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2018年12月14日金曜日

アニメの労働環境おそるべし+ミッキーマウスのストライキ (2015/3/14)

 濱口桂一郎さんのブログ。アニメ産業の労働問題を取り上げている。トム・シート『ミッキーマウスのストライキ アメリカアニメ労働運動100年史』の訳者久美薫さんの投稿に濱口さんが応えての紹介だ。

 何が重要かというと,久美さんはこの本の訳者解説「アニメーションという原罪」をネットに全文公開していて,このブログからリンクが貼られている。この訳者解説が,実は「戦後アニメ産業労働問題史」になっているのだ。見つけたら,あまりの迫力に思わず読みふけってしまった。

 『鉄腕アトム』の製作費が安すぎたことは有名だが,『オバケのQ太郎』,『アルプスの少女ハイジ』,『ミラクル少女リミットちゃん』『うる星やつら 乙女バジカの恐怖』などの作品製作過程で何が起こっていたか,高畑勲,宮崎駿,大塚康生らの大家たちは労働問題にどう関わってきたかが掘り下げられている。こういう話題では必ず出てくる「アニメーターは本質的にミュージシャンなどと同じ自営業です」「ラーメン屋がスープ仕込むのに何時間と営業時間外も働いてて『残業代』と言う奴いるか」などの言説もとりあげて論じている。しかも,ただの告発ではなく,業界の構造にどういう問題があるのか,アメリカのように労働組合が強くならないのはなぜなのか,下請けとフリーランス化はどのようなロジックで進められているのかなど,問題を考えさせる叙述になっている。

 アニメ産業に関心ある方,まずこの訳者解説を読んで損はないと思います。

濱口桂一郎「日本のアニメ産業環境は厳しいのではない。”違法な劣悪環境”である。」hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳),2015年3月。


2015年3月15日追加。トム・シート(久美薫訳)『ミッキーマウスのストライキ! アメリカアニメ労働運動の100年史』合同出版、2014年。買ってみたら、ピケティとほぼ同じ厚さ。

出版社のページ。
http://www.godo-shuppan.co.jp/products/detail.php?product_id=438





2018年11月19日月曜日

日本共産党が「同一価値労働同一賃金」論を肯定したことを受けて (2014/10/24)

 日本共産党が女性差別解決に向けた長文の政策「女性への差別を解決し、男女が共に活躍できる社会を」を発表した。この中で,共産党は従来と異なる見解を一つ述べている。それは,私が「企業論」の講義で取り上げている論点とも絡んでいる。

 共産党は,今回,性別を利用とした差別の禁止,均等待遇,男女雇用機会均等法に「すべての間接差別の禁止」を明記することを主張している。ここまでは従来の同党の主張と同じであるが,次が異なる。

「まったく同じ職種でなくても,必要な知識・技能や経験,負担・責任などにもとづいて公正な評価を行えるよう,批准しているILO(国際労働機関)条約「同一価値労働・同一報酬」(100号)にもとづき実効ある是正をはかります」。

 これまで日本共産党は,「同一労働同一賃金」は主張しても,「同一価値労働同一賃金(報酬)」を主張することには否定的ないし警戒的であった。このことは,共産党中央委員会労働局のスタッフであった米沢幸悦氏による「女性差別賃金是正のたたかい-『同一価値労働同一賃金』 について-」 『労働運動』 No. 333,新日本出版社,1993 年 4 月号で明確に表明されていた。特にその際,職種の異なる労働の価値を横断的に絶対・相対評価することに否定的な見解が述べられていたのだ(※)。

 この経緯からすると,今回,日本共産党が,「同一価値労働・同一報酬」というILO条約の名前を挙げるだけでなく,「まったく同じ職種でなくても,必要な知識・技能や経験,負担・責任などにもとづいて公正な評価を行えるよう」にすることを主張し始めたことは,大きな政策転換と言える。

 社会運動論的に言えば,実際に性別賃金格差是正の運動に取り組んでいる人々の多くが「同一価値労働同一賃金」論を根拠にしているのであって,今回,共産党が従来の拒絶反応をあらため,現場の政策論に寄り添ったのだと考えられる。

 日本共産党の賃金論自体も検討課題ではあるが,それよりもここで提起しておきたいのは,誰であれ「同一価値労働同一賃金」論を主張した先に待ち構えているものだ。職種を超えた「同一価値労働・同一賃金」が理屈通りに実現できれば,「同じ価値の仕事をしているのに男女で賃金が異なる」ことはなくなる。しかし,この原則を理屈通りに徹底させれば,「同じ価値の仕事をしているのに年齢・勤続が異なるから賃金が異なる」こともなくなってしまう。つまり,「同一価値労働・同一賃金」は「年功賃金」と深刻な緊張関係にある(もちろん,現実の賃金体系の中では,年齢・勤続対応分と職務対応分が共存することがあり得るが)。つまり共産党であれ誰であれ,性別賃金格差に向き合おうとするならば,年功賃金とは何であり,それをどう見るべきかという問題にも同時に向き合うことが必要となるのだ。ここが考えどころで,私自身も,講義資料の作成にあたっても難儀したところだ。続きは別の機会に。

※米沢論文が引き起こした波紋と論争について,最近では以下の論文に紹介されている。
猿田正機「日本における『福祉国家』と労使関係」『中京経営研究』22巻1・2号,2013年3月。猿田『日本的労使関係と「福祉国家」』税務経理教会,2013年にも収録されているようだ(カタログ目次から判断。実物は未見)。
 なお,米沢氏がなぜ異種労働間の横断的評価に否定的であったかについては,それだけで長文になるためここでは触れられないが,日本共産党の伝統的な賃金観,過去に職務給反対闘争を行った経緯などと関係している。

「女性への差別を解決し、男女が共に活躍できる社会を――日本共産党は提案します」2014年10月21日、日本共産党。

2018年11月10日土曜日

「同一労働同一賃金」を推進するには「職務給」を拡大することが必要 (2016/4/12)

 『日経新聞』の安藤至大氏による同一労働同一賃金の解説に,romuyaさんがコメントしているものです。元の記事は有料会員限定なのでこちらをシェア。全部賛成ではありませんが,問題の所在をよく教えてくれるという意味で有益です。
 私の意見では,同一労働同一賃金と言うのは,つまり「仕事」をできるだけ客観的に定義して,その「同一の仕事」をする「同一の労働」なのだから同一賃金だという風にしか,考えようがありません。ですから,職務給でないと厳密には実施できないと見るべきです。
 これを無理くり否定しようとする左右問わず人が多いので困ります。
 年功賃金は,ほんとうに年齢や勤続に対して払っているのであれば,「同一労働同一賃金」になるはずがない。「同一勤続年数同一賃金」にしかなりません。また,ぼんやりとした潜在能力に対して払っているのだとしても,それはどんな仕事をしているかとは関係ないわけだから,「同一労働同一賃金」になるはずがない。「同一能力同一賃金」にしかなりません。「同一能力」ならよいではないかと言う人がいるかもしれませんが,その「能力」がぼんやりとした測定困難なものであるから問題なのであり,このぼんやりした「能力」で現在の賃金の男女差や正規・非正規の差は到底正当化できません。
 もう少し実態に即した議論として,「一見同一労働でも,転勤や配置転換があるかどうか,残業要請に応じるかどうかで違ってくる」から,同一労働同一賃金を固く考えなくてもよいという主張があります。しかし,転勤や配置転換に「人」の側が応じるかどうかは,いまやっている「仕事」=労働の問題ではありません。「職務・勤務地限定の契約」の人がやっているのか,「無限定で会社命令に応じる契約」の人がやっているのかの問題であり,それによって労務管理する側が便利かどうかという問題です。これをあえて「能力」と言いたいならば,「命じられた仕事や勤務地を幅広く受け入れて対処する能力」となるでしょうが,もうそうなると「どんな仕事か」と関係なくなります。この議論は,「どんな仕事か」の境目を客観的に測定せずに,「何でもできる人を確保したい」と言う,従来の日本の労務管理の問題点を引きずっています。
 同一労働同一賃金に持っていくには,職務給が必要です。実は,日本でも職務給は広がっています。「えっ?」とお思いの方もいるでしょうが,実は非正規雇用は「○○の仕事でいくら」となっている場合が正規より多く,雑な形ではあっても職務給なのです。つまり,非正規の間だけに適用される,正規との間に構造的に格差がついている職務給です。これは広がっている。ただ,日本で正規雇用の労働者を今すぐ全面職務給に移行するのは難しいでしょう。
 ならば,「同一労働同一賃金」の推進論は,実際のところ何をめざせばよいか。これまでもある程度行われているように,賃金体系(種々の種類の給与・手当からなる賃金の構成)の一部に,仕事は仕事としてきっちり測定した,職務に基づく「同一労働同一賃金」の部分を設定すればよいのです。これは正規も非正規も同じ物差しで測らねばなりません。その上で,「職務・勤務地限定の契約」か「無限定で会社命令に応じる契約」かの違いについて,後者にプレミアムをつけます。一方で,漠然と,何に基づいているのかわからない「基本給」や,ぼんやりとした能力による「職能給」はやめ,「年齢給」「勤続給」も縮小します。男女差別は論外。
 どこまでは労使自治,どこまでは規制によって行えるかは相当な議論が必要です。しかし,10年後くらいをめどに,このような着地点をめざすのは,何とか実施可能ではないかと私は思っています。

