ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう』亜紀書房,2018年。本書の見解について。
1.著者らの左派ケインズ的主張には大いに賛成だ。つまり,「非自発的失業が存在する局面では金融を緩和し,財政を拡張して有効需要を引き上げるべき。その際,財政政策は低所得層に手厚くし,高齢社会に備えたものとする。完全雇用を達成したら緩和・拡張をやめ,大企業や高所得層から徴税できるようにする。そのしくみは,不況期にあらかじめつくっておく」ということだ。そして,財政は「国債残高が永久債のように借換えを続けてることができて,投資家から信用が毀損されて国際価格が暴落しない範囲ならば,赤字であっても持続できる」と考える(この投稿の「」でのくくりは引用でなく,まとめていうならばこういうこと,という意味である)。
2.ただし,松尾教授はかつて,ご自身の政策的主張をリフレーション論として提示してきた。私はリフレ論には反対する。少なくとも,「有効需要政策の主役は金融政策であり,インフレ期待を醸成し,インフレ期待によって実質利子率を下げ,投資と消費を回復することだ」という意味のリフレ論,とくに「財政政策が主役なのではなく金融政策が主役だ」という主張には反対する。このインフレ期待の醸成には理屈が二通りあるようだが,インフレ期待を通貨供給量(マネーストック)と関係なく,「インフレにするぞ」という日本銀行のコミットメントだけで醸成できるというならば,それは経済学ではなく心理宣伝であって理論的正当性はないと思う。また,マネーストックを増やしてインフレ期待を醸成し,実際にインフレを起こすというのであれば,こちらは理論としてはわかるが,市中に需要があって通貨を必要とするのでない限り,通貨供給量を日銀が一方的に伸ばすことはできないと思う。実際にアベノミクスの「異次元の金融緩和」ではマネタリーベースは増えたが,銀行は日銀当座預金を引き出さず,マネーストックは地を這うようにしか伸びなかった。「インフレにするぞ!信じてね!」という金融政策だけでは,企業の期待利潤率と消費者の消費性向は上がらないし,現金を抱え込む流動性選好はおさまらないのだ。財政政策と社会政策で,「こういう社会で,個人のくらしの見通しはこうなるから期待できるよ」という,形を持った展望を,投資家,経営者,消費者に示さねばならない。「期待」というのはそういう形と広がりのあるものだろう。日銀が国債を購入するよりはるかに複雑で手間のかかる作業だが,それをするしかないのだ。
3.だが,本書や『この経済政策が民主主義を救う』では,松尾教授はリフレーション論を強く主張していない。むしろ,金融政策も財政政策も重視した左派ケインズ的政策を主張しておられる。だからこそ私は,両書の主張に賛成する。
4.本書は表題に見られるように,1980年代以後,日本の左派が経済について語らないという迷路に入ってしまったことを批判している。最初から経済にしか興味のない私には,最初何のことかわからなかった。よく読むと,日本の左派が1)1980年代以後,搾取や格差や貧困問題よりもアイデンティティ・ポリティクスを政治的に前面に出すようになっていたことと,2)欧米の左派と異なり金融緩和と財政拡張を強く主張しないこと,を問題にしているらしい。それならば,ある程度はわかるし,自分自身も反省はある。あるセミナーで橘木俊詔教授に「なぜマルクス経済学者はもっと格差と貧困について訴えないのか」と言われ,鉄鋼業のことしか書かないマル経崩れとしては立つ瀬がないと思ったことを覚えている。ただ,本書は具体的に誰の主張がこの偏りを持っていたのか述べずに批判しているので(実名で批判されるのは内田樹氏と上野千鶴子氏くらい),読んでいてもやもやとしてしまう。タイトルもそうだが,かなり左派内部のコンテキストに依存した本のように思う。
5,ところで,迷路に入っていたのはそうした左派だけなのだろうか。私は,マクロ経済学に精通していないものの,リフレーション論も,ケインズ派にとってある種の迷路だったのではないかという疑問を持つ。本書の主張を冒頭よりももっと単純化すれば「金融も財政も拡張しよう。福祉や低所得者のために」である。それならば,はるかに昔からあるケインズ政策の左派バージョン,つまり「公共投資を産業基盤整備型でなく生活密着型や福祉型にかえろ」という主張とそんなにかわらないのであって,わざわざリフレ論にする必要はない。非自発的失業の根拠を価格の硬直性でなく流動性選好に求めるようになったからリフレ論が導かれたのだというのかもしれない。しかし,流動性選好を重視すると必ずリフレ論に行くという必然性はないと思う(例えば小野善康教授は流動性選好を重視するがリフレ論ではない)。リフレ論は,「財政政策より金融政策のほうが有効だ」という議論を生み出した。さらに,松尾教授の場合はそこまで言っていなかったと思うが,論者によっては「不況だからデフレになるのでなくデフレだから不況になる」,「デフレを止めるには日銀がインフレ期待を醸成しさえすればよい」,「デフレを止める責任は日銀のみにあるのであって政府にはない」という極論を主張した。その弊害は大きかったのではないか。リフレ論は,金融緩和を主張するのはよいとして,金融緩和「だけ」を有効なものとして主張し過ぎた。そのため,人口減少・高齢社会を支えるための財政・社会政策について,議論すべきことを後景に追いやる効果を持っていたのではないか。
6.だから,私はリフレ論では多くの左派を結集できないと思う。幸い,本書では松尾教授も共著者のお二人も,リフレ論に主張を狭めることなく,左派ケインズ的政策を打ち出している。なので,私は本書の主張を支持する。一歩引いて客観的に見ても,左派は本書のように主張すればいいと思う。すると,一方で「それはばらまきだ。財政赤字がひどくなるではないか」という批判,他方で「それはばらまきだ。成長への投資の方が大事だ」という批判が来るから,そこで論争すべきだ。それで,妙にねじれた迷路に迷い込むことのない,普通のわかりやすい論争になるだろう。
7.なお,景気が一応上向きで失業率が下がりきっており,しかし賃金は上がらないという現在の状況では,完全雇用に達したという判断,金融緩和・財政拡張をやめるタイミングが難しい。それは,上記の理論問題とは別の現状判断の問題であるが,難題であるに違いない。
http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=852
2018/6/21 Facebook
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