2018年10月22日月曜日

黒木亮『鉄のあけぼの』とイノベーション論(2016/3/11)

 このごろは本当に時間がなく,黒木亮『鉄のあけぼの』日経文芸文庫で上下を読むのに1カ月くらいかかってしまった。途中で『世紀の空売り』に寄り道したためでもあったが。
 私はかつて川崎製鉄のことをよく勉強してもいないのにサーベイ論文で米倉誠一郎教授を批判するという無謀な行為をしたことがあるが,もう少し勉強した今でも,戦後日本鉄鋼業における川崎製鉄の革新性について,うまく整理できない。
 それは,千葉製鉄所の建設や,その前提たる労使問題の解決,建設推進に伴って必要となる種々の企業行動(たとえば世銀借款による資金調達)が,「誰も考えつかないようなことをやった」という意味でのイノベーションだったのか,「次はこうなればいいなと思う人は多いのだが,困難が大きすぎてたいていの人がしり込みするから実現しそうにないところを,断固としてやりきった」という意味のイノベーションなのかということだ。千葉製鉄所建設までの西山弥太郎と川崎製鉄が成し遂げたのは後者ではないかと思う。銑鋼一貫製鉄所もストリップミルも,臨海立地も,すでに日本にはあった。そのこと自体は新しくない。しかし,それを後発の平炉メーカーが実現することの困難は途方もないものだったのだ。
 私は,この二つはイノベーションとしてかなり意味が違うように思う。しかし,違うからどうなのかというのは,心に引っかかっているだけでまだうまく言えない。この小説は,人物描写の筆致を抑え気味にしてあるせいかもしれないが,西山を,現実を踏まえて先を読み,適切な目標に向かって合理的に行動し,しかし決めたらやり抜く人物として描いている。ビジネス小説にありがちな,突拍子のなさ,常識に対する超越ぶりを強調するようなところがない。それだけに,このような思いを強くしたのかもしれない。
2016/3/11 Facebook
2016/4/17 Google+


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