛盾が存在している。それゆえ,労働力商品の生産と消費と需給調整は,資本主義的生産と市場経済の働きだけによって完全に調節されることはない。調節は間接的であるし,種々の社会的要因によって補われてはじめて成り立つ。資本主義も市場も,最初から不完全なものなのだ。

 以上のことは,労働力商品の定義と再生産のあり方に関する一番単純なモデルの時点ですでに言えることだ。より具体的な構造を取る,剰余価値生産過程や,資本の蓄積過程のモデルでは,類似の問題がさらに多くあらわれてくるだろう。

※このノートは空で書いた。学部1年時の担任であった平野厚生氏の影響を受けていることは覚えているが,後は誰の影響をどう受けたか覚えていない。きっと宇野弘藏,田中菊次,隅谷三喜男の各氏の著作をかじり読みしながら考えたのだと思う。

2015/3/15 Facebook
2016/1/6 Google+

2018年10月17日水曜日

資本主義社会の3つのシステムへの分裂と統一 -労働,商品・貨幣・資本,所有- (2015/3/10)

 「経済学入門A」で,資本主義社会の社会システムとしての特徴を教科書に付け加えて述べねばならない。ある程度は「商品の物神性」のところで述べて,そこでは未出のタームやロジックについては,貨幣論や,資本の成立論のところで述べればよいだろう。この話は,そもそも私自身の理解が足りない上に,わかっていてもわかりやすく言うのは難しい。しかし,がんばろう。

 資本主義社会は1つの社会システムだ。しかし,それは,分裂しながら統一している3つのサブシステムによって存立している。本来1つのシステムである人間社会が,3つに分裂しながら統一されているというのが特徴だ(表)。

*労働システム
 第1に労働のシステム。疎外された労働の社会としての資本主義だ。その主体は労働するもろもろの個人だ。社会システムは,誰も何もしなくても存在できるものではない。究極的には諸個人が労働して,自然に働きかけて自然をわがものとしていることによって発生し,再生産されている。それは社会存立の究極の根拠だ。資本主義社会においては,労働する諸個人は協業とその発展形態(分業,大工業等々)によって互いに関係を取り結んでいる。だが,生産関係の核心,おおざっぱに言えば価値に関わる部分が商品・貨幣・資本システムに移っているため,労働システムにはその素材的な部分,不正確を承知で言えば使用価値的な部分だけが残される。そして,ともに働いているにもかかわらず,そのあり方は階級的であり,具体的には疎外されている。労働者は生産手段と生産物を自分のものとすることができず,生産のありかたを自己決定できないからだ。

 労働システムは運動する実在だ。自己意識を持った人間の労働が疎外されるというのは社会的な現象だから,物理的実在そのものではない。しかし,手を触れることができる肉体と,脳や神経の働きとしての意識に基づいているという意味で,物理的実在に近い相にある。そして,運動する実在であるにもかかわらず,労働システムの在り方が経済法則をなすのではないことが資本主義の特徴だ。経済法則を直接形作るのは商品・貨幣・資本のシステムだ。

*商品・貨幣・資本システム
 そこで,第2に商品・貨幣・資本のシステム。資本の原理で動く社会としての資本主義だ。その主体は商品であり,商品でもある貨幣であり,貨幣でもある資本だ。商品は,後述するように3層システムを発生させる上では決定的要因だが,生産過程を包む原理を持たない。商品と貨幣があるだけでは,生産がどのように行われているかはわからない。ここに不完全性がある。資本システムは生産過程を包括することで資本主義社会を編成しうる。

 商品・貨幣・資本システムは,資本主義の経済法則を司る原理であり,等価交換原理も価値形態も剰余価値生産法則も取得法則の転変も再生産の条件もここに属する。それは本質的には人間と人間がとりむすぶ生産関係であって「もの」ではないにもかかわらず,資本主義社会ではものとして,ものであるかのように存在している。つまり,商品・貨幣・資本は物象化された生産関係だ。その編成原理は等価交換を通した自己増殖=蓄積であり,マルクスの示す資本の範式が示すとおりだ。そして,その階級的あり方は,剰余価値法則にのっとった労働者からの搾取である。

