2018年10月31日水曜日

社会科学における国家と個人の区別について (2018/3/18)

 総力戦時代の戦争の最大の問題は,大量の民間人を犠牲にすることだ。北朝鮮をめぐる問題もそうだ。一番大事なことは,どこの国家が勝つべきかということではない。多くの命を奪う戦争を起こさないことだ。東京大空襲にせよ,南京大虐殺にせよ,広島・長崎への原爆投下にせよ,重慶爆撃にせよ,ゲルニカ爆撃にせよ,ドレスデン爆撃にせよ,私の父の住む教会や母の住む旅館を焼いた仙台空襲にせよ,まずは多くの非戦闘員の命を奪うことが問題だ。

 侵略国であれ,侵略された国であれ,非戦闘員の命を大量に奪うことは正当化されない。私は日本帝国のアジア侵略を事実と認めるし,戦争を太平洋に拡大したマレー半島上陸と真珠湾攻撃を批判するが,だからと言ってアメリカによる東京大空襲と広島・長崎への原爆投下も,仙台空襲も容認しない。

 今,日本もアメリカも中国もロシアも含め,どの国でもおかしな風潮が強まっている。国家の政策と数知れぬ民間人を区別せず,不必要に国家単位でものを考えることだ。国家を自分自身と勘違いして国家の誤りまで無理やり正当化し,他国の庶民を国家と同じと思い込んでまとめて非難することだ。社会科学は,このような社会観を克服することに寄与すべきだ。

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2018/3/25 Google+


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