2018年11月8日木曜日

石井寛治『資本主義日本の歴史構造』東京大学出版会,2015年を読んで (2017/12/22)

 石井寛治『資本主義日本の歴史構造』東京大学出版会,2015年。日本経済の講義を考える前提的な知識として読んだ。壮大にして時に徹底して細部に渉る碩学に対して,専門的なことはとてもコメントできない。読むべき関連文献で読んでいないものが多すぎるからだ。ここでは,あえて純学問的な問題から外れ,本書で石井教授が繰り返し述べる「個別的価値から普遍的価値へ」という見地からの危惧に触れたい。

「冷戦後の20世紀末以降の世界は,アメリカを中心とする資本主義側では倫理的規範を全く欠いた市場原理主義的な新自由主義が支配的潮流となって世界経済を攪乱しており,旧社会主義側はロシアも中国も市場経済化の生み出す国内格差への配慮を欠く分だけ対外緊張を創り出して国民統合を図っている。このままでは,双方の理念なき膨張を目指す攻撃的ナショナリズムの暴走は止まるところを知らないであろう。最近の自民党政府が「日本を取り戻そう」と訴えている憲法改定の路線は,天皇を「元首」とし戦争放棄をやめることを中身とするものであるが,天皇家という個別的価値に再びしがみついて歩むことになれば,その「日本」の進路は,西暦紀元前の血縁共同体段階の世界へと向かうものであり,日本人が動物的段階に近い野蛮な社会結合と国際対立に戻ることを意味している。」(346-347頁)。

 個々の情勢判断が妥当かどうか,2017年末現在では少し違うところもあるのではないかということが問題なのではない。先進国と新興国大国の一つ一つが力と力のぶつかり合いを辞さず,それを堂々と正当化する状況に対して,石井教授は警告を発しているのだ。「自分の国だから偉い」というのは,アメリカであれ日本であれ中国であれロシアであれ北朝鮮であれ韓国であれ,誰がやるのであれ手前勝手に過ぎない。それぞれが相手の政策や社会や歴史観にはごうごうたる非難をあびせ,自国自慢は歯止めなく行ったらどうなるのか。これが石井教授の言う「個別的価値」であり,そこに身をゆだねるのは動物的段階の精神だということだろう。動物的段階の精神が核をはじめとするハイテク兵器と結びついた時に何が生じるのかが問題だ。

 石井教授が言うから迫力があるのであって、お前はそんな法螺を吹く前にさっさと講義の準備をしろという批判は,甘んじて受けたい。

2017年12月22日facebook投稿。

https://www.amazon.co.jp/dp/4130402706

2017/12/22 Facebook
2017/12/28 Google+

0 件のコメント:

コメントを投稿