 商品・貨幣・資本システムは,労働システムよりもはるかに物理的実在から遠い。商品が他の商品や貨幣と交換されることや,交換を通していけば何がしかの利潤を生むような資本の性質は,自然物のものではない。しかし,商品も貨幣も資本も,価値を持った「もの」であるかのように存在している。 生産関係が「もの」になってしまうと,所有が取り残される。人間が主体となって,自然をわがものとするのが労働だ。ところが,疎外された労働が労働システムに付着し,生産関係は「もの」と化すと,「わがものとする」ところ,つまり所有だけが取り残されて一つのシステムになる。

*所有システム
 そこで第3に所有のシステム。私有財産社会としての資本主義だ。その主体は商品の私的所有者だ。私的所有者は商品を排他的に所有している。商品の所有という単純な形態から債権や抵当など複雑な私的所有のありかたが説明される(しかし,私的所有がさまざまに発展した状態から見れば,商品を所有しているのはその一形態に過ぎない。だから法律では,私的所有の権能全体が財産権と呼ばれ,所有権の方が狭い範囲を包括する言葉とされる)。私的所有の独特の原理は,社会システムを正当化することだ。私的所有は不可侵とされ,労働システムや商品・貨幣・資本システムが作動する前提的枠組みとされる。正当化の際に持ち出される原理はおおむね二つある。ひとつは,私的所有者として向かい合うことで,人間は自由で平等な個人になるということだ。労働システム内で疎外があっても,資本システム内で搾取があっても,所有システムからは,労働者と資本家が私的所有者として向かい合っているようにしか見えない。それは,正しく正常なこと,問題のない,不当ではないこととされる。もうひとつは,私的所有は自ら労働した結果であるに違いないというストーリーだ。これは種々に発展して,「自らリスクをとった」,「自らの持つ生産要素を差し出して生産に貢献した」などというバラエティを生み出す。資本システム内において資本主義的取得法則の作用により,より多く資本を持つものがより多く蓄積するようになっても,つまりは資本家と労働者の間に所得と資産の格差があっても,それは資本家が自ら働いた(リスクをとった等々)という想定により正当化され,問題のない,不当でないこととされる。

 しかし,所有システムは正当化するだけで,生産をどのようにおこなうかという原理を自らの中に持っていない。その編成原理は等価交換であるが,それ以上のことは所有システム内では行われない。だから所有システムは階級のありかたの実態を指し示さない。むしろ,孤立した正当化原理として,ひたすら私的所有者間には自由・平等が存在すると主張する。

 所有システムは,労働システムや商品・貨幣・資本システムのように,「もの」として手を触れることもできなければ,「もの」であるかのような対象性も持っていない。それは,実体がないのに正当化原理だけが存在する抽象の世界だ。

*商品というしくみによる3分裂
 資本主義社会は何によって,このような3つのシステムに分裂しながら統一されるのか。その根源は商品というしくみだ。人間は,みな色々な働き方をしていても,とにかくそれはみな同じ労働だということによって社会を構成する。ところが商品というしくみをとおすと,人間の諸々のはたらきがみな商品の価値をつくるから同じ労働だということになる。人間の労働は肌に触れることができる,運動する実在であるが,そのことは,商品が価値を持つという形にすり替わる。人間が労働をどれだけ行っているかという問題は,商品価値が大きいか小さいかという問題に置き換わる。人間が生産のために取り結んでいる関係は,商品が互いに交換可能であるという関係に置き換わる。そして,商品の側からものを見ると,労働のありかたはわからない。商品は商品同士交換されるという原理からは,その背後で人間同士がどういう関係を結んで働いたかはわからない。こうして,商品というしくみを通すと,人間と人間の関係が背景に退き,商品と商品というものとものとの関係に置き換わる。人間には,商品が価値を持ち,他の商品と一定割合で交換されことが自然な属性,その背景を問わなくてよい当たり前のことのように見えてくる。これが物神性だ。そして商品と商品の関係が経済法則として観察可能になる。所有は労働から切り離されて,商品を私的所有する孤立した正当化原理となる。

 このように,商品における生産関係の物象化と物神性が,社会を3層に分裂させる。この分裂は,商品原理を基礎として貨幣が生成し,貨幣原理を基礎として資本が生成し,生産過程を包摂することで一層激しくなる。しかし,商品のところですでに起こっていることだ。

