2018年11月5日月曜日

ゴジラと空母信濃 (2018/1/9)

 『特撮秘宝』Vol.7の大特集は「元祖ゴジラ,逝く」。初代『ゴジラ』から『ゴジラ対ガイガン』までゴジラのスーツアクターをつとめ,2017年8月7日に亡くなられた中島春雄さんの追悼特集だ。私が初めて見たゴジラ映画は『モスラ対ゴジラ』のリバイバルであり,その後,『三大怪獣地球最大の決戦』,『怪獣大戦争』,『ゴジラ対ヘドラ』などで中島さんのゴジラを視た。子ども心に「こわいゴジラ」から「人間に味方するゴジラ」への変遷をはっきりと感じ取った。その変化には賛否あれど,ゴジラはいつも身近にいた。それは,中島さんの素晴らしい演技があったからだったのだ。
 今回の特集を読んで驚いたのは,中島さんが空母信濃に乗られていたということだった。自叙伝『怪獣人生』洋泉社,2010年には記されていたそうだが不勉強にして知らなかった。信濃は,もともと大和型戦艦の3番艦として起工されたが,いったん建造が中断され,ミッドウェー海戦で日本海軍が4席の正規空母を喪失した後に,これを補うべく正規空母に変更されて建造された。中島さんは1944年3月,横須賀海軍工廠で信濃に配属され,公試運転で乗艦もされた。その後,艦に残る道もあったが海軍航空隊への転属を希望し,かなえられて横須賀を離れたという。ちなみに,当時横須賀には東北地方から宮城第一高等女学校や福島高等女学校の生徒が勤労動員に駆り出されており,軍人から信濃の話を聞いたり,実際に見かけたりした人もあったという。私の母より年上の方々である。
 信濃は就役後,空襲を避けるために呉に回航されることになり,その際,台湾の新竹航空基地に配備される予定の特攻兵器,ロケット機「桜花」を50機をも運んでいくことになった。1944年11月28日,信濃は桜花とその弾頭を積み,護衛の駆逐艦3隻とともに横須賀を出港したが,翌日午前3時30分,遠州灘の沖合でアメリカ海軍の潜水艦アーチャーフィッシュの雷撃により,4発の魚雷を受けて沈没した。1080人が救助され,1300人が死亡した。
 もし中島さんが信濃に残っていたら,その生命は1944年11月29日に奪われていたかもしれない。そうすれば,私は中島さんの演じるゴジラに出会うことはできなかった。私は,中島さんが戦争で命を奪われず,俳優として,スーツアクターとしての人生を送られたことに感謝する。中島さんの命を奪いかねなかった,戦争という行為に恐怖する。誠にありふれたセリフで申し訳ないが,ゴジラよりおそろしいのは人間だ。

参考:あまり専門的な戦史研究書を持っておらず,以下を使用。
鳥居民『昭和二十年 第一部5 女学生の勤労動員と学童疎開』草思社,1994年。

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