2018年10月22日月曜日

大学の学力問題と労働市場 (2017/7/4)

「大学の学力問題と労働市場」。ゼミ生討論用のノート。十分に証明できておらず,仮説にとどまる部分が多くあります。

・さしたる特徴がなく,かつ学力が異様に低い大学がかなりたくさんあることは否めない。とても高等教育が行われているとは言えない実態がある。
・異様に低い学力水準になっている大学はおおむね私立大学であり,したがって民間によって設立されている。
・学力が低い大学が成り立つ理由は,需要側と供給側の双方にある。
・まず需要側。「とにかく大卒の肩書を手に入れないと不安」という親及び学生本人のニーズ。この不安は,高卒と大卒で生涯賃金の格差が依然としてある上に,高卒でつける安定した正社員の職が縮小していることに由来する。日本社会において「一定の専門的知識・能力」でなく「大卒の肩書」が求められる理由は後述する。
・次に供給側は二つに分かれる。一つは,「学生を獲得できれば良い」というオーナー。研究や学力水準は関係ない。授業料など学生納付金を得て経営の帳尻が合えばよいという傾向。もう一つは,「とにかく四年制大学を自分の傘下に持ちたい」というオーナー。こちらは採算を度外視し,学生が集まりそうもなくても大学を設立したり,甘い見通しの下で短大を四年制に衣替えしたりする。
・この両者の利害が一致したところで,教育内容よりも「とにかく大卒である」という人材を作り出す大学が成り立つ。こうした大学が,入学のハードルを異常に下げて学生を集めている。入学のハードルを異常に下げていることが,大学にふさわしい授業を不可能にすることは自明である。
・以上は積極要因だが,消極要因も作用している。つまり,こうした低レベル均衡をチェックする仕組みが働かない理由がある。
・まず,大学のミッションは研究・教育・社会貢献とされているのに,教育の低レベル均衡だけで成り立ってしまう大学がある。それは,「研究がすぐれていることによって大学の経営が成り立つ」という連動関係が,一部の大学にしか作用しない,あるいは弱々しくしか作用しない状態になっているからだ。
・大学経営は,経営計算としては何といっても学生が集まることで成り立つ。その一方,研究の評判が学生を直接に集めるメカニズムや,研究環境がすぐれた教員を集め,その研究と教育体制の評判により学生が集まるメカニズムは,なかなかすべての大学でははたらかない。
・需要側の一部が「とにかく大卒の肩書を」というニーズを持ち,供給側の一部が「とにかく学生が来ればいい」「とにかく大学を持ちたい」という欲求を持っている場合,この両者が出会う大学では,研究がすぐれていることが求められない。学生サービスの充実の方が肝心とみなされる。
・そのため,「研究などしなくていい。学生サービスとしての教育だけやれ」という人事管理を明示的・暗黙的に行う大学,広告塔になる教員を採用することに過度に熱中する大学が出現する。
・教員やその候補者たる大学院生,ポスドクは,できればそのような大学には就職したくない。しかし,大学院重点化で院生の数が激増したために教員労働市場は供給過剰であり,職を選ぶ余裕はないので,そのような大学にも応募は集まる。
・市場で点検されないとすれば,政府が点検するだろうか。確かに大学・部局設置時点においては,研究体制が貧弱に過ぎる場合,また教育が大学にふさわしくない場合,文部科学省によって設置が認可されないことがある。
・しかし,設置後一定期間を過ぎると監視が行き届かなくなる。
・また,大学の供給過剰を設置審査で点検するのは難しい。大学進学率が伸びたといっても100%に近づいているわけではない。学生確保の見通しも審査されるが,見通しが現実的かどうかを厳密に点検することは難しい。
・この状況を変えるためには,行政の側が需給を強力に操作することも考えられるが,根本的には,市場において低レベル均衡をもたらす需要と供給要因が変化しない限り,解決しない。
・低レベル均衡の根源は,就職活動時に「とにかく大卒である」ことの限界効用が高いという,大卒者の労働市場,とくに文系卒の労働市場にある。
・なぜ「大卒である」だけで価値があるか。それは,とくに企業が大卒者,とくに文系の卒業者を採用して企画・管理・事務系の正社員とする場合にはなはだしいが,企業が職務を指定せずに,学歴と,ばくぜんとした能力チェックで採用し,以後,企業内訓練をしながら職務に配置するというしくみをとっているからだ。そして,年に一度一括採用した上で,入社年度別に管理し,競争させる。
・社員にはもちろん能力や業績が求められる。しかし,それは職務を達成することではなく,長い目で見て会社に貢献することによって評価される。そのため評価基準は会社ごとにばらばらであり,あいまいになる。給与や昇格・昇進は年功的になり,競争は同期間競争という狭い範囲のものになる。転職できないことはないが,その際に自らの能力や業績を証明するのがたいへんである。
・つまり,企業は大学に,とくに文系については,学校ブランドと「会社の一員として働く能力」育成を求めているのであり,専門的な職務を遂行する能力育成を求めているわけではない。求められていないのだから,大学にも育成するインセンティブがない。
・経済が右肩上がりで,企業内労働市場が有効に機能していた間,女性を結婚・出産退職させて企業内労働市場から中途退出させることが社会的に強い抵抗を受けなかった間は,大学と企業のこのような接続方法は機能していた。
・しかし,企業内労働市場のパフォーマンスが悪化し,女性の継続就業が当然となり,労働市場が流動化して来たため,事態は変化している。一方では専門的能力に基づく職業別労働市場が拡大し,他方では非正規の二次的労働市場が拡大している。
・「とにかく大卒である」ことにより正社員になって一定の生涯賃金を得るというコースは,まだ存在しているもののやせ細りつつある。大学生のうち,このコースに乗ることのできる割合は小さくなり,また乗ったところで不確実性が高まりつつある。
・だから,大学の定員割れが著しいことは,大学だけの問題ではない。「とにかく大卒である」卒業者を送り出す事業が,労働市場によって求められなくなりつつあることを示しているのだ。労働市場を無視した大学論は無意味だ。
・裏返すと,文系を含めて,大卒者に特定の能力や知識を求める動きも,少しずつだが出てきている。この労働市場のニーズにこたえる大学が増えることにより,大学が,現在よりも有効に機能する可能性がある。つまり,大学において職業教育をより重視する方向によって,である。
・地域貢献型大学や専門職大学が,この可能性をひらくものになるかどうか,注視しなければならない。こうした動きは,労働市場の変化に対応して教育内容を変化させるという意味では「大学」の大学としての改革になり得る。しかし,入学のための学力基準を切り下げることをやめなければ,実質的に「大学」と呼びえない,新たな形の専門学校になるかもしれず,その専門学校としても機能しないのかもしれない。新しい需給が生まれて低レベル均衡が質のより高い均衡にとってかわられるのか,それとも新たな低レベル均衡に移行するだけなのか,それはまだわからない。

討論素材
小川洋『消えゆく限界大学 私立大学定員割れの構造』白水社,2017年。
http://www.hakusuisha.co.jp/book/b253052.html
濱口桂一郎『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』中公新書ラクレ,2013年。
http://www.chuko.co.jp/laclef/2013/08/150465.html
ノート「G型・L型大学ではなく,大学における職業教育拡大をめぐって」2014年11月5日。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/gl-20141026.html
「学力は中学レベル…大学教育、崩壊の実態 想像を絶する学生&教員の質劣化」Business Journal,2017年6月28日。
https://news.infoseek.co.jp/article/businessjournal_348441/

2017/7/4 Facebook
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