*矛盾している現実を解明するものとしてのマルクス経済学
 このような3つのシステムへの分裂とそれらの統一によって資本主義社会は存立している。自由・平等な交換であって同時に搾取であり,また労働が疎外されているということは,矛盾しているがいずれも事実だ。マルクス経済学は,自由・平等は嘘っぱちで搾取が事実だと言っているのではない。自由・平等も,搾取も,疎外も,どれも同時に事実なのだ。マルクス経済学は,矛盾しているものとしての現実を解明しようとする学問なのだ。

※このノートはそらで書いたが,筆者の意識としては有井行夫『株式会社の正当性と所有理論』青木書店,1991年の影響を受けている。ただし,その理解はおそらく不正確だろう。

2015年3月10日:初稿

2015/3/10 Facebook
2016/1/6 Google+


いまさらながら,唯物史観は仮説と結論であり,論証としての経済学を必要とすることについて (2015/3/5)

 「経済学入門A」で教科書とした大谷禎之介『図解 社会経済学』の冒頭の章は「労働を基礎とする社会把握と経済学の課題」だ。これは,もっと昔のマルクス経済学の教科書であれば「唯物史観(史的唯物論)」の説明があったところに相当する。ただ,大谷氏の叙述がそれまでと異なるのは,唯物史観を説明するだけでなく,あらゆる社会に共通する社会的再生産の法則を述べていることだ。そのことの系として,具体的有用労働と抽象的人間的労働の二重性も,あらゆる社会に共通のものとされている。

 大学1年生に有益な範囲でこの話題に切り込むために,おそらく以下のように言うことになると思う。大学1年生に有益な範囲というのは,つまり『資本論』をめぐる専門的で,過度に細かい点に立ち入った論争に即して話すのではない,ということだ。

 この教科書では,まず,あらゆる社会に共通する社会発展の法則が述べられていて,続いて資本主義社会の経済学の理論に入っている。そして,双方ともが同じように正しい理論として解説されている。しかし,実はこの二つの話題は,理論としては異なる性格を持っている。同じ次元での話ではない。

 マルクスは,資本主義経済について研究を行い,その成果として『資本論』を残している。その意味では,後世から見て正しいかどうかは別として,マルクスは資本主義経済の法則を,ある程度まで証明しようとして,経済学の中でも相当な水準に達したということができる。

 しかし,マルクスはあらゆる社会について研究を行って唯物史観を唱えたのではない。むしろ,ただひたすら資本主義経済を研究することにより,資本主義以前から資本主義への移行の法則と,資本主義からポスト資本主義(社会主義,共産主義)への移行の見通しを立てた。そして,そこで得られた概念を過去にさかのぼって適用することで,唯物史観の公式を立てた。

 そもそも,他の社会ではなく,資本主義社会を研究することで,「経済学」も成立する。商品・貨幣・市場経済が成立し,支配的なシステムになると,初めて経済と政治が分離するからだ。現代の社会科学では完全には分離しないことがむしろ強調されるが,それでもそれなりに分離する。それなりというのは,経済学を他の社会科学から分離して定義できる程度という意味だ。他の社会をいきなり研究するのでは,こうした認識は不可能だ。

 他の社会でなく資本主義社会を研究したからこそ,経済的な「生産力」「生産関係」「生産様式」というカテゴリーや,「土台」(経済的構造)と「上部構造」(法的・政治的構造)というカテゴリーを分けて,また組み合わせることにより唯物史観の定式を論じることが可能になったと言える。

 だから,唯物史観は,それ自体はただの定式に過ぎず,ここにこう書いてあるから真理だという性格のものではない。いわば仮説であり,結論だ。その真ん中にある論証部分を含むものではない。唯物史観は,経済学に支えられて論証される。しかも,経済学によって論証されるのは,資本主義社会の部分だけだ。それ以外の部分は,マルクス自身にとっても仮説のままだ。その仮説を使ってさらに各社会の研究を進めることで論証度が上がるという性質のものだ。

 だから,唯物史観は,それだけで正しさを議論できるものではない。「経済法則によればこうだ」という言い方もあまり声高に叫ぶと問題なので私は好かないが,まあ経済学自体がしっかりしていればそう言ってもよい。しかし,「唯物史観にこう書いてあるからこうだ」という言い方は,それよりもはるかにおかしい。これは,経済学的論証とセットになっていなければ主張できないものだ。これが唯物史観と経済学の,理論としての相違だ。

