2018年11月5日月曜日

昭和天皇は『ハワイ・マレー沖海戦』に何を思ったか (2016/8/29)

 円谷英二による精巧な特撮で知られる映画『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)。実は、昭和天皇はこの映画を1942年11月28日に鑑賞している(※1)。12月3日の公開に先駆けて、とくに天皇のために上映したのであろう。

 その時、天皇は何を思っただろうか。

 『ハワイ・マレー沖海戦』は言うまでもなく真珠湾攻撃とマレー沖海戦の戦果を誇る国策・戦意高揚映画だ。しかし、公開時点で、この映画は、戦局の実態を国民から隠ぺいする役割を背負わされていた。というのは、すでに1942年6月5日から7日にかけてのミッドウェー海戦で、日本海軍は正規空母4隻を失う惨敗に終わり、戦局は転換点を迎えていたからだ。

 では、大元帥である昭和天皇は、事実を知っていたのだろうか。

 実は、大本営は、天皇に対してもミッドウェー海戦の結果を偽って報告していた(※2)。6月10日に航空母艦1隻喪失、1隻大破(「加賀」と「蒼龍」)としていた。実際には沈んだ「赤城」と「飛龍」が無事であったかのように偽っていたのだ。昭和天皇は、国民と同様に、大本営発表に騙されて、海軍が快進撃を続けていると思い込んでいたのだろうか。

 そうではなかったのかもしれない。ミッドウェー海戦より少し前の4月18日、ドーリットル爆撃隊が初めて東京を空襲した。この時、米軍機は1機も撃墜されなかったのだが、東部軍司令部は午後2時に「9機撃墜」と発表した。その発表と同じ時刻に、杉山元参謀総長が天皇に空襲について報告している。ここでも虚偽の報告をしている可能性が高い。ところが、午後7時35分に防衛総司令官であった東久邇宮稔彦王が、杉山参謀総長の妨害をはねのけて「敵機は1機も撃墜できませんでした」と正直に報告したという(※3)。もしこの通りだとすれば、昭和天皇は、1942年4月の時点で、軍が不利な情報を自分に正確にあげて来ないことがあるのだと、気がついていたのかもしれない。

 「ハワイ・マレー沖海戦」における円谷英二の見事な特撮は、昭和天皇の心を高揚させただろうか。それとも、すでに戦局は変わっているのかもしれないという警戒心を抱かせただろうか。それとも、また別な思いを呼び起こしただろうか。もはや、明らかにすることは難しい。しかし、この映画が、昭和天皇の心を動かすという意味で、歴史に影響を与えた可能性については、想像してみる価値があるだろう。

※1:原武史『「昭和天皇実録」を読む』岩波新書、2015年、付録2頁。
※2:半藤一利・保坂正康・御厨貴・磯田道史『「昭和天皇実録」の謎を解く』文春新書、2015年、204頁。
※3:同上、205-207頁。

「ハワイ・マレー沖海戦」Wikipedia

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