「門前払いの禁止」。
バニラ・エアの件は,昨年4月から障害者差別解消法が施行されたことを踏まえて議論しなければならないが,そのキモはこれだと思う。私も施行前に研修を受け,昨年度はこの法律の下で部局教務委員長をつとめたので,障害のある学生から要望を受ける立場であった。実は今も別の役職でそうである。そのため,まったく他人事ではない。
この法律では,行政機関や独法や事業者は,障害者への不当な差別的取り扱いをしてはならず,「その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮を」「しなければならない」(行政機関等)か,「するように努めなければならない」(事業者)。
これをもっと具体的な局面に置き換えると,障害を持つ人が飛行機に乗りたいとか,授業を受けたいとか,逆に大学まで来られないが学習は続けたいとかの希望を出してきたときに,行政や事業者は合理的な配慮をしなければならない。しかし,負担が過重な時はできなくてもやむを得ない。そして,この境目はかなりのところケース・バイ・ケースになるので,誠実に応対して話し合わねばならないのだ。肝心なのはここの趣旨であり,私の理解では「門前払いが禁止される」ということだ。「車いすではこの教室には入れません。はい,終わり」という対応は完全に禁止される。行政や大学や事業者は,必ず事情を聴き,状況に即してできることを考え,どこまでできるかについて話し合わねばならないのだ。
もちろんできないこともある。例えば大学の場合,難聴の学生が多数いた場合に,全員に手話による授業補助の保障ができるかというと,予算的に難しいだろう。では,ノート補助の学生ボランティアの組織化ならどうか。講義資料をなるべく文字化してもらうように先生方にお願いすることならどうか。どれならできて,どれならできないかを考えねばならない。
バニラ・エアの件は,個別にはいろいろ問題をこじれさせる事情があったため(往路で行った対応を復路でダメとしたなど)色々な議論を呼んでいるが,おおもとのところで問題なのは「関空-奄美線では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には搭乗をお断りしていた」というところ,それから現場で乗れない,乗れないという対応としたことだ。アシストストレッチャーという器具を導入すれば乗れるという社会的条件がすでに整っているもとでは,それがないから乗れないというのでは門前払いに近くなってしまう。器具を導入するまでは,何らかの形で乗れるようにすることを考えるのが合理的配慮義務となる。車いすの人がチェックインカウンターにやってきた場合は,どうやったら乗れるかを考えねばならない。階段に座って腕で体を持ち上げながら乗ることが当人の精神的・肉体的負担でない場合は,服を汚さないようにしつつそれでもかまわないと思うが,それが尊厳にかかわると当人が思う場合は,さらに別な手を考える必要がある(今回の場合は,往路との整合性を優先して,車いすを担いで乗ることを認めるべきだったのではないか)。
結果としてどうなるかわからないし,どうしても摩擦になることはあるだろう。それはやむを得ないと思う。ただ唯一,「門前払い」だけはしてはならない。あらかじめ,過大な負担にならない範囲でのバリアフリー化に努力する義務があり,また,その場その場では具体的状況に応じてできること,できないことを詰めることは義務になるのだ。結果がどうなったかも大事だが,門前払いしないことがコンプライアンスになるのだ。
負担とのバランスを考えながら,各分野のマネジメントに合理的配慮の観点を組み込むこと,あらゆる窓口では,丁寧な説明と応対,相談ができるようにすること。門前払いだけはしないこと。これが,この法律が日本社会に突き付けた課題なのだと,私は思う。今後,私や,私のいる職場が学生にいつも適切な応対ができるかどうかわからないが,とにかくこのような判断の下で仕事をしようと思う。
乙武洋匡「バニラ・エアが燃えている。しかし、木島さんも燃えている。」Huffington Post, 2017年6月29日。
http://www.huffingtonpost.jp/hirotada-ototake/post_15315_b_17326010.html
「渦中の木島英登氏 バニラ・エアをめぐる騒動を語る「想定外」」2017年6月30日。
http://news.livedoor.com/article/detail/13274953/
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