2018年11月21日水曜日

古本屋での出会いと救い:中村静治『技術論論争史 上・下』青木書店,1975年のこと (2017/10/3)

 東北大学片平キャンパス近くの古本屋,熊谷書店が閉店したとのこと。私の研究者人生は,この古本屋での出会いによって大きく変わった。ここでの出会いによって,辛うじて飯を食える論文が書けるようになったといっても過言ではない。

 1990年ころ。世の中はバブルであったが,大学院生の私には金も職も力もなかった。その上,この時代にもなって旧左翼であったために精神的に煮詰まっていた。中国には天安門事件が起き,ソ連・東欧の20世紀社会主義は崩壊した。経済的には,資本主義に様々な問題があるとはいえ,その中で生きる以外に当面道はないことが明らかになった。政治的には,20世紀社会主義の諸国は,人民の権力ではなく人民を抑圧するものであったことが明らかになった。

 それでも自分の学問に自信が持てればいいのだが,こちらも煮詰まっていた。社会主義体制の崩壊を見つつ,私がマルクス経済学に持っていたアイデンティティは,「資本主義は,人類史のある時期に出現し,ある時期に消える歴史的な存在だ」という見方であった。ここで辛うじて幸いだったのは「資本主義は悪い」をアイデンティティにしていたのではなかったことだ。東北大学は,戦前の宇野弘藏以来,マルクス経済学であっても純客観的に資本主義をとらえるという姿勢を持っている。私の師匠の金田重喜教授は率直に言って「資本主義は悪い」というタイプの人であったが(しかし私を大学院に置いて好き放題させてくださったので生涯の恩人である),経済原論を教わった平野厚生教授や柴田信也教授,そのまた師匠の田中菊次教授,世界経済論を学んだ村岡俊三教授は,純客観的に資本主義を分析するタイプの人であった。だから私にとって,近代経済学と異なるマルクス経済学の意義は,「資本主義は歴史的なものだ」であった。私はレーニンの『帝国主義論』を2冊買って大きなルーズリーフに糊で貼り付け,その周囲にノートを書き込むというアナログな手法で愛読したが,一番好きなフレーズは「古い資本主義は寿命が尽きた。新しい資本主義は何ものかへの過渡である」だった。

 しかし,歴史性を言うならば,何で歴史を区分するかが問題になる。金田教授は「独占資本主義」と「国家独占資本主義」で区分した。田中教授や村岡教授は,土地所有のありかたが資本主義の限界だとした(土地所有が資本の原理に包摂しきれないという考えだ)。経済史を学んだ安孫子麟教授は,自営農業・自営業などの小生産様式は市場原理だけではコントロールされないので別の原理(共同体,村落の様々な運営方法)が必要だと考え,その原理の作動の仕方で歴史を区分されていた。

 しかし,それだけではどうにも問題があった。1980年代以後,独占や寡占や国家独占よりも,激烈な国際競争が世界経済を特徴づけており,社会主義の崩壊以後はますますそうなりそうだったからだ。また,産業論の研究者なので,土地所有論にあまり依拠するわけにはいかなかった。また安孫子教授の理論では機械制大工業は市場原理で統治されることになっており,工業自体の中に時代区分論は見いだせなかったので,それにも依拠できなかった。

 1989年ころに辛うじて自分で見つけたのは,所有原理の正当性による時代区分であった。つまり「俺のものを俺が自由に使うのが社会的にも効率がよくてよいことなのだ」という,今風に言う財産権理論である。これがだんだんと成り立たなくなって,「企業の社会的責任」とか「ステークホルダーの利益」とかを認めざるを得ないことによって歴史を区分するのだ。私は駒澤大学の有井行夫教授の論文からこの発想を学び,バーリとミーンズの『近代株式会社と私有財産』(新しい訳では『現代株式会社と私有財産』)を解釈する論文を1本書いた。しかし,ほとんどすべての読者から「意味が分からない」と言われていた。

 そうして,何が何やらもうどうにもならず,ふらふらと喫茶店と古本屋をさまよっていたある日(当時存在したカフェバーとかディスコとかいうものは,どこにあるのかさえわからなかった),熊谷書店の地下1階である2冊セットの本を見かけた。

中村静治『技術論論争史』上・下,青木書店,1975年。

 技術とは労働手段の体系であり,生産力の発展度合いの指標であるという命題から産業の発展段階を区分するという,本書の着想は新鮮であった。考えてみれば,「生産力と生産関係の矛盾」論こそマルクス経済学のイロハ中のイロハであった。私は本書から,生産力の歴史的発展段階によって資本主義史を区分し,その具体的指標として技術の方式を使うという方法を学んだ。いまになってみれば生産力史は,生産関係を含む経済史と同一ではないのだが,それにしても生産力史が経済史を深部で規定するという発想は,マルクス経済学の良い側面を活かす道であると私には思えた。その上,私の専門である産業論を歴史的に論じるためにも,独占論のように産業組織で論じるだけでなく,技術の発展段階で時期区分することがリアルなように思えた。

 今にして思えば,この本も中村氏がやたらと人を罵倒する悪い癖があることもあって毀誉褒貶が激しいし,彼の晩年の著作はその側面がもっと肥大化してかなり訳が分からなくなっているのだが,彼の主張の理論的内容は,マルクス経済学の範囲においては正しいと今でも思っている。

 熊谷書店でこの本に出会って以来,私はようやく自分の産業論の書き方をつくっていけるようになった。私の鉄鋼業の論じ方は,この本によってある程度まともになった。そうして,何とかかんとか給料をもらえる研究者になったのである。だから,熊谷書店での出会いががなければ,私は鉄鋼業論の論文もかけず,路頭に迷い,のたれ死んでいただろうと言えるのである。

「東北大そば明治創業の古書店が閉店 古書街は残り1軒に」『朝日新聞デジタル』(すでにリンクぎれ)

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