「安藤至大先生の同一労働同一賃金解説」労務屋ブログ,2016年4月11日。

2016/04/12 Facebook
2016/4/17 Google+

メンバーシップ型の正社員とジョブ型の非正規を均衡待遇することの難しさ (2017/9/14)

 「「無期雇用へ転換、企業の覚悟問う」 東大の水町教授」『日本経済新聞』2017年9月13日。
 うーん。この問題の関連する審議会報告書などを読んでいないので断定はできないが,水町教授が何を理論的基準にして非正規の待遇を改善しようとしているのかが,よくわからない。推測するに,彼が以前から主張する「均衡待遇」論ではないかと思う。つまり,正規と非正規について,責任の重さなどで合理的な格差は認めながらも,賃金の決め方は一緒にしていく,というものだ。だから非正規も無期転換し,昇給させ,人材育成もし,格差を縮めるべきだと主張されている。この昇給とは,正規と同じ定期昇給のことであろうか。
 私は水町教授が東北大学においでだったころ組合役員をしていた。均衡待遇論を勝手に参考にして正規職員とパートの賃金表を同じものにせよと言ったこともある。ただし,教授と直接お話したのは1,2回であり,それも組合の話ではなかった。
 だが,いまになってみると非正規と正規では根本的に賃金形態が違っていることを考慮しなければならないように思う。
 正社員は多くの場合,新規学卒採用で職務を定められずに「入社」する。会社に入るのであって,特定の仕事に就くのではない。給料は職能資格制度に基づく社内資格給であり,能力に基づく支払いである。しかし,職務設計があいまいな日本企業ではその「能力」の基準があいまいになり,会社の要求にこたえて「なんでも柔軟にこなす」あいまいな能力が評価される。その上,少なからぬ場合,年功的に運用される。
 正社員は,会社の都合によって配置転換や転勤を命じられるし,時には出向さえ命じられる。それにはまず抗命できない。そのかわり,ある職務が会社の事業再編で消滅した場合,会社は別の仕事を当該社員にあてがう。これは労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎氏が言うように,仕事に就いているジョブ型契約ではなく,会社に入るメンバーシップ型契約になっているからである。
 一方,非正規は多くの場合,職務を定められて雇われる。レジ係,時給いくらという具合である。給料は水準は低いが,形としては職務給であり,仕事に基づく支払いである。
 非正規は,配置転換や転勤や出向を命じられることは少ない。そのかわり,職務自体が事業再編で消滅した場合,解雇となることが多い。スーパーの店舗閉鎖でレジが消滅すればレジ係は解雇である。これはジョブ型契約になっているからであり,何もおかしくない。
 このように,正社員と原理が異なり,事実上の権利・義務の境界線が異なる非正規を,5年経過したところで無期雇用にした場合,どうなるか。
 正社員と類似した扱いで昇給させるというならば,雇う側としては,メンバーシップ型契約への移行をはかりたくなるはずである。つまり,曖昧な職務設計でも周囲と協力して目標のために粉骨砕身努力してくれて(残業もしてくれて),配置転換や転換にも応じてくれるようにしたくなる。それができない人を正社員のように昇給させられない。しかし,メンバーシップ型契約だと日本では解雇は難しいので,数を少数に絞りたくなる。そうすると,5年経過したら希望者は全員無期転換というのがコスト的に辛いので(もともとコストを下げたいから非正規を増やしたのだ),これを何とか逃れようと手練手管を尽くすことになってしまう。
 雇われる側としても,無期になって雇用が安定するのはいいとして,配置転換や転勤を一方的に命じられるようになるのは困る。もともと,家庭の事情でパート勤務にせざるを得ず,特定の場所でなければ働けないという人もいるからだ。急に仕事の中身を変えられても対応できない場合がある。
 このように考えると,パート労働法制定時に主張された「均衡処遇」論=処遇の基準の統一論で非正規の無期転換を進めようとするのは無理があると,私は思うのである。
 合理的な方向は,非正規のジョブ型契約をジョブ型契約のままにして無期転換することであると思う。配置転換や転勤はない。仕事に即して給料が決まるのであり,年齢は関係ない。昇給はさほどない。しかし,無期契約になるので雇用は安定する。ただし,職務自体が消滅した場合は解雇されるのである。これならば,企業にとって過重な負担とはならず,非正規労働者にとっては雇用が安定する。したがって,あまり無理なく,多くの非正規を無期契約に転換できるだろう。
 この方法の問題は,正社員と,無期転換した非正規とでは,賃金の決定原理が異なるために,「どのくらいの格差ならば合理的か」を定めることが難しいということである。そのため,賃金単価を引き上げることにはつながりにくい。
 また,企業側は「仕事自体が消滅したら無期契約社員を解雇」し,労働側はそれが普通であることを受け入れる,という,従来なかった慣行への飛躍が必要となる。正直,左右を問わずこれが難しいのではないかと思う。
 しかし,「均衡処遇」論では,少数しか無期転換したくない企業側と,全員を正社員に近づけよという労働側は衝突し,制度自体が行き詰まるのではないか。それよりは,「ジョブ型契約のまま無期転換」の方が合理的で実行可能だというのが私の見解である。

2017/9/14 facebook
2017/9/27 Google+
2018/11/9 表現を修正。

「「無期雇用へ転換、企業の覚悟問う」 東大の水町教授」『日本経済新聞』2017年9月13日。しょ

2018年10月31日水曜日

裁量労働制の労働者に一律の出退勤時刻を強制してはならない (2018/9/3)

「第111回労政審労働条件分科会に提出された、労働者を対象とした『裁量労働制に関するアンケート調査』をまとめた資料では、『一律の出退勤時刻がある』と回答した労働者の割合は、専門業務型で42.3%、企画業務型で50.9%とされており、自主点検の結果とは全く異なる結果となっています。」

裁量労働制にはグレーな部分が多く,したがって法に違反していても取り締まるのが困難な場合が少なくない。しかし,クリアーに違反と言える部分もあり,それは取り締まられねばならない。さもなければ厚労省・労基署の怠慢である。

裁量労働制の本旨とは「働き方を労働者の裁量に(言い換えれば自由に)委ねる」ものであって,「何時間働いても『みなし労働時間』だけ働いたものとみなす」のはそこから派生する事柄に過ぎない。ところが,ここを勘違いして「残業代を払わなくていい」とだけ思っている政治家や経営者が少なくない。上記の数字はその証拠だ。

裁量労働制の労働者に一律の出退勤時刻を強制してはならない。強制している勘違い企業・事業所は即刻警告を受けるべきであり,改めなければ処罰されるべきである。
「「裁量労働制」ザル運用が明らかに、違法適用の疑いが続出「拡大の前にルール厳守を」」弁護士ドットコムニュース,2018年9月1日。
https://www.bengo4.com/c_5/n_8435/

2018/9/3 Facebook
2018/9/4 Google+


働き方改革関連法の成立と重要な附帯決議について (2018/6/30)

 働き方改革法案は可決されてしまったが,併せて可決された付帯決議には「高度プロフェッショナル制度」について,「◆会社側が始業・終業時間や深夜・休日労働など労働時間に関わる業務命令や指示をしてはいけないこと、働き方の裁量を奪うような成果や業務量を要求したり、期限や納期を設定したりしてはいけないと省令で明確に規定」することは明記された(引用はシェア先。厚労委の動画によれば付帯決議21で,下記動画の44:20付近で確認可能)。これは,条文では書かれていなかった「高プロ」における労働者裁量が認められるべきこと,今後省令に明記されるべきことを意味する。これが守られると,「裁量」という文字が一切ない,生の条文よりは少しまともになり,24時間365日のうちからいつでも会社が命令できる状態にならずにすむ。あわせてこれと整合性を取るために,裁量労働制で始業時間を指定することも取り締まれるかもしれない。しかし,付帯決議はしばしば無視されるので,注意が必要だ。法律はできてしまったら終わりでなく,どのように運用されるかも国民が監視していかねばならない。

参議院厚生労働委員会。法案と付帯決議の採決。2018年6月28日。
https://www.youtube.com/watch?v=6n9LFGAB36s

「監督徹底など求める 働き方法案、付帯決議47項目可決」朝日新聞デジタル,2018年6月29日。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13561724.html

24時間365日いつでも命令され得るような働き方は高度プロフェッショナル制でもなんでもない (2018/6/16)

 「高度プロフェッショナル制度」が残業代の支払逃れであり,長時間労働の放任ではないかという批判は既に野党や専門家によってなされているし,成果給導入と何ら関係ないことも指摘されている。実は,もう一つ,重大な問題がある。とくにプロフェッショナルにふさわしい働き方をしたいという人に読んでほしい。

 それは,「高プロ」は専門家の働き方として,「裁量労働制」に比べても無茶苦茶に不自由だということだ。

 「裁量労働制」は,仕事の進め方について労働者の裁量に任せる,つまり上司があれこれ指示・命令しないという制度である。実際には,始業・終業時間を定めて遅刻をとがめるインチキが横行しているが,仕事の仕方をあれこれ指図されない権利は,一応労働者は持っている。
 ところが,「高プロ」は労働者裁量に関する規定がない。ということは,上司は「高プロ」適用労働者に指示・命令することができるのである。しかも労働時間管理を解除してしまったから,24時間365日いつでも。

