2018年10月31日水曜日

加藤寛治議員の「結婚しなければ、ひとさまの子どもの税金で老人ホームに行くことになる」発言はどこがまちがっているのかを,経済政策論として考える (2018/5/28)

 加藤寛治議員の「結婚しなければ、ひとさまの子どもの税金で老人ホームに行くことになる」発言はどこがまちがっているのか。倫理的価値観からではなく,経済政策論として考えたい。結論から言うと,加藤議員は,もう変えようがないことを個人の考え方で変えられるかのように誤った幻想を振りまく一方で,政策・制度の力で変えられることを変えられない当然のことであるかのように言い放っているところに間違いがある。

 議員の発言はどういう想定に基づいているのか。一つは,裏返すとわかる。「結婚すれば,自分の子どもが老後の世話をしてくれるので税金に負担をかけない。それが望ましい」と想定しているのだ。また元の発言からして,「老人はやがては子どもに面倒を見てもらうか,老人ホームに行くことになるものだ」とも想定していることになる。

 これは現代的価値観から見てどうだという問題ももちろんある。しかし,経済政策論としては,それ以前の問題がある。それは,前者に対しては,「もう無理。実行できない事を言っても仕方がない」ということであり,後者に対しては逆に「そんな風にあきらめてもらっては困る」ということだ。

 日本の人口は,いまから多少出生率が回復したところで,減少を免れない。これは私や特定勢力が言っているのではなく,厚生労働省所管の国立社会保障・人口問題研究所が予測していることだ。出生率が一番高いシナリオでも人口は2059年に1億人を割る。中位シナリオなら2053年だ(図)。中位シナリオだと,生産年齢人口と年少人口は2065年になっても絶対数・比率とも低下し続け,老年人口比率は逆に上昇し続ける。老年人口の絶対数も2042年までは上昇し,以後ようやく低下しはじめる(図)。

 たまたまある個人が子どもを3人以上設けて,彼/彼女らが高所得者になって年老いた自分の面倒を見てくれる,ということはもちろんあるだろう。しかし,日本社会全体としては,より少ない生産年齢人口に対してより多くの高齢者が暮らしている,という以外のシナリオはどこにもない。もうそれは,もう決まったこととみなさねばならないのだ。

 加えて,分子は同じ生産年齢人口として,分母を高齢者プラス幼年人口(従属人口と言う)にしてもかわらない。2015年にはその比率は1.6人対1人だが,中位シナリオでは2035年に1.3人対1人となる。出生率回復で多少のずれはあっても,事態の方向は変わらない。これももう決まったことなのだ。

 高齢化はたいていの場合,格差拡大を伴う。同じ世代では,高齢になるにつれて徐々に格差が開いていくからだ。かつて格差社会論争が起こった時,政府と大竹文雄教授は,高齢化に伴う見かけ上の格差だと主張された。対して,格差社会論を提起された橘木俊詔教授は,統計的にはその通りだが,それこそが見かけ上ではなくて実質的な問題なのだと反論された。

 よほど格差を縮小させる政策や環境変化がいますぐに生じない限り(多少の福祉国家政策では間に合わないので,世界戦争かハイパーインフレが考えられるが,そんなことは誰も望まない),2020年代や2030年代には,格差が今より開いた状態での高齢の低所得層に対して,その子どもたちだけで面倒を見切れるわけがない。また,パラドックスであるが,出生率がある程度維持・回復されたとすると,子どもを持つカップルにはダブルケアという問題が発生する。親と子どもの両方を世話をしなければならない。条件がまったく違うから大変なことだ。

 この状態に対しては,どうしても現状以上の再分配と生活支援策を行って,低所得の高齢者を支援する必要がある。これは左派や特定勢力が主張していることではなく,冷静に考えればわかることだ。安倍政権も,これを意識はしている。だからこそ,「新・三本の矢」のうちの二つは子育て,介護対策になっているのだ。こうした,逆らい難い人口動態を踏まえた上で,様々な問題を回避し,持続可能な経済・社会をつくっていくためにこそ,政治も行政もある。

 しかし,支援策を強化するばかりでは,他の世代の負担が激増することも事実だ。これを軽減する解決策はないのか。それは,子どもに自分の親の世話をさせるという空想とは違う方向,部分的には真逆の方向に存在する。生産年齢の中でも働く人の割合を増やし,さらに生産年齢を超えた65歳以上の人が働けるようにすることだ。つまり,女性と高齢者だ。かなりの重なりを持つこの二つの集団が無理なく元気に働けるならば,事態は改善する。これは空想ではなく,現にこの数年の傾向として,女性と高齢者の労働力率は上昇し続けている。しかし,無理なく元気に働けては,いない。むしろ女性と高齢者が非正規でしか採用されないことが,「人手不足なのに賃金が上がらない」という歪んだ事態を作り出しており,「実感なき景気回復」の大きな要因になっている。また,介護離職も減っていないし,女性から男性に拡大しつつある。家の外で働きたいし,働く必要もあるが,働けない人が大量に放置されている。

 だから,「高齢者を誰かが家族内で世話をしなければならない状態を軽減し,高齢者が無理なく元気に働くことができる状態にする」ことは,これからもっとも重要な日本の社会政策であり,経済政策だ。これは高齢化のトレンドと異なり,変えられることであって,あきらめてはならないことなのだ。そのためにこそ働き方改革が必要だ。安倍政権はこの課題を意識はしているが,その「働き方改革」は,この事態にまったく対応できない,見当はずれのものだ。そのことは別途述べたい。

 加藤議員の発言は,政治家として二重に間違っている。もう変えようがないことを個人の考え方で変えられるようにみなす一方で,政策・制度の力で変えられることを変えられない前提であるかのように言い放っているのだ。税金を使わずに子どもが老人の世話をすべきと言っても,もう無理だ。老人の暮らしを社会で支えられるような政策は強化せざるを得ない。逆に,老人は老人ホームにいくものと決めつけるべきではない。老人も無理なく元気に働ける社会に変えていく必要があるのだ。

2018/5/28 Facebook
2018/5/30 Google+




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