 なお,上記の見解は,学説史的に言うと,この点に関する限り,オーソドックスなマルクス解釈よりも,宇野弘蔵説の方を支持することを意味する。ただし,あまり知られてはいないことだが,東北大学では,宇野派以外でもこのような見解があった。このノートはそらで書いたが,院生のころの勉強の産物だ。主に,黒滝正昭「基本概念の動態的把握」(『講座史的唯物論と現代2理論構造と基本概念』青木書店,1977年,後に黒滝『私の社会思想史』成文社,2009年に収録)に学び,そこからさかのぼって宇野弘蔵『経済学方法論』東京大学出版会,1962年や,『社会科学の方法』誌上での細谷昂・秋間実論争などを読んだ記憶がある。また,レーニン「『人民の友』とは何か?」を読んだところ,唯物史観は仮説で,『資本論』で証明されたとの記述にぶつかって驚き,納得した記憶がある。

 こうした研究は,1970年代にユーロ・コミュニズムとの関係でマルクス主義を現代化する必要から大いに進んだらしいが,1980年代にはすっかり下火になってしまっていた。10年前の研究成果が継承されず,「……は史的唯物論の根本原則に反するからまちがいである」といった論法も横行しており,あまりに納得できないために色々調べたという記憶がある。おかげで当時は論文作成が滞ったが,いまこうして授業に役立つならば,まったく無駄ではなかったことになる。

2015年3月5日:初稿

2015/3/5 Facebook
2016/1/6 Google+

資本主義とともに生きる者にとってのマルクス労賃論 A note on the theory of wages by Karl Marx (2015/3/4)

 マルクス経済学入門の授業で,労賃論(『資本論』第1巻第6篇)については,以下のようなことを話さねばならないと思っている。これは,実証的な労働問題研究者にとっては言う必要がないほど当たり前のことなのであるが,経済原論の世界ではあまり言われないことのように思う。
 
 『資本論』における労賃論の課題は,本質的には「労働者は資本家に搾取されており,賃金は労働力の価値分しか支払われず,労働の一部は不払い労働である」にもかかわらず,なぜ現象としては「すべての労働に対して賃金が支払われている」ように見えるのかを説明することにある。マルクスはそれを時間賃金と出来高賃金を例にして説明している。
 
 問題は,マルクス主義の歴史において,このことがどう解釈されてきたかだ。もっとも単純な解釈はこうだ。「どんな賃金形態であっても,その本質は搾取を隠ぺいするものだ。だから,理想の賃金形態というのはない。賃金形態を改良することにこだわるのは改良主義であり,労働者の真の利益にならない。全体としての賃上げを要求しながら,賃金制度自体が搾取の隠ぺいであることを暴露し,資本主義そのものを批判する運動を高揚させることが重要だ」。つまり,賃金形態の改良よりも搾取の暴露が重要だという重みづけだ。私は,労働者向けの『資本論』学習書や,マルクス主義の影響が強い労働運動の実践書で,この種の賃金論を何度も読んだ。
 
 もしも,労働運動が,遠くないうちに資本主義を廃止して,それより優れた社会システムを構築する見通しを持っているならばそれでもよいかもしれない。しかし,そんな局面はめったにあるものではない。今の日本がそうであるように,相当長い間,資本主義社会のままで暮らし,資本主義社会の範囲内で,より労働者によってすみやすい社会への改革を進めなければならない場合は,どうするのだろうか。この賃金論は,こうした当たり前の問いに対して無力である。なぜこのような賃金論が長い間,それなりの影響力を持っていたのか,私には理解できない。
 
 相当長い間,資本主義をなくせない以上,たとえ労働者が搾取されることが避けられなくても,その範囲でも,よりましな賃金形態を追求しなければならないのは当たり前のことだ。マルクス経済学を是とする人も,そう考えるべきだ。
 