 大事なことなので二度言おう。「高プロ」適用者に対しては,上司は24時間365日いつでも合法的に,あれこれ指示・命令することができるのである。もちろん,始業時刻を決めて出勤させることもできるし,仕事の手順や会議の時刻をきめ細かに指定して時間拘束することもできる。三度言うが,24時間365日。私には,この法案はそうとしか読めない。

 これはプロフェッショナルの働き方ではない。会社人間を濃縮するだけの制度だ。

佐々木亮「高プロの法案を全文チェックしてみた。【前編】」Yahoo!ニュース,2018年6月15日。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sasakiryo/20180615-00086506/

「内田樹が語る雇用問題」へのコメント (2018/5/8)

「内田樹が語る雇用問題」へのコメント(内田教授の語りへのコメント3)。

4,「21世紀のニューディールが必要」論(これは賛成)
 内田教授は,「すべての企業が人件費カットに成功したら、短期的には利益が出ても、長期的には巷間に貧困者・失業者があふれかえって、購買力そのものが失われる。国内マーケットが縮小して、商品が売れなくなれば、国民経済は立ち行きません」(記事3)と言われる。また,「このまま経済を市場に丸投げしていれば、雇用崩壊、失業者の増大、階層の二極化、そして近代市民社会の崩壊と「中世化」という道筋を人類はたどることになる可能性が高い」(記事3)とも言われる。これから市場化・資本主義化する余地がある途上国はとにかく,先進国についてはそうした恐れが確かにあると私も思う。内田教授は,「自己責任で貧乏になった人間を税金で支援する謂れはない、と」(記事3)言う見地に異を唱え,「21世紀のニューディール政策」が必要だと僕は思っています」(記事3)と言われる。ここまでは,私も賛成だ。

 しかし,ここから雇用を拡大する政策や制度改革の話が出るのかと思ったら,そうではない。

5.「やりたいことをやりなさい」論
 内田教授は,インタビュアーの「これから社会に出ていく若者たちはどう備えたらよいのでしょうか」という問いに対して,「この状況下で若い人に告げるべき言葉としては、「やりたいことをやりなさい」ということしかありません」と個人の選択の問題に切り替えてしまう(そういう風に水を向けるインタビュアーにも問題があると思うが)。そして「若い人には仕事は世の中に無数にあるということを伝えたいですね。無数にあるけれど、一つ一つの求人数は少ない。そういう求人情報は若い人たちのもとには届かない。求人と求職をマッチングするシステムがないからです」(記事3)という。

 ついでに「「Tシャツと半ズボンとゴム草履でできる仕事だったらなんでもいい」とか、そういうのって実は結構あると思いますよ。僕は神戸女学院大学に就職して最初の授業の時に、ツイードのジャケットを着て、ダンガリーのシャツを着て、黒いニットタイをして眼鏡をかけて教壇に立ったんですけれど、後から考えたら、あれはインディ・ジョーンズが冒険の旅から戻って大学で考古学の授業をしている時の恰好だったんです」と意味不明の自慢を始める。まるで,自分のような気概がない若者はだめだと言わんばかりに。

 あげく「若い人たちは何も不安に感じることはないと言いたいです。もちろんある種の製造業やある種のサービス業は、機械に取って代わられるかも知れませんけれど、人間の微細な感覚や、黒白のはっきりしないグレーゾーンでの判断力とか、原理的には解けない問題を常識で解くというようなことは人間にしかできない」(記事3)と説教するのだ。

 これは理論的に古めかしい間違いだ。自己責任でない失業があるのは,有効需要が不足しているからだ。ならば,政策や制度を変更することによって需要を増やし,雇用機会を作らねばならない。「ニューディール政策」と言うなら,普通はそういうことになるはずだ。いくら「人間にしかできない」仕事があっても,それが有効需要として現実化しない限り,非自発的失業は解消しない。マルクスは19世紀の昔から,ケインズは1930年代からそう言っているのだ。内田教授はマルクスを読むことを若者に奨励していたはずだが,これはいったいどうしたことか。

 内田教授は失業の要因として,求人と求職がマッチングできていないということしか語っていない。需要が不足しているのなく,単に需要と供給が出会っていないというのだ。これなら,労働市場を完全にすれば失業はなくなる。政府がやるべきことは,有効需要創出ではなく,ミスマッチをなくすために情報流通をよくし,マッチング機会を増やすだけでよいことになる。内田教授は「市場に丸投げ」を批判しているが,マルクスやケインズのように労働市場に本質的弱点があって非自発的失業が生じると指摘しているわけではないのだ。

 結局,内田教授は,自己責任論を否定しているようでいて,記事3のタイトルのように「やりたいことをやりなさい 仕事なんて無数にある」と説教されている。それでは,きちんと探しても見つからなかったら,結局は若者の自己責任だよと言う議論になってしまわないか。

内田教授の語りへのコメント1
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/201858_31.html

内田教授の語りへのコメント2
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/201858_23.html

記事3 内田樹が語る雇用問題――やりたいことをやりなさい 仕事なんて無数にある
「人口減少社会」を内田樹と考える#3
http://bunshun.jp/articles/-/7167

2018/5/8 Facebook
2018/5/10 Google+


高齢社会を支えるために必要なのは脱労働時間給ではなく脱定年制と脱年功序列 (2018/5/5)



「肩車型社会」回避なるか 就業者増え支え手増える 」『日本経済新聞』2018年5月5日。2030年には,15-64歳の生産年齢人口1.9人で,高齢者1人を支えることになる。これでは現役世代の負担が重すぎて持たない。しかし,高齢者の就業率が上がれば,非就業者1人をより多い就業者で支えあう状態に変えられる。問題点は,高齢者の就業に非正規雇用が多く,所得が低いことだ。
 ここまでは何も間違っていない。ついでに言えば,これは安倍内閣の「1億総活躍社会」論と同じ問題意識であり,ここまでは安倍内閣も何も間違っていないと私は思う。

 問題はそこから先だ。記事は言う。「労働時間や年齢で給与が決まる仕組みを改め,働いた成果によって給与水準が決まる仕組みにすることなどが必要になりそうだ」。まったく的外れであり,『日経』がこれまで書いてきた「高プロ」や「裁量労働制」有意義論を高齢者にも当てはめているだけだ。これまで何度も指摘してきたが,『日経』は従来の給与制度は時間給で非成果給であり,「高プロ」や「裁量労働制」が脱労働時間給で成果給だという,100%誤った用語と主張をやめない。従来の労働時間制でも成果給はできるし,裁量労働制でも成果給でないことはいくらでもあるのに(『日経』の記者全員が同じ考えでないことは私も存じ上げているが,働き方改革に関する限り,『日経』は一貫して脱労働時間給論だ)。

 話のすり替えをやめて,問題を直視しなければならない。高齢者に非正規雇用が多いのは,すでに一度定年になって,再雇用されているからだ。定年前に年功賃金を得ていたから,定年後の非正規での再雇用では水準がガタッと下がるのだ。こんな当たり前のことを無視してどうするのか。

 だから本当に必要なことは,脱労働時間給ではなく,脱年功序列であり,脱定年制だ。そのために必要なのは,成果給以前に職務給だ。年齢や,正規・非正規という「身分」や,いわんや性別で賃金を左右することをやめ,仕事内容に基づいた賃金とすることだ。誰がやっても同じ仕事ならば同じ賃金とするのだ。「同一労働同一賃金」とは,日本以外のすべての国ではそういう意味だ。それで,高齢者だからというだけで賃金が下げるという現在の問題は大幅に緩和される。そして,成果給はその次に検討すべきことだ。仕事内容を明確にした上で,その成果を計らなければならないからだ。

 もちろん,長年の定年付き長期雇用と年功序列を変えることは一度にはできない。相当な激変緩和措置を入れ,時間をかけてやらねばならないだろう。また,これは基本的に企業の賃金制度であるから,どこまで法的規制ができるかも検討が必要だ。例えば,定年制に対する制限を強めた年齢差別禁止法,労働契約における職務の明示義務が有効だろう。

 自主的な動きがないわけではない。地方勤務の限定正社員制度はこの方向を向いている。また労働契約法の全面施行により,パートなどの非正規を無期雇用にする企業が現れてきたが,非正規は粗野ながら職務給なので,非正規の処遇改善も社会全体を職務給に近づけていく。これらの動きを促進することが重要だ。

 『日経』の働き方改革担当部門は,政策論を混乱させる「脱労働時間給と成果給が必要」のイデオロギーにしがみつくのをやめ,脱年功序列,脱定年制,そのための職務基準の賃金という課題を直視すべきだと,私は考える。

「肩車型社会」回避なるか 就業者増え支え手増える 」『日本経済新聞』2018年5月5日。

2018/5/5 Facebook
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裁量労働制改革の道 (2018/3/8)

 裁量労働制は,理念通りにちゃんと適用され,それに関するルールが守られるならば有効な制度です。

 厚労省のインチキ調査でなく,その前に行われたJIL-PTの調査では,以前に書いた出退勤時間が定められている「なんちゃって裁量労働制」の不備が指摘されている一方,裁量労働制は労働時間は通常の時間管理より長いけれど,その満足度は高いことも示されています。

