(2018年11月21日注記。この記事は香港で学生たちによる雨傘運動が行われていた時に書いたものです)。
祝・国慶節。しかし、今年の国慶節は、香港の深刻な情勢を無視して祝うことはできません。私は、世代のためもあるでしょうが、1989年の天安門事件を想起して緊張せざるを得ないからです。
1989年、中国現代史について通りいっぺんの知識しか持たず、天安門事件をどう理解すべきかと迷っていたときに、強力な一撃を与えてくれたのが、NHKスペシャル『天安門・激動の40年~ソールズベリの中国』でした。この番組によって、中国現代史が経済改革をめぐる動揺と、強力な権力の簒奪闘争に彩られていることについての、それなりに秩序立てた理解を初めて持ち、またもっと理解しようという意思を初めて持ったのでした。印象的だったのは、番組の制作者ハリソン・ソールズベリ(Harrison Salisbury)が1949年10月1日の晴れ渡った空に代表される解放感と、1989年6月4日以後の閉塞感を対比していたことです。さきほど、この番組の書籍版ハリソン・ソールズベリー(三宅真理・NHK取材班訳)『天安門に立つ 新中国40年の軌跡』日本放送出版協会、1989年を書棚から引っ張り出して再確認してみました。
「1949年10月1日。喜びに浮き立つ民衆の前で、毛沢東が『中国は立ち上がった』と宣言したあの日、天安門の空はどこまでも青く晴れわたっていた。しかし中華人民共和国建国40周年に当たる今年、1989年10月1日の国慶節は、あの6月4日の事件のために暗雲たれこめる中で祝われることは確実となった。
鄧小平が、文化大革命という、半ば狂気に侵された毛沢東の壮大な過ちによって中国の肩に課せられた重荷を取り除こうと、偉大な努力を重ねてきたことは事実である。しかし彼はその功績に自ら傷をつけたばかりか、中国の将来に重大な禍根を残すような新たな過ちまで犯してしまった。彼自身が全精力を傾けて真剣に取り組んできた中国の将来を、自らの手で台無しにしてしまったのである」(同上書、326頁)。
偉大なプラグマチストであった鄧小平は、その後、南巡講話により政治の非改革と経済改革の断行を組み合わせることに成功し、経済面では暗雲を晴らして中国を高度成長に導きました。それは確かに偉大な成功でした。市場経済化によって途方もない数の中国人が生活水準を向上させました。しかし、この1989年の決断が尾を引いて、中国共産党・政府の民主化に対する抑圧的な態度を継続させていることも確かだと私は思います。政治改革などせずとも中国は経済成長できる、世界に伍していけるという態度を。その頑なさには絶望させられるばかりですが、自己決定権を奪われようとしている香港の市民・学生にとっては、絶望してる場合ではないのでしょう。願わくば、犠牲の少ない、民主化の前進につながる解決を。
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