 その観点からマルクス労賃論を再解釈すると,実は重要なことがわかる。時間賃金と出来高賃金という二つの例が出されていること自体が重要なのだ。つまり,資本・賃労働関係は,賃金形態という具体的な形を介して現象する。しかも,その現象の仕方は一つに決まってはいないということだ。「時間」に対して支払うのか,「出来高」に対して支払うのかは自動的には決まらない(もちろん,労働様式によってどっちがなじみやすいということはある。現在よく言われるように,成果を測定しにくい労働に出来高賃金(=成果主義)はなじまない)。物理的に同じ行為をしていても,時間賃金と出来高賃金では受け取る額は異なるだろう。もちろん,社会的には,全体として「労働力の価値」を大きく下回る賃金が払われていては労働力が再生産されない。その制約は逃れられない。しかし,具体的な賃金は,賃金形態で異なっている。市場は自動的に賃金を決めないのだ。
 
 またマルクスが出来高賃金について述べているように,賃金形態は,労働の全体に対して支払われているという意識を労働者にも持たせるだけでなく,その労働意欲を左右する。公平と思えるかどうか,やる気が出るかどうかを決めるのだ。それで生産性も変わるだろう。市場の圧力によって自動的にある水準の生産性向上が起こるのではなく,賃金形態によって生産性は変動するのだ。
 
 これは,近代経済学の「賃金は労働の限界生産力に等しい」についても同じだ。これを大きく外せば市場は均衡しないという制約はある。しかし,具体的な賃金の金額は,規制がなければ市場が自動的に金額を特定するというものではないのだ。
 
 賃金は,「何に対して支払うか」という賃金形態を介在させなければ決まらない。だから,職務給(職務の価値に対して支払う)か,職能給(人の能力に対して支払う)か,成果給(職務の成果に対して支払う)か,年功給(人の年齢または勤続に対して支払う)か,時間給(労働時間に対して支払う)か,といったことは重要なのだ。それによって経済システムのパフォーマンスも変わるし,「均等」や「公正」や「差別」に関する争いの結果も変わり得るのだ。
 
 現代の資本主義社会に生き,今後も相当長い間資本主義とともに生きなければならない者が,マルクス労賃論から得るべきヒントはここにあると思う。

2015年3月4日:初稿。ただちにサブタイトル付加と字句修正。
2015/3/4 Facebook
2016/1/6 Google+

2018年10月15日月曜日

マルクス経済学からピケティはどう見えるのか:米田貢教授の書評をヒントにした試論 (2015/1/23)

Ⅰ マルクス経済学者はピケティをどう評価するのかと思っていたら,中央大学の米田貢教授が『赤旗』1月21日付に書評を載せていた。私はすでにマルクス経済学一本やりではないが,マルクスの19世紀の『資本論』の世界からピケティの『21世紀の資本』を見ることは,ピケティの歴史的存在意義を考える上で有意義だと考えている。『資本論』解釈学が世界一,極端なまでに発達している日本のマルクス経済学は,マルクスに即したピケティの読み方をぜひ考えるべきだ。それを応援するために,米田教授の書評を手がかりに考えてみたい。

 米田教授は,「ピケティも含めた近代経済学の系譜に属する経済学者から次々と,国民所得の法外な部分が不労所得=金融所得として略奪されていく現代資本主義に対する批判が提起されざるを得なくなっていることは,資本主義の限界を物語るものであろう」と言われる。教授は小見出しで「『搾取』の認識が欠けている限界」とも言っている。すがすがしいほど古典的マルクス経済学を主張しているようである。ただ,ちょっと不徹底だ。労働価値説ベースでマルクスとともに搾取を認めるならば,そもそも資本家の所得は,管理者として労働した報酬を除く部分がすべて不労所得なのであって,不労所得=金融所得ではないはずだろう。

  しかし,それはともかく,米田教授の主張のマルクス経済学らしいところに注目するならば,ピケティは「正当化されない格差の拡大」を述べているが,それは要するに不労所得の増大なのだぞ,と言いたいのだろう。格差の背後に不労所得拡大を見る。これは,もっともマルクス経済学らしいものいいだ。この観点からマルクス経済学者がもっと発言することを私は期待したい。これが,米田教授の書評のもっとも積極的なポイントだと思う。

  ただ,だからといって米田教授が「ピケティの現代資本主義における社会的格差の拡大傾向についての以上の批判は,資本主義に内在する搾取関係の認識のうえになされたものではない」などと,近代経済学だから限界がある,といった方式の批判を加えるのは,いささかイデオロギー的で,しかもピケティのせっかくの理論構成を理解しない批判であり,残念だ。