 問題は,労働法制は他の分野の法律に比べてもちゃんと守られないということです。裁量労働制にしてはいけない人に適用したり,前に紹介したように出勤・退勤時刻を勝手に定めて遅刻をとがめたり,使用者がやるべき健康管理を怠ったり,というところに問題があります。

 また制度自体にも欠点があり,改善が必要です。たとえば,高プロもそうではないかと思うのですが,裁量労働制が労働者の裁量にゆだねているのは時間配分,業務遂行の方法,手段だけであり,そこに勤務場所は含まれていません。なので,「なんちゃって」でないちゃんとした裁量労働制を実施すると,出退勤時刻は自由だけど1日1度,一瞬だけは会社に行かねばならないという,おかしなことになっています。ICTの活用,多様な働き方,成果で評価というならば,勤務場所は業務遂行の方法,手段の一つとして,それも裁量のうちに入れるべきと私は考えています(実は,この点は国立大学法人化の際も悩みの種でした)。ここを改善しないと不自由でしょうし,場所を拘束したままでは働き方が改善されません。成果主義にもならないでしょう。

 政府の問題は,裁量労働制の悪用による長時間タダ働きこきつかいを放置していることであり,不完全な制度を放置していることであり,それによって労働者を追い詰め(結局は会社のビルに閉じ込め),日本経済の生産性を下げていることです。これを改めようとせずに適用範囲を拡大し,高度プロフェッショナル制度を導入する法案には,私は野党とともに反対です。

 しかし,野党は,労働時間の長さも問題にすべきですが,そこだけに焦点を当ててはいけません。まして,裁量労働制それ自体が悪いとするのはもっとだめです。そうではなく,裁量労働制を適切に適用させるために,悪用,乱用を防止する手立てを政府に求めることと,制度自体の不備を改善させて,本当に創造的で専門的な働き方を支援していくことが必要です。

 なお,シェア先の記事は,野党の批判の単純さを主に批判しているように見えますが,本来の問題は,現行制度と運用の不備を政府が放置したままであることです。野党の力不足は深刻な問題ですが,ここで主に追及されるべきは労働行政であり,その不備を放置したままで新たな制度で人目を引こうとする政府の方であることをとりちがえてはなりません。

磯山友幸「長時間労働だけが「過労自殺」の本当の原因なのか」講談社,2018年3月8日。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54742

2018/3/18 Facebook
2018/3/25 Google+

働き方改革方案からの裁量労働制適用拡大の削除について (2018/3/1)

 働き方改革方案から裁量労働制を削除するのは妥当な線ですが、高度プロフェッショナル制度はまだ残っています。そちらもいったん撤回すべきでしょう。
 裁量労働制を適用拡大していけないのは、政府の調査がずさんだからというだけではありません。根本的には、裁量労働制なのに1)出退勤時間を決めて管理する、2)指示命令で仕事をさせるなどのインチキが横行していることにあります。それではただの残業代逃れ制度ですし、肝心の、クリエイティブでプロフェッショナルな働き、長時間働くのでなく生産性を上げて成果を出す働きはできません。このまま「高度プロフェッショナル制度」を導入すると、また同じことになります。
 安倍政権の誤りは、「規制が経営を邪魔しているのであって、経団連など大企業経営者の意見を通せば生産性が上がる」と思っているところにあります。この場合は、逆です。「大企業経営者が目先のことだけ考えて安直な労務管理をしてきたことが、日本の生産性を低めている」のです。
 野党は労働者の健康の立場から反対していますが、私は国際的に生産性の低さを問われている日本経済改革の見地からも反対します。まずは、「なんちゃって裁量労働制」をなくすために、現行の法律の解釈・運用を整備し、必要ならこのために法改正をするのが先です。 

2018/3/1 Facebook
2018/3/25 Google+

「裁量労働制なのに出退勤時刻が定められている」という欺瞞を指摘し,これを改める方策を提案する (2018/2/24)

 「働き方改革」で裁量労働制の適用拡大が問題となっている件。厚生労働省の不適切データが論外である点はすでに他の方が批判されている通りだ。そしてこれも指摘されつつあるように,不適切データの下になった厚労省のずさん調査より前に、厚労省管轄の独立行政法人である労働政策研究・研修機構(JIL-PT)が「裁量労働制等の労働時間制度に関する調査」をしており,そこでは裁量労働制の方が通常の労働時間管理より長いことが明示されている。この調査を無視して,厚労省のずさん調査だけ使おうとしたことはさらに不適切であり,裁量労働制の労働時間を意図的に小さく見せようとしたのではないかと疑われても仕方がない。

「裁量労働制等の労働時間制度に関する調査結果労働者調査結果」全文
http://www.jil.go.jp/institute/research/2014/documents/0125.pdf
1か月平均労働時間のデータは77ページにある
専門業務型裁量労働制:203.8時間
企画業務型裁量労働制:194.4時間
通常の労働時間制:186.7時間

 以上は,すでに指摘されていること。ここでは,このJIL-PT調査結果により,裁量労働制の適用拡大の問題点として,従来あまり注目されていないところを考えたい。実は以前にも書いたことだ(2015年2月15日)。

 裁量労働制とは,よく知られているように「実際にいくら働いたかに関係なく,みなし労働時間だけ働いたことにする」ということであるが,それだけではない。

 そもそも何でそのような働き方が認められるかというと,「時間を区切ったうえで上司が指揮命令して働くのでなく,労働者が自分の裁量で働くのが適切な業務だから」だ。当然,そこには出退勤時間や休憩時間を自分で決めることも含まれる。例えば,私は専門業務型裁量労働制が適用されているが,残業代がつかないかわりに,何時に出勤し,何時に退勤し,昼休みをいつどれだけとろうとも自由だ。昼間に病院に行っても何も問題はない(子どものいる先生が保育所の送り迎えをするのも自由だ)。そして研究業務に関しては上司の指示・命令を受けない(教育,管理運営,社会貢献については授業時間のように時間拘束があるし,指示・命令を受けることがある)。

 ところがわが国全体として横行しているのは,以下のようなことだ。
*「一律の出退勤時刻がある」
・専門業務型裁量労働制(以下「専門型」N=2741):42.5%
・企画業務型裁量労働制(以下「企画業務型」N=1167):49.0%
・通常の労働時間制(以下「通常」N=3072):91.6%
*「決められた時間帯にいれば出退勤は自由」
・「専門型」14.5%
・「企画業務型」11.3%

 そして,上記二つの解答をした人が遅刻した場合の対応(複数回答あり。「専門型」N=1562,「企画業務型」N=704,「通常」N=2886)は,
*「上司に口頭で注意される」
・「専門業務型」42.6%
・「企画業務型」で43.3%
・「通常」47.8%
*「勤務評定に反映される」
・「専門業務型」24.6%
・「企画業務型」22.7%
・「通常」33.4%
*「場合によっては懲戒処分も科される」
・「専門業務型」4.3%
・「企画業務型」6.5%
・「通常」9.5%
*「賃金がカットされる」
・「専門業務型」10.6%
・「企画業務型」10.8%
・「通常」25.8%

※JILプレスリリース~「裁量労働制等の労働時間制度に関する調査結果 労働者調査結果」~ (2014年6月30日)
http://www.jil.go.jp/press/documents/20140630_125.pdf

 このような「なんちゃって裁量労働制」を許してはならない。これでは,全然クリエイティブな企画業務もできないし,プロフェッショナルな働き方などできない。

 これは,裁量労働制についての法解釈があいまいで,出退勤時刻を決めることが違法という解釈が確立していないことから来ている。このような事態を放置してはならない。

 「働き方改革」の前提として,理念を裏切り,人をがんじがらめに勤務時間で縛りながら残業代を払わない,「なんちゃって裁量労働制」を根絶することから始めるべきだ。

 その手始めとして,「裁量労働制適用労働者に一律の出退勤時刻を課したことが明らかになった企業については,労基法違反として注意その他の過程を経ることなくただちにその名称を公表し,当該労働者に関する裁量労働制を違法・無効とした上で,違法な裁量労働制の実施期間中に実質的に行われたと推定される割増賃金をさかのぼって支給すること」を提案する。そのために,「裁量労働制適用労働者に一律の出退勤時刻を課すことは違法」という命題を政府見解,行政の法解釈として明示すべきだ。

「裁量労働制データ偽装問題 厚労省に“確信犯”の疑惑浮上」『日刊ゲンダイ』2018年2月24日。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/223854/2

2018年10月30日火曜日

過半数代表制の母数に非常勤講師を含めることの是非に関する経験的考察:東北大学の雇い止め問題を素材として (2018/1/13)

 首都圏非常勤講師組合のメンバーが,就業規則に不備があったとして東北大学を労働基準監督署に告発した件。告発する側の論理は,こういうことだと思われる。「労働契約法の全面施行に伴って,通算5年を超える有期雇用の教職員に無期雇用転換の権利が生じるのを,東北大学は就業規則の変更で有期雇用の教職員は5年を限度にした。ところが,就業規則変更の際に義務付けられている労働者過半数代表からの意見聴取において,非常勤講師やアシスタント(はっきりしないがたぶんリサーチ・アシスタント(RA)かティーチング・アシスタント(TA)のことだろう)を母数に含めなかったので違法だ」。

