大学院ゼミ。生産・販売統合システムの問題を今までになく突っ込んで議論した(とはいっても院生が報告したのに対して,ほとんど私がしゃべっていたのだが)。以下に書くことは,本来,ちゃんと論文にすべきであろうが,余裕がない。
1.
かつて岡本博公教授は鉄鋼企業の類型分析において「垂直統合」を論じた。それは,輸送費節約と熱経済を二つの理由として,銑鋼一貫事業所の工場間が緊密に統合されていることを示していた。これは,経済学が通常言う垂直統合ではなかった。所有統合ではなく機能的統合のことであった。そして,その対象は生産過程であった。その後,岡本教授は生産・販売統合システムの研究に進まれたが,それは要するに購買・生産・販売の機能的統合の研究であった。これが機能的統合である証拠に,(当人からそう聞いたことは別にしても),この統合は企業の境界を超えることを教授はしばしば指摘されている。
さて,これを裏返しにしてみよう。機能的統合とは,つまりはビジネスプロセスの設計の問題「である」。では,何「ではない」のか。所有的統合や所有権やその境界の問題ではないのである。だから,人と人,企業と企業,企業と人の間での利害関係の調整や動機付けの議論を含んでいない。それはそれで,別個に行わねばならないのである。
生産・販売統合システムにおける計画先行期間,計画ロット,生産リードタイムは工程の設計の類型や優位性や特質の問題である。しかし,メーカーとディーラー,メーカーとサプライヤーの間の利害関係の調整,動機づけを直接に扱うものではない(誤解を避けるために言うが,そういう議論の基礎になるが,そういう議論そのものではないと言っているのだ)。メーカーとディーラーの間の利害調整を論じるには,例えば生産・販売統合システム論で在庫が発生する余地やその所在を明らかにしたうえで,そのコストは誰が負担するのかを論じなければならない。例えば,生産・販売統合システム論で受注の時点と生産計画確定の時点を明らかにしたうえで,ディーラーの希望はどのくらいメーカーの生産計画に反映されるのかを調べねばならない。
蛇足だが,マルクス経済学ベースの方ならば,岡本教授の企業類型論は,後期堀江英一教授や坂本和一教授と歩調を合わせた生産力構造論であって生産関係は一応捨象していたということを想起していただくとよいと思う。
2.
岡本教授の言う機能的統合とは,実は今日,藤本隆宏教授の言う「工程アーキテクチャのインテグリティ」とほぼ同じであるというのが,私の最近の理解である。工程設計において,構造と機能が錯綜しており,複雑な調整によって最適化が必要だというのがインテグラル型の工程である。これと,購買・生産・販売の機能的統合は,本質的に同じであると思う。
これは岡本教授や藤本教授への批判ではなく,私が限りない恩恵を被っている両教授の学説がどの範囲をカバーしているかという解釈である。そして,藤本教授自身の自己認識にも反しないと思う。藤本教授によれば,産業とは設計情報と空間を共有する現場の集合であり,企業とは同一資本の支配下にある設計情報の集合である。「○○(製品名)のアーキテクチャはインテグラル型(orモジュラー型)だ」という話は,製品が単位となる世界で成り立つ。そして,産業分類は製品でなされていることを思い出して欲しい。製品が単位となる世界とは,設計情報と空間を共有する現場という意味での産業の世界であって,資本の所有権で区切られた企業の世界ではない。
ここでもマルクス経済学の文脈で古いアナロジーをしておこう。かつて坂本和一教授に対して「あなたの議論は生産関係を含んでいないのではないか」という質問が時折投げかけられ,それに対して坂本教授が「その通りで,それは別個に行わねばならない」と答えられることがあった。そんなことを知っている人も覚えている人はほとんどいないだろう(とはいえ私のFacebook友達には10名くらいいると思うが)。しかし,この問答は,実は今日的にも重要な意味があったと私は思うのだ。
つまりこうだ。「生産・販売統合システム論やアーキテクチャ論それ自体は利害調整や動機づけや所有権の境界の問題を含んでいないのではないか」「そのとおりで,それは別個に行わねばならない」という議論が成り立つのである。
この理解にたどり着くまでずいぶん時間がかかってしまった。もっと早く気がついていたら,あらゆる仕事を押しのけて『同志社商学』の岡本博公教授退職記念号に投稿したであろうが,時すでに遅い。自らの愚鈍さを呪うのみである。
妄言多謝。建設的批判を期待します。
2017/11/1 Facebook
2017/12/18 Google+
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