11月に行った中国鉄鋼業過剰能力削減政策調査のまとめ作業。この事業はJOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)がJCOAL(石炭エネルギーセンター)に委託し、JCOALが調査の支援のために(堀井伸浩教授と)私を雇ったという事業だ。
この調査で複雑な気持ちにさせられたのは、河北敬業集団を訪れた時のことだ。河北敬業集団は、河北省平山県西柏坡村の人であった李赶坡氏が起こした民営企業だ。李氏は「開発は最後の言葉であり、開発は貧困と後進性を取り除くことができる」と考え、1988年に、任南甸工作委員会書記の職を辞して起業したのであった。当初は缶詰を製造し、その後アスピリン原料を製造していたが、1996年に河北敬業集団を起こして鉄鋼業に参入し、その後、順調に事業を拡大して、同集団を1000万トン級の鉄鋼企業に育てあげた。当初高炉で銑鉄のみを製造していたが、やがて転炉と連続鋳造機を設置して半製品のビレット生産に進出、さらに棒鋼圧延機を設置して同社を中国最大の異形棒鋼生産拠点に育て上げた。さらにホットストリップミルを設置して熱延広幅帯鋼の生産に進出、現在は中国の東北大学と提携して新技術の開発に取り組んでいる。製品も鉄鋼構造物や粉末冶金に展開している。つまりは、段階的に技術を高度化させ、製品の付加価値を高めているのだ。
私はこの李氏の手腕に感服し、同社の記念館では「李董事長の偉大な企業者行動に敬意を表します」と記した。
虚を突かれたのは、同社を辞す際に頂いた記念品だ。それは西柏坡を新中国の出発点として讃えるものであったが、中心に映っていたのは毛沢東であった。私はその時まで、不勉強にして、平山県西柏坡が中国の五大革命聖地の一つであって、中国共産党が内戦期に政権を奪還する前の最後の農村司令本部が置かれていたことを知らなかったのだ。
この記念品を手に取ると、非常に複雑な気持ちになる。毛沢東は、確かに中国を外国支配から解放して、独立させることに寄与した人物の一人だ(蒋介石も寄与したと言わねばならないが)。しかし同時に、毛沢東はある時期から市場経済と営利追求を異様なまでに敵視した人物であり、人民が平穏な生活の中で豊かになるよりも、文化大革命において敵を無理にでも探し出して打倒することを追求した人物でもある。だから中国共産党も1981年の第11期中央委員会第6回全体会議で、文化大革命を「指導者が間違って引き起こし、それが反革命集団に利用されて、党と国家と各民族人民に大きな災難をもたらした内乱」と決議したのだ。
その、いわば建国の英雄ではあるが、民営企業の敵でもある人物を、会社の記念品で称賛する。これは本心なのだろうか。それとも革命聖地に生まれた企業がとらざるを得ない態度なのだろうか。残念ながら、私にはそれを見極める力がない。ただ、中国に生まれた民営企業が、複雑な環境の中で生き抜かねばならなかったことだけを思い知るのだ。
2018/2/27 Facebook
2018/3/25 Google+
0 件のコメント:
コメントを投稿