 これは,実はパンドラの箱を開けるような難しい問題である。

 もともと,過半数代表制というのは非常に脆弱な制度である。労基法が制定された戦後直後は,労働組合が燎原の火のように勢いよく結成されており,「労働組合があるのが当たり前」になりそうであった。だから,労基法は労働組合があることを予定して,経営者に対し就業規則変更に際には過半数労働組合の意見を聞くことを義務付けた。そうした組合がない場合は余り予定されていなかった。一応,労働者の過半数代表の意見を聞くこととしたが,この過半数代表とはどういう母体の下でどう選ばれるのか,その公正さはどう担保されるかはすべてあいまいなままだった。そんなことで,どうやって過半数代表制の公正さを判断するのだという問題がそもそもある。

 次に,労基法は実態主義だということが問題を複雑にする。国立大学教職員は2003年度までは国家公務員だった。国家公務員法は形式主義なので,法と規則で決めればそのとおりになる。わかりやすい例では,上司が残業命令を出さない限り,実態がいかにひどいサービス(不払い)残業であれ,超過勤務とは認められない。裁判に訴えてもほぼ100%負ける。しかし労基法では,逆に上司が命令しようがしまいが,実態として超過勤務せざるを得ない状況で終業時刻後も働いていたならば,超過勤務と認められる。裁判に訴えると労働者が勝つ可能性が高くなる。

 東北大学の法人化に伴い,教職員が非公務員化されて労基法適用になるので,労働者過半数代表制をどう設計するかが問題となった。その際の一つの論点は,実態論としてどこまでを労働者過半数代表制の母数に含めるかだった。いまは管理職の私だが,当時は数百人の小さな組合である東北大学職員組合の役員であり,事業所ごとの過半数代表制度のモデルを提案した当事者だった。最初に問題になったのは,準職員(フルタイム非正規)や時間雇用職員(パートタイマー非正規)の扱いであり,これについては母数に含めることで合意した。世間で企業別組合の問題点として言われる,非正規職員をまるきり無視する対応は,大学も組合も取らなかった。そもそも組合の要求の眼目の一つが,法人化直前に非正規職員が雇い止めされないようにすること,処遇を改善することだった。

 しかし,非常勤講師やRA,TAの扱いは,正直どうしていいかわからなかった。非常勤講師の実態は千差万別である。他に○○大学教授などの本職があって,2単位(30時間/年)だけ東北大学に教えに来る人もいる。これだと,東北大学での講義は,いわば連続の講演みたいなものである。現に,形式上は報酬を謝金として措置していた。しかし,一方で非常勤講師が本職で,複数の大学の掛け持ちで食べている人もいる。ただし,おそらく首都圏や関西圏などの大都市圏に比べると少ない。なぜなら,仙台では掛け持ちできるほど大学がないので,非常勤だけで食うことがそもそも難しいからだ。またRAやTAも,形式としては法人化以前から雇用形式だったが,年間30時間程度から年間500時間を超える人までさまざまであった。RAとTAはほとんどが院生であり(少しポスドクもいる),本当にどうしても人手が必要だから雇っている場合もあれば,院生の生活支援のための奨学金的意味合いで雇っている場合もある。もちろん,後者でもカラ出勤がないように有効な仕事を割り振ってはいるが。

 結局,2004年4月の法人化に際して,東北大学は,労働者過半数代表の母数に非常勤講師とRA,TAは含めないという方針を取った。実際,いまでも東北大学の「教職員数」に非常勤講師やRA,TAは含まれていない。そして,この時,私を役員の一人とする東北大学職組も,それに特に反対はしなかった。私もどうしたらよいかわからず,組合の立場から宮城労働局に相談に行ったが,そこでも労働基準監督官からは「実態による」としか言われなかった。ついでに言うと,東北大職組は当時,非正規職員は大いに組織化対象としたが,非常勤講師は対象としなかった。なぜなら,非常勤講師で食っている人は必ず複数大学を掛け持ちしているのであり,それならば「企業別組合」である東北大職組よりも,一般組合や,職能別組合である非常勤講師組合に入ってもらう方が有効と思えたからだ。東北大職組では他大学と交渉できないが,一般組合や職能別組合ならば,一つの組合で複数の大学と交渉できるからだ。

 この,法人化時点で東北大学が非常勤講師やRA,TAを労働者過半数代表制の母数から外したことが,正しかったのか間違いだったのか,いまでも正直わからない。

 しかし,労働契約法に基づく無期転換の問題が起こってみると,また話は違うと思う。少なくとも,新たに3つの点が争点になると思うからだ。第1に,早稲田大学の事例により,非常勤講師は業務委託を受けているものでなく労基法上の労働者であるという判断が主流になったことだ。それなら,他の大学でも実態に応じて労働者と認め,過半数代表制の母数にすべきではないかということになる。第2に,実態として非常勤講師を本業としている人が,実はかなりの数いるのではないかという問題だ。このことを法人化時に精査しなかったのは,大学の問題であるし,また私を含む組合の問題だったと思う(正直あの時は殺人的な忙しさで,精査しようにもできなかっただろうが)。そして第3に,他のことはとにかく,労働契約法に基づく無期転換ができるかできないかは,非常勤講師にとって死活の問題であり,したがって当事者として就業規則変更過程に参加する資格を持つべきではないかという論点だ。

 私は労働法の専門家ではないので間違っているかもしれないが,自分の知識が及ぶ限り,この三つの論点を精査しなければならないと思う。そして,場合によっては東北大学の就業規則変更が違法・無効とされる可能性もあると思うし,そうなった場合には有期雇用の通算機関が2018年3月末で5年に達する有期雇用の教職員のうち,希望する人すべてを無期雇用にするしかないように思う。



<東北大雇い止め>非常勤講師ら大学側を告発「就業規則変更は無効」『河北新報』2018年1月12日。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201801/20180112_13006.html

部活動顧問の負担を解決するためには「タダ働きは絶対に許されない」を根本に据えるべきだ (2017/12/4)

 内田教授は(「部活動は教員の仕事か? 中教審「中間まとめ」に期待すること」の中で),部活動顧問の過重な負担に苦しむ教員を救う現実的な道として,「時間外に及ぶ部活動の命令はできない」「部活動は本来的業務ではない」ことを明確化するのが有効だとしている。しかし,それでは解決しないのではないか。というのはわが日本社会のパターンとして「だから命令でなくお願いしているのだ」「本来業務ではないので給特法で禁じられた残業ではない」「だから手当も払わない」ということになり,「教員との合意のもとでボランティアとして行ってもらっている」という名目のサービス残業になるのではないか。これでは,内田教授の意図とは逆に,今の状態を追認することになるのではないか。

 私は逆の方向に解決の道があると思う。部活動顧問は明らかに仕事なのである。したがって残業であり超過勤務である。「公立校の教員に対して、時間外労働を命じないことならびに時間外労働の手当を支払わないこと」給特法で残業は禁じられているから,部活動顧問は違法である。よって法を守るためには,部活動の大部分は廃止するしかない。

 それはいくら何でも無茶だという話になるだろう。ならば,道はただ一つ。残業させるのだから,残業代を払うことである。つまり「公立校の教員に対して、時間外労働を命じないことならびに時間外労働の手当を支払わないこと」を定めている給特法を廃止すれば,それでよいのである。私は,なぜ公立学校の教職員組合が給特法にあまり反対しないのかわからない。制定時に何かの意義はあったのかもしれないが,今この瞬間果たしている役割は,事実上の超超超ブラック労働法であり,不払い残業公認法に過ぎないと思う。どなたか反論があれば聞かせていただきたい。

 もちろん,給特法廃止だけで一気にすべては解決しない。残業代をもらえることと,部活動顧問という労働が減ることは別だからだ。残業代はたくさんもらえるが,いままでどおりに忙しいということは起こり得る。

 しかし,それでも事態は確実に改善すると私は思う。なぜかと言えば,このご時世,公立学校と地方公務員の人件費財源も逼迫しており,残業代の財源も限られるからだ。部活動顧問の労働により人件費財源がひっ迫すれば,各自治体は真っ青になり,いやがうえにも残業を減らさざるを得なくくなるだろう。国家公務員と異なり地方公務員は労働基準法が適用されているから,超過勤務については,実態に即して割増賃金を払わねばならないのだ。

 それでも部活を縮小せずに不払い残業が強要されたらどうするか。教員やその組合が労基法違反で訴えればよいのである。いまは一方で部活動顧問の業務性がはっきりせず,他方で給特法があるために,それができない。しかし,不払い残業であれば訴えることはできるし,勝訴の確率は高い。

 国民世論の反応も考えてみればいい。先生を休ませろ,いや部活も大切だから働かせろ,では教育学上の水掛け論になり,価値判断を争わねばならない。しかし,私の意見では,これは本来そんな話ではない。「タダ働きは不当である」という話なのだ。いかに保守的な世の中と言えど,左右を問わずほとんどの人がこれには同意する。これならば,世論は教員に味方する。

 結論。私は,部活動顧問の負担に関しては,教育のあり方を主眼とする話をただちに中止し,「タダ働きは絶対に許されない」ということを根本に据えて改善を図るべきだと考える。そのために,給特法を廃止するのが相対的に最善の道だと思う。