 ピケティの「正当化されない」というのは,つまり「労働の能力主義的な報酬とはとても言えない」という意味だ。実はピケティには,資本所得を論じるときに,資本の運用者としてのマネジメント労働報酬を差し引いて,純粋な資本収益率を計算している箇所がある。そして,それが経済成長率より高い(例のr>g)ことが格差を広げると言っている。またスーパー経営者の報酬を論じるときも,それを国民所得の形式上では労働所得とみなしながら,実質的に能力主義で正当化できないほどの高報酬だとしている。米田教授はピケティを「経営者が受け取る経営者報酬(カッコ内は略:川端)を,労働所得として賃金と同一視」していると批判しているが,これは正確ではない。ピケティは,スーパー経営者の高額報酬は国民所得の形式上は労働所得だが,実質的に大部分が労働の成果とは言えないと言っているのだ。

  つまりピケティは,資本所得についてもスーパー経営者の労働所得についても,実はある種の「不労所得」とみなさざるをえないと指摘しているのである。マルクス経済学を使わなくても,データを現実的に見ていくことでその結論にたどり着いているのだ。私は,マルクス経済学者は,価値論の違いでいきなり他学派をダメだと決めつける古臭い論法を振り回すのではなく,せっかく,異なる理論に立っているピケティが「不労所得による格差拡大」にたどりついたのだから,そのことを肯定的に正面から受け止めて対話すべきだと思う。ピケティがどのようにして不労所得にたどり着いているのか,マルクス経済学ならばどうするのか,どこがどう違うのかを突き合せてみればよい。これは,米田教授の書評の問題点から得られる教訓だ。

---
Ⅱ 以下は,かつて『資本論』(19世紀の方)解釈を学んだものとしての蛇足的なノートだ。米田教授の経営者報酬論には賛成できない。それはマルクス経済学が間違っていると言いたいのではなく,マルクス経済学の前提に立ったとしても,米田教授の『資本論』理解は私とは違うという意味だ。

  米田教授は先に引用した,経営者報酬という言葉に括弧を付けたところで,「利子生み資本論では,資本所有の果実である利子を利潤から控除した残りの企業者利得」と書いている。私の記憶では,他にもこうおっしゃるマルクス経済学者は少なくなかったはずだ(マルクス経済学者自体が少なくなったということは脇に置くとすれば)。しかし,私はこの『資本論』理解はおかしいと思う。

  自分で経営もする個人資本家のオーナー企業ならば,利潤から利子を控除した企業者利得とは,すなわち,日常用語でいうところの企業の利潤と資本家の所得が混合したものだ。しかし,所有と経営が分離した会社について,企業者利得はマネージャー報酬と分離する。これは私が言っているのではなく,マルクスはそういうことがあるとちゃんと書いている(ほとんど知られていないが,マルクスの『資本論』にはマネージャー報酬論がそれなりにあるのだ)。マネージャー報酬はマネージャー報酬であって,企業者利得ではない。この二つを同一視する米田教授の理解には,『資本論』解釈として賛成できない。

 では,マルクス経済学の基盤上で,雇われ経営者のマネージャー報酬とは何か。それは,一部はマネジメント労働の報酬であり,賃金だ。ただし,労働者から効率的に搾取するという仕事における賃金だ。そして,その他の大きな部分は利潤からの控除だ。なぜそんな控除ができるかというと,マネージャー(これは今でいうトップマネージャーの意)は往々にして自分の報酬を自分で決定できるし,所有者(株主や,個人企業で経営者を雇ったオーナー)の監視を逃れて高額の報酬を受け取ることができるからだ。これも私が勝手に言っていることではなく,監督賃金論として『資本論』に書いてあることだ。

 そして,マネージャー報酬を控除されて残った企業者利得とは何か。それは,つまり今の日常用語でいう留保利益のことなのだ。留保利益は,今話題になっている内部留保の中核部分をなしている。米田教授のように経営者報酬=企業者利得と理解していては,内部留保はマルクス経済学的に見て何なのかがわからなくなってしまうだろう。

2015年1月23日初稿。
2015年1月24日わずかに加筆。

2015/1/23 Facebook
2016/1/6 Google+