2018年11月23日金曜日

稲葉振一郎『不平等との闘い ルソーからピケティまで』文春新書,2016年5月に関するノート (2016/9/4)

  稲葉振一郎『不平等との闘い ルソーからピケティまで』文春新書,2016年5月。経済理論史となると,半端者経済学者の私では歯が立たない。『ライブ・経済学の歴史』とかいう本を書いた同僚もそうであるが,頭の回転が速すぎて,たいていの理論をすらすら解説してしまう同世代というのは,実に劣等感を刺激する存在で困る。しかし,まあ嘆いても仕方がないので感想を記す。
 資本主義がマルクス的な階級間格差が構造化される世界でなく,誰にでも等しい機会が与えられる状態がいつも存在する新古典派的世界になるためにはどんな理論的条件が必要か。稲葉氏は,効率的な資本市場を重視する。効率的資本市場があれば,労働者が資本蓄積することも可能になり,社会は流動化するということだ。
 しかし,話はそこで終わらない。稲葉氏は,そこに技術革新の有無,人的資本,人的資本がヒトに体化されているが故の資本市場の不完全性という条件を加えていく。そうすると,今度は不平等の維持・拡大や,不平等ゆえに成長が阻害される可能性が生じてくるのだ。これが,経済学における不平等ルネサンスと言われるものだ。といっては省略しすぎだが,まちがってはいないだろう。実際の緻密な議論の組み立ては本書を参照いただきたい。 しかし,稲葉氏のこうしたストーリーが,本書の末尾でピケティ『21世紀の資本』にたどりつくとき,どうもうまくかみ合っていないような気がする。『21世紀の資本』だけは私も精読したつもりなので,ここは必ずしも不勉強のせいではないと思う。
 ピケティは歴史統計からその蓄積ぶりが把握できる物的資本(実際には資産だが)だけに対象を絞り,それだけで,歴史的な資本蓄積のあり方とその不平等への影響は十分把握できると実証的に主張している。人的資本は思いっきり無視されているし,技術革新もほとんど組み込まれていない。資本市場が効率的かどうかも論じられていない。理論史的文脈から理論史に整合した理論的説明の問題を立てるのではなく,歴史的対象の性質から,歴史の理論的説明の問題を立てているのだ。 私は,ピケティの論点のうち,稲葉氏が重視していない以下の二つの点が重要ではないかと思う。
 一つは,資本所得(と,一部,とくにアメリカの最高経営層の労働所得)は,結局能力の発揮の結果ではなく,不労所得なのではないかという提起だ。これは,経済理論的には,資本運用には収穫逓減が働いていないということを含意する。が,それだけではない。多くの労働所得と異なり,資本運用の成否は能力の有無に関係なく,ただ,資本を持っているかどうかに依存する,そして,資本を持つ機会も能力で決まらないものが多いというのだ。その最たるものは相続だ。これはマルクスに極めて近い視点だ。
 この視点に対しては,批判はありうる。シュムペーターが述べたように,あるいはビル・ゲイツが実際に『21世紀の資本』に対するコメントで述べたように(※1),企業者の革新的行動に対する報酬としての起業所得が考慮されるべきという批判だ(※2)。
 しかし,ピケティはよく読むと資本所有者自身の資本運用労働による起業所得も考慮している。その上で,それでは説明がつかないほど歴史的に資本所得は大きく,不労所得の疑いが強いと主張しているのだ。 もう一つは,第二次大戦後の先進資本主義国において,ある程度所得や資産の分配が平等で,能力主義が成り立っているように見える部分があるとすれば,それは資本主義がもともとそういうものだからではない,ということだ。大恐慌における経済崩壊,第二次大戦における物理的破壊と,資本の総力戦への動員,そして戦中と戦後処理の過程でのインフレーションによって,資本が破壊されたことによると見ないと,説明がつかないということだ。
 歴史統計が示唆するこの2点を,経済理論はどう説明するのか,とピケティは迫っている。ピケティの重視したこの二つの問題を,稲葉氏はそれほど重視しているようには見えない。むしろ,ピケティが「現代の経済学の理論的な流れに対して,かみ合った理論はまだ構築できていない」という風にとらえているように見える。それは,理論史から見ればそうなのかもしれない。しかし,ピケティ自身の問題意識に即して,「歴史統計が示す現実を理論は説明していない」,ととらえるならば,話は違ってくるのではないだろうか。どう違ってくるのかはわからないのだが。
シェア先
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610785
※1 ビル・ゲイツの『21世紀の資本』へのコメントについて(2014年10月16日Facebook投稿)。
https://www.facebook.com/nozomu.kawabata.5/posts/376926135806688
※2 私も純理論的に考えた場合には,プロセス・イノベーション以外のイノベーションが考慮されず,平均を超える企業者所得の根拠が解明されていないのが,シュムペーターに対するマルクスの弱点だと思っている。

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