内田良「部活動は教員の仕事か? 中教審「中間まとめ」に期待すること」Yahoo!ニュース,2017年12月3日。

2017年12月4日 Facebook

2018/10/30補足
 2018年になってから,内田良教授は給特法の持つ問題に,それまでより強く注目するようになった(※1)。よって私は,この記事を書いた頃よりも内田教授の意見を支持できるようになった。

内田良「教員の9割「残業代ほしい」 若手に顕著 教員の「意識」に迫る」Yahoo!ニュース,2018年10月29日。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20181029-00102199/

2018年10月29日月曜日

外国人労働者について:もはや「受け入れるか,受け入れないか」の問題ではなく,「どう受け入れるか」の問題である (2018/6/6)

 NHKクローズアップ現代「自称“難民”が急増!? 超人手不足でいま何が…?」を視た。また本日の『日本経済新聞』紙版の1面トップは「外国人就労拡大を表明 首相『仕組み早急に』」であった。

 コンビニも中小建設業も中小製造業も農業も水産加工業も,外国人がいないと成り立たない状態になっている。そして日本人労働者の絶対数は今後必ず減っていく。もはや,秩序ある受け入れ拡大による共生しか道はない。不安を抱く日本人がいるのももっともだが,コンビニと居酒屋が片端から閉店し,住宅建設が止まり,注文したものは届かず,農産物価格が高騰し,地元の中小企業が人手不足倒産するのも困るだろう。すでに,「受け入れるか,受け入れないか」の問題ではなく,「どう受け入れるか」の問題になっているのだ。

 高度人材については弊害はほとんどないので,問題は技能労働者の受け入れ方だ。受け入れるしかないのに受け入れる制度がない結果,1)技能実習生として働く,2)留学生が限られた時間だけ働く,というケースが多くなっている。そして,技能実習生はもともとそうだが,留学生の中にも,もともと働くことが目的の人までが現れつつある。さらに,本日報道されたように3)政治的迫害を受けたわけでもないのに,難民を申請して,申請結果が出るまでとりあえず在留資格を得て働くケースが生まれている。1)2)3)を仲介するブローカーが日本と現地の間で活動する。そして,これらの労働力を日本企業も求めているのだ。これは,さしあたりの人手不足の緩和にはなるし,誠実に雇用する日本の経営者,誠実に働く外国人ももちろん多いことを私は知っている。しかし,制度の裏をかいた行動だけに,日本社会と在留外国人の双方にとっての弊害を避けられない。転職を禁止されている技能実習生への迫害,教育機関の質の低下,いい加減な情報で手数料をかすめとる悪質ブローカーの跋扈などだ。

 この歪んだ状態を改めるためには,技能労働ビザを拡充し,身元や日本語の確認などをきちんとしたうえで計画的に受け入れを増やすしかないだろう。私は,ここまでの論点に関する限り,政府の拡大方針は,着手するのがあまりに遅かったとはいえ,大枠で支持する。

 あとは,一方で教育や難民受け入れ制度を歪める抜け道利用の穴を防ぎ,他方で外国人に対する賃金や居住隔離での偏狭な差別が起きないように具体的な政策を詰めていくべきだ。例えば,私は,もともとは他の領域での解決のために,今後,職務ベースで,つまり仕事と勤務地を明示し,誰がやっても(年齢,性別,国籍にかかわりなく)同じ賃金として契約することを法制的に促す働き方改革を進めざるを得ないという意見を持っている。つまりはあいまいな契約をなくし,年功序列と定年制の改革を促す法制だ。この改革は外国人労働者受け入れを円滑に進め,紛争を防止するためにも有効だろうと考えるようになった。

「外国人就労拡大を表明 首相『仕組み早急に』」『日本経済新聞』2018年6月6日。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO31413180V00C18A6MM8000/

自称“難民”が急増!? 超人手不足でいま何が…?」NHKクローズアップ現代,2018年6月6日。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4142/index.html

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2018年10月27日土曜日

働き方改革と最低賃金。3人の方へのインタビューを読んで (2017/02/23)

 以前も書きましたが(),私は冨山和彦さんに賛成で,全国一律最低賃金制を導入して,水準は時給1000円にすべきと思います。企業経営者の知人の苦悩の顔が浮かび,また実は大学の予算管理という点から私自身が苦悩しないでもないのですが,一応学者なので自分の都合を離れて申します(実は,配偶者控除縮小にも,空に向かって絶叫しながら歯を食いしばって賛成しています)。
 時給1000円を社会的基準とし,企業の方がそれにあわせて生産性を向上させるべきだと思います。ブラック企業を根絶するという意味でも,地域別でなく全国一律最低賃金にして地方のセーフティネットにするという意味でもプラスだと思います。ブラック企業を一つずつ取り締まるよりも,また春闘のたびに政権から企業に賃上げ要望するなど健全でなく,漏れも大きいやり方よりも政策実施コストも下がるでしょう。所得が低い人は,増えた所得を消費に回す率が高いですから,賃上げは有効需要にストレートに結びつきます。それによりデフレ脱却にもプラスです。
 鶴光太郎さんのように,生産性と関係なく賃金を上げるのはおかしいというのは,経済学者の,普通の,しかし教科書的過ぎる反応です。現在の独特な状況を出発点にすべきだと思います。現状は,失業率が下がっているのに慢性デフレから脱却しない状態です。政府から経団連に申し入れてまで名目賃金を上げようとしても消費が盛り上がらない。それは,この方法では大企業や正社員にしか賃上げが及ばないからです。デフレ脱却を確かなものにするのは,低所得層の賃金上昇です。賃金が上がった分を確実に使いますから。慢性デフレというもともとの状態が歪んでいるので,それを解消するための措置としての一律賃上げは有効だと思います。
 藤川さんのおっしゃる1500円というのは社会運動の側から,これだけあれば何とか食える水準として出されています。それはもっともですが,賃上げ率が中小企業に厳しすぎて,無理だと思います。1000円から始めることに運動の側も集中した方が良いでしょう。
 ただし,何事もよいことばかりではありません。最低賃金1000円だと,1)企業は生産性を上げるために自動化に努力するか,2)組織と人の使い方を工夫するか,3)耐えられずに事業を縮小するかです。2)はよいとして,1)と3)だと,少なくとも一時的には雇用が縮小します。その副作用は覚悟しなければなりません。
 しかし,それがあるにしても,失業率が3.18%まで低下し,あちこちで人手不足になっている現状は,実行のタイミングとしては悪くありません。また,その失業増加に対してこそ,どうせジャブジャブと行うのですから,財政政策を雇用重視にシフトさせて使うべきです。確かに,それでは財政赤字問題は好転しません。しかし,現状のように,財政赤字を出しても出しても効き目が薄い状態よりは,はるかにましで有効だと思います。賃金インフレと生産性格差インフレのおそれが出て来るかもしれませんが,もともと慢性デフレよりはある程度のインフレが望ましい状態ですから,これまでいまよりははるかにましでしょう。それに,金融のジャブジャブ緩和だけで起こすインフレよりは,庶民がやや明るい気分で物を買っている中でのインフレの方がはるかに健全だと私は思います。つまり,副作用はあるのですが,いまならば,他の時よりははるかにまし,というのが私の政策判断です。
 なお,鶴さんがひとつ重要なことを言っています。それは,「最低賃金近くで働く人は非正規雇用が多く、家計を担う人もいる。同時に一家の大黒柱がいる比較的裕福な家庭で、補助的にパートやアルバイトをしている主婦や学生もいる」ということです。非正規の問題は,この後者の人が「家計補助だから安くても困らないでしょ」ということで低賃金にされてしまうことです。それは,非正規の仕事で「家計を担う人」の賃金を下方に引っ張ります。結果,困窮します。また,同一労働同一賃金でなく,人を見て払う賃金が定着し,その評価基準はあいまいになります。むしろ,「中高年女性だから家計補助で,安くてもいいでしょ」という昭和的慣行が重しになって,全体が下がります。
 家計を担う人と主婦パートの差をなくすようにし,職務評価に基づく賃金の慣行(同一価値労働同一賃金)を広げていかないと,この重しの作用がなくなりません。この現実に気が付いたのは鶴さんが鋭い。ところが鶴さんは,「最低賃金はそのすべてに及び、生活に困っていない人の所得まで同時に上げるので、低所得者や貧困対策としては漏れが多い」としてしまいます。これは昭和の世界の発想です。確かに,1980年代までなら,非正規の主流は正社員の夫を持つ主婦パートだったから,生活に困るほどではなかったかもしれません。でも,この20年間は,非正規で食っている人が増えているのです。「家計補助だから安くていいでしょ」という慣行こそが貧困をひろげる「重し」なのであって,これを取り除くためには最低賃金引き上げは有効であり,副作用よりプラスの効果が大きいと私は思います。

2015年10月28日投稿。

「論点 働き方改革と最低賃金」『毎日新聞』2017年2月22日。
http://mainichi.jp/articles/20170222/ddm/004/070/046000c

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東北大学における非正規職員の雇止め問題。その後 (2017/03/18)



