私は1970年代から80年代前半にかけて小中高生の感性を特撮番組に直撃され,人格形成上の多大な影響を受けてしまったのであるが,どうも著者も同世代で,同じ出来事に見舞われたようだ。私のこだわりはウルトラシリーズ中心で,続いて東映ものになるのに対し,彼女は(著者は女性である)仮面ライダーをはじめとする東映ものへの傾倒が強いようだ。
驚いたのは,中高生当時,私が,誰にも理解してもらえずに一人で空回り的に憤っていたこだわりを,著者もまた日本のどこかで持っていたということだ。
例えば,著者は『電子戦隊デンジマン』放映当時(1979-80年),「脚本家・曽田博久の作品にはまった15歳の筆者は,感想の手紙を送り,以後,文通を続けていた」という。彼女が本書でとりあげているのは第18話「南海に咲くロマン」,第34話「悲しい捨て子の物語」,第46話「腹ペコ地獄X計画」であり,また後番組『太陽戦隊サンバルカン』第11話「哀しみのメカ少女」である。これらは,すべて私の当時のこだわりと一致する。
『ウルトラセブン』の「超兵器R1号」とか「ノンマルトの使者」のような(その筋では)メジャーな話ではない。それなら当時でもクラス35名のうち5名ほどは理解した。再放送されていて,雑誌『宇宙船』や『ファンタスティック・コレクション』などのムック本で取り上げられていたからだ。しかし,『デンジマン』は当時のリアルタイム放送であり,また今と異なり戦隊ものは幼稚とされていたため,周囲の理解を得ることは不可能であった。しかし,著者はこれらの作品を愛し,脚本家と文通までしていたのだ。私より重症な人もいたのだ。
著者は,特撮への思いをどこまでも貫く。19歳で米国に留学し,ホームシックと課題図書の重圧に苦しむが,ある日,「仮面ライダーは,怪人に殺されるかもしれないのに戦っている。私は命をとられるわけではないのに,何を甘ったれたことを言っているんだろう」と「開眼」する。以後,1日十数時間机に向かうようになって学士と修士を獲得,望み通りに新聞記者となる。これこそ,特撮オタクの鏡である。私は,彼女を心から尊敬する。
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