アトキンソンさんは,生産性向上についてはいいことも言っていると思う。しかし,デフレについてはおかしい。供給側改革についてはいいのだが,供給増と需要増を混同していると思う。
生産性の低い企業が徐々に淘汰されて,社会全体の生産性は伸びるだろう。それを妨げるべきではない。それは彼の言うとおり。この文章の続編(※)で彼が言っているように,国際的に低すぎて最低生活を保障できないような最低賃金を引き上げて,その最賃が払えないような企業が淘汰されるのが合理的というのも,一定条件付きでそのとおり。一定条件というのは,1)下請けいじめをなくして中小零細企業に正当な報酬が払われるようにする政策を同時に発動することと,2)日本社会の安定に寄与している自営業的中小零細企業に対する圧力が過大にならないことだ。ざっくり言って,彼のいう最賃1313円は無茶だ。好況期に段階的に引き上げて1000円だろう(以前より冨山和彦さんも1000円への引き上げを主張されており,賛成だ)。
一方,彼の主張で根拠がないのは,「十分に企業数と供給量を減らさないと供給過剰となり、過当競争になって、デフレに拍車をかける結果になる」というところ。生産性が低い企業が自然に競争で淘汰され,生産性が高い企業が生き残った場合,生産能力=潜在GDPは減るとは限らない。大規模な恐慌で過剰能力が一気に淘汰されるなら減るだろうが,そうでない平常時の淘汰では,むしろ増える可能性の方が高い。増えてしまったら,需要のあり方次第ではGDPギャップ(潜在GDPマイナス現実のGDP)は大きくなり,失業や遊休設備が発生する。
生産性の高まりは,それだけではデフレ克服に結び付かない。所得が増えてデフレ不況でもなくなるためには,供給とともに需要も増えなければならない。
それは,民間だけの話で言えば,生産性向上のあり方に依存する。企業がもっぱらプロセスイノベーションで労働者を減らし,同じ財・サービスを低コストで作った場合,雇用は減るだろう。すると供給増,需要減になりデフレ不況になる危険性の方が高い(小泉構造改革の時の状態)。他方,企業が労働者は減らさずにコストを下げ,それで価格が低下しても消費者が喜んで買って価格タームの需要が増える場合,あるいは企業がプロダクトイノベーションで新製品を生み出し,それを高く買ってもらうという形で(付加価値)生産性を上げ,それを消費者が喜んで買い,所得を貯蓄より消費に回すようになる,という場合は供給増,需要増でめでたしめでたしだ。どちらになるかは,生産性を上げる方式と,それに対する消費者の反応による。
生産性が上がると日本経済の長期的な成長の天井は上がる。それは意味がある。しかし,同時に需要が増えないとかえって失業者や遊休設備が増え,不況になるのだ。
企業のプロダクトイノベーションが出尽くしても,生産性向上でもちあがった潜在GDPに対して需要が不足して失業が増える場合は,政府の金融・財政政策の出番であろう。
デービッド・アトキンソン「「日本企業は今の半分に減るべきだ」デービッド・アトキンソン大胆提言」Newsweek,2018年2月3日。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2018/03/post-9656_1.php
デービッド・アトキンソン「「低すぎる最低賃金」が日本の諸悪の根源だ」東洋経済オンライン,2018年3月2日。
http://toyokeizai.net/articles/-/210482
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