東北大学における非正規職員雇い止め問題,その後。東北大学は,有期雇用の非正規職員(準職員・時間雇用職員)を,雇用期間5年とする就業規則に基づき,平成30年3月から雇止めするという方針は変更しなかった。そのかわりに提案されたのが「限定正職員制度」である。大学本部または部局による審査や業績評価を経て採用される,「業務限定」または「目的限定」の職員である。労働時間は色々であり,正規職員に準じた待遇となる。業務限定職員は期間の定めのない雇用であり,目的限定職員は,プロジェクト予算等で雇用されるため,予算の終了・職務消滅とともに契約が終了する。採用数は限られるので、雇い止めがなくなる訳ではない。
 限定正職員制度は,それはそれであったほうがよいのだが,問題は,労働契約法に基づく無期転換は一切行わないとしていることだ。これでは,いかにも無期転換を行わないために限定正職員制度が持ち出されたと取られても仕方がない。
 案の定,宮城労働局は1月末から昨日3月17日に至るまで3回も啓発指導を行っている(シェア先。東北大学職員組合のサイトによる)。 
・労働契約法第18条に基づく無期転換を回避する目的での雇い止めは好ましくないこと。
• 労働契約法第19条によって、反復更新してきた労働者を雇い止めすることは法に抵触する恐れがあること。(啓発指導にとどまらない法的リスクがあること)
• 今後、反復更新されている労働者から個別の訴えがあれば文書での指導もありうること。
 啓発指導には強制力はないが,大学の対応が労働行政の印象を相当悪くしていることは否めない。今後の展開は色々あり得るが,予断を許さない。少なくとも,大学側が「以前から就業規則で雇用期間は5年限度と定めているのを守っているのだから,労働契約法逃れではない」と言っているのに労働局が納得していないことは注目すべきだ。「労働契約法第18条に基づく無期転換をまったくやらず,かわりに人数を絞って限定正職員制度というのは,あまりに露骨で,法の趣旨に無理解である」とみなされている可能性がある。
 私は研究科運営会議のメンバーであり管理職であるが,それにしても大学本部の提案はすじが悪かったと思う。これまでも述べてきたが,以下のようにすべきだったのではないか。
・通算5年を超える準職員・時間雇用職員は,従来と同一労働条件で契約をそのまま無期化する。
・ただし,就いている職務が平成30年4月以後は継続しない場合,継続はするが職務存続期間が明らかに限定されている場合は別途の扱いとする。
・職務ベースの雇用であることを明確にし,本人の意思に反した配置転換や転勤は行わない。空きポストがあった場合には学内公募を行うなど,本人の希望による昇進や配置転換の機会をつくる。
・職務が縮小・消失する場合には労働契約変更による勤務時間の短縮や,解雇がありうることを労働条件において明示する。
 しかし,組合との交渉記録を読むと,大学側は「無期契約の労働者に対して解雇することはできない」という通念からまったく動かないように見える。これは一見すると雇用を守っているように見えるが,その結論は「だから非正規の無期転換はできない」なのだ。
 ここは重大だ。「とにかく,無期契約の労働者は解雇しない」という日本的雇用慣行を貫くことが,「だから無期雇用の労働者は増やさない=短期雇用しか増やさない」ことでもあり,かえって非正規の雇用を不安定化してことが,はっきりとわかるからだ。このことは東北大学に限らない。企業でも今,起こりつつある問題なのではないか。
 労働契約法を守り,不安定な有期雇用を減らして無期雇用を増やそうとすると同時に,もはや高成長が期待できない日本で企業経営の合理性を守ろうとするならば,職務をベースにした雇用を広げるしかない。意図に反した配置転換や転勤は命じられない代わりに,職務が消失する場合の解雇は普通にあり得るという慣行をひろげるしかない。労働契約法が示している雇用改革の方向性はこのようなものではないのか。安倍内閣の働き方改革にも野党からの対案にも,この論点が十分入っていないことには,私は危惧を覚える。

東北大学職員組合「宮城労働局、東北大学に対して指導を行う」2017年3月17日。

東北大学における非正規職員雇い止め問題についての見解(2016年7月24日facebook, 7月25日Google+)
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2017/3/23 Google+


続・東北大学における非正規職員の雇止め問題:無期転換の先にあるもの (2017/01/10)

7月24日(Google+転載は25日)以来続きを書かなかったのは,労働契約法の趣旨を守った場合の,その先に待ち構えている困難について頭を整理しなければならなかったからだ。そしてそれが,東北大学だけの問題では全くなく,日本のどこの企業でも起こり得ることだからだ。

 労働契約法は,有期雇用労働者が5年を超えて雇用された場合に,本人の申し込みによって無期契約に転換できることを定めている。この規定が適用されるのは,2018年4月1日に5年を超える人からだ。

 対して,東北大学の就業規則は,有期雇用労働者の契約更新限度を5年と定めている。就業規則に従えば,2018年3月31日で採用後5年となる人は契約を更新されず,雇い止めになる。東北大学職員組合,東北非正規教職員組合,首都圏大学非常勤講師組合の3つの労働組合は,この雇い止めは労働契約法の規定を逃れるためのものであり,労働契約法の趣旨を曲げるもので不当であるとして,希望する非正規労働者全員の無期転換を求めている(※)。

 これについて,昨年から厚生労働省は,無期転換を避けることを目的として無期転換申し込み権が発生する前に雇い止めをすることは望ましくないという見解を表明している。文部科学省は12月になってこの厚労省見解を大学に伝え,この問題への対処を促している。情勢としては大学の側が追い詰められている。5年雇い止めの一律適用を何らかの形で修正せざるを得ないであろう。

 私は以前の投稿で,「職務自体が事業終了や組織再編で消滅する場合を除いて,希望者全員を無期転換することが適切」とする見解を表明した。いまもこの見解には変わりはない。つけ加えるならば,査定によって更新が左右されることが前の更新時に合意されている労働者については,査定結果によって雇い止められることもあり得るだろう。

 しかし,このような無期転換が実現したとしても,問題は終わらない。無期転換した後に起こる雇用問題はきわめて深刻だと予想されるからだ。

 2018年4月以後もこれまでと同じ職務(仕事)が存在するならば,同じ人を雇ってきちんと働いてもらえば何も問題はない。そこまではよい。問題は,その後に事業終了や組織再編で職務が消滅する場合だ。大学経営側はどうすべきであり,労働組合はどう主張するつもりだろうか?

 正規職員の場合は,「大学内で配置転換して別の職務を割り当てる」が妥当な答えであり,現にこれまでも東北大学ではそうしてきたし,これは日本の雇用システムの中で一般的な対応だ。慣行として解雇を避け,定年までの雇用を維持するのだ。では,無期転換した非正規,つまり東北大学で言う准職員(フルタイム)や時間雇用職員(週30時間以内パートタイム)がついている仕事がなくなった場合はどうか。

 「配置転換すべきだ」と組合側は言うかもしれない。だが,その主張を,正規職員と同じように押し立てることは難しい。なぜなら,正規職員は勤務事業所や職務を定めずに「東北大学の職員」というくくりで雇われているが(メンバーシップ型雇用),非正規職員は事業所や職務を定めて雇われているからだ(ジョブ型雇用)。さらにいうと,大部分は事業所の予算と権限で雇われている。

 メンバーシップ型の場合,特定職務がなくなっても労働契約の基礎は失われないので解雇される理由にはならない。他の職務を割り当てよと労働者が要求することももっともだ。しかし,ジョブ型雇用の場合,労働契約の基礎にある職務そのものがなくなった場合は,契約終了,すなわち解雇は,論理的には自然な措置である。この場合の解雇は,東北大学全体の経営が苦しいからでもないし,当人の成績が悪いからでもない。単に,契約していた仕事そのものがなくなったからである。したがって,不当解雇ではない一方,労働者側にも何も責められるべきことはない。

 しかし,この主張は,日本社会においては,労働組合はもちろん,少なからぬ経営者にも受け入れられない,あるいは実行しがたいと思われるかもしれない。日本では,ある特定の職がなくなったからと言って,労働者を解雇することは少ない(もちろん,ないわけではなく,この失われた20年には増えつつある)。非正規の場合は解雇ではなく雇い止めをするのが普通である(後述)。解雇は,経営者としてやるべきでないこととされる一方,解雇されたという経歴は労働者にとっては,問題人物としてその後の職業生活でも不利になりかねないものである。「解雇=悪いこと」「解雇された人=問題人物」という2種類の観念が非常に強力なのが,戦後日本社会の特徴なのだ。したがって,一つ一つの解雇が紛争になりやすい。

 では,無期転換した非正規労働者も,職務消失の場合に解雇せず,配置転換して別の職務に移せばよいか。その余裕がある大学ならやってもよいだろう。しかし,二つの点で問題がある。

 一つは,現在の国立大学にそのような余裕がないということである。国立大学の経営は苦しく,今後も量的拡大は望めない。そもそも18歳人口が減少し続けている間は,むやみに拡張すべきでもない。ということは,大学全体として職務の量,数は減少する可能性もある(説明責任強化や学生サービス重視,国際交流のために増え続けているという現状はあるが)。職務の量=必要総労働時間が減少するときに,職務を失った人を配置転換をするのは困難である(どうしてもするならばワークシェアリングが必要)。このような時に,人員削減を制限されては国立大学はますます苦しくなる。

 もう一つは,このような措置を取るならば,無期転換した非常勤の契約の基礎が変わってしまうということである。特定の事業所の特定の職務のために雇われる(ジョブ型雇用)のではなく,東北大学に雇われる(メンバーシップ型雇用)ことになる。これは契約上の混乱を招くうえに,労働者にとってよいことばかりではない。

 メンバーシップ型雇用の場合,勤務場所や職務は,おおむね大学が指定することができる。労働者側が職務消失の場合に配置転換を求めるのであれば,大学側も通常から配置転換や職務の拡大を命じる権限を求めるだろうし,それは論理的合理性からいっておそらく認められるだろう。

 もし,1)労働者の多数が無期雇用となり,2)また有期雇用の人も5年を超えると無期雇用に転換する可能性が高くなり,3)さらに解雇は困難であり,4)非正規を含めてメンバーシップ型雇用になった場合,どのようなことが起こるだろうか。

 雇用調整により人員を削減することが困難になり,国立大学は極めて困難な人事管理を迫られるであろう。それは研究・教育の圧迫につながる。さりとて,この前提の上で経営手腕を発揮しようとすれば,新規採用数を抑制して,現任の職員が剰員とならないようにしながら職務を担うしかない。それは,恒常的残業,長時間労働,担当の無制限な拡大を伴う。働きながらの育児も介護も不可能であり,無制限にはたらく夫と専業主婦の組合せが歓迎される職場となるだろう。要は,従来型の日本企業の再創出であり,ブラック企業化の危険である。こうした働き方を,21世紀も5分の1を過ぎようという時に,わざわざ求めることになる。働き方改革どころの騒ぎではない。

 もちろん,潤沢な予算があれば賃下げをそれほどせずにワークシェアリングをして,それぞれの勤務時間を短くすることもできる。しかし,そんな余裕を国立大学に持たせることに,政府もさることながら世論が同意するとも思えない。

 今までは,非正規の職務が消失した時には,年度末に雇い止めして来た。多くの非正規職員は1年契約である。だから,その職務が消失する場合には,年度末で契約を更新しなかった。契約を更新しないことと解雇は法的にはまったく異なる(当人が同じように「クビになった」と思うことはもちろんあり,今回の問題でも組合は「クビにするのか」と大学に迫っている)。そのため,あくまで解雇と比べれば,ではあるが,紛争になりにくく,またなったとしても使用者側が有利な結末として決着することが多かった。しかし,今後はこれらが,解雇をめぐる紛争の頻発へと移行しかねないのである。

 一体どうすればよいのか。問題を解決するための一番整合性のある,仮に実施できるなら持続性のある方法は,ジョブ型雇用の原則に従うことである。1)労働者の多数が無期雇用となり,2)また有期雇用の人も5年を超えると無期雇用に転換する可能性が高くなり,3)無期転換した非正規労働者は事業所・職務限定の雇用のままとして,4)配置転換も,決められた職務以外の割り当てもを命じないが,5)職務自体が消滅する場合には解雇する,というものである。いまのところ,私にはそれ以外の方法が思いつかない。しかし,この方法に経営側が踏み込めるか,労働側が納得するか,司法がそのような法解釈をするのか,楽観できないというのも正直なところである。

 そして,この問題は東北大学だけの問題ではない。日本の雇用システム全体の問題である(※※)。有期雇用労働者の無期雇用への転換は,メンバーシップ型からジョブ型への移行の画期となるものである。それだけに,これを適切に乗り越えなければ,雇用システムを持続不可能に陥れる混乱を引き起こすのではないかと,私には思われる。

※有期雇用労働者全員を非正規と呼ぶかどうかは定義による。任期付き教員などは,任期以外の処遇は正規教員と同じであるので,見方により有期雇用正規とも非正規とも言える。研究をする教員については,10年を超えなければ無期転換申し込み権は発生しない。
※※メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用について明確に提起した濱口桂一郎氏には,当然この問題が見えている。このノートは,濱口氏の見解を参考に書かれている。

前稿
「東北大学における非正規職員雇い止め問題」2016年7月24日facebook, 7月25日Google+転載

東北大学における非正規職員の雇止め問題 (2016/07/24)



 東北大学における非正規職員の雇止め問題。公表資料以上のことはわからないが,わかる限りでコメントする。

 労働契約法の規定により,2018年4月1日時点で,同一の使用者との間で有期労働契約が通算で5年を超えて繰り返された場合,労働者が申し込めば,無期労働契約に転換する。そのため,現在働いている有期契約の非正規職員の無期転換をどうするかが問題となっているのだ。東北大学の有期非正規職員の主な形態は準職員(フルタイムもありの非正規),時間雇用職員(パートタイム),そして非常勤講師だ。

 このうち,非常勤講師は独特の問題を含んでいるので,ここでは論じられない。大学は準職員,時間雇用職員を労働者過半数代表選出の母数にカウントしているが,非常勤講師はカウントしていない。

 東北大学には,「東北大学職員組合」(以下,職員組合と略)という大学別組合が存在する。職員組合は学内の正規雇用教職員だけでなく,準職員,時間雇用職員を組織している。ただし,非常勤講師は組織対象としていない。これとは別に,大学を超えた,非常勤講師を含む非正規教職員を対象とする「東北非正規教職員組合」(以下,非正規教職員組合と略)と言うのが結成されているらしい。ウェブサイトが存在している。

 現在,労使対立が起こっているのは,大学側が,非正規職員の雇用の上限を5年としている就業規則をもとに,無期転換申し込みの権利が生じないうちに雇い止めをする方針を取っているからだ。同時に大学は,「正職員と同等以上の成果を出すと見込まれる者」についてのみ,部局から推薦し,理事面談を行って無期雇用への転換を決定するという方針を文書で出している。

 職員組合も非正規教職員組合も,大学側の姿勢は雇用の安定を目指した労働契約法の趣旨に反するとして,希望者全員に無期転換を認めることを訴えている。また同趣旨で,法学者連名でのアピールも発表されている。

 現段階で私の見解は以下の通り。

 準職員・時間雇用職員は,労働条件通知書で職場と職務を指定されて,有期で働いている(就職している)。対して,正規の事務職員は多くの企業の正社員と同様,職場・職務を具体的に指定されないままに,東北大学という組織に雇われている(入社している)。だから正職員には命令による配置換えがあり,転勤もある(東京事務所など)。また実態として,残業命令は正職員中心に出される。この違いを踏まえた解決が必要である。

 現在,職場・職務を指定されて働いている準職員・時間雇用職員については,2020年4月1日以後も,その職務が大幅に変動したり消失したりすることがない限り,現在雇用している職員が希望するならば,無期転換することが適切である。一方で,雇い止めをしなければならない合理的な理由がなく,他方で雇用安定という労働契約法の趣旨を活かすべきだからである。

 無期転換とは,正規職員に転換することではない。例えば,時間雇用職員は時間雇用職員のまま,契約期間を1年から期間の定めのないものに変更すればよい(むろん定年はある)。したがって,定期昇給(小規模だが非正規にもある)を除けば労働コストが上昇することはない。

 正規職員と同等の成果を無期転換の条件とする大学の方針は,不適切である。定められた職務について現に正常に遂行している職員であれば,無期転換を拒む理由はない。また,賃上げの約束もせずに労働条件を厳しくするのは適切ではない。

 なお,労働条件通知書によって職務を指定されて働いている準職員・時間雇用職員について,その職務が組織変動により消失した場合については,大学が雇い止めないし,解雇することはやむを得ない。職務があればこその雇用だからである。つまり,例えばプロジェクトのために雇われている非正規職員が,プロジェクト終了による職務消失とともに雇い止めになること,ある学内組織の一定業務を指定されて雇われている非正規職員が,組織改編でその学内組織自体がなくなってしまうときに雇い止めになることは,やむを得ないと考える。

 ただし,すでに当該非正規職員について,労働条件通知書に記載されている範囲を超えて移動をさせているような事実があれば,この限りではない。そのような非正規職員に対しては,東北大学は,当人を「一定の職務につける」のではなく,「組織のために働かせる」契約を結んでいる常態だと考えられるからだ。その場合,東北大学は,異動や配置転換を命じることもあるということと引き換えに,職務が変動しても当人のために新たな職務をあてがうとコミットしていると認められる。よって雇い止めをすべきではない。

 したがって,私は「希望者全員を無期転換せよ」という両組合と法学者のアピールについて,「職務自体が消失する場合を除く」という条件を付けたうえで賛同する。

 なお,両組合や法学者の見解だけでなく,私のような見解であっても,大学は難色を示すであろうと予想される。それは,無期雇用転換後の非正規職員についての雇用保障をどう考えるべきかが,見通せないからである。ありていに言うと,大学は,無期の非正規職員に対して,正規職員並の雇用保障をせざるを得なくなり,人員調整が困難になることをおそれていると推定される。

 この点については,東北大学だけの問題ではなく,実は全国的に十分検討されていない問題である。もっと言えば,一刻の猶予もないのに放置されている問題ではないかと考えている。別途検討したい。

東北大学職員組合
http://www.tohokudai-kumiai.org/
東北非正規教職員組合
http://tohokuhk.exblog.jp/
【アピール】私たちは、東北大学が労働契約法の趣旨を尊重し、3200名に対する雇止め通告を撤回するよう求めます(首都圏大学非常勤講師組合・速報ウェブサイト)
http://uupltokyo.exblog.jp/23279043/
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