「私も経済学部出身ですから,主流派経済学の理論的価値を否定する気はさらさらありません。しかし,現場や産業を研究する実証社会科学者の立場からすれば,産業を捨象してもらっては困るのです。
このことについてはあれこれ考えましたが,結果的には,全く新しい産業論を提示するなどということではなく,むしろ産業が産業として分析されていたスミス,リカード,マルクスなどの古典派経済学に立ち戻り,そこから考え直すことにしました。私自身,予想外の展開でしたが,この本はそのような学問的立場でも書かれています。」(211ページより)
私なりに極端かつ乱暴に単純化して理解すると,藤本隆宏教授の経済学は「情報価値説」であり,リカード&マルクスの労働価値説で取り上げられる抽象的な労働を「設計情報の創造と転写」に変えたものである。設計情報の創造と転写が鍵であり,パフォーマンスを測る尺度としては,その正確度や速度や密度が問題である。設計能力が具体化された組織能力の賦存と,それと製品・工程アーキテクチャ(設計情報における構造と機能の関係)の相性により,一国の比較優位・比較劣位産業が決定される。生産性の高低が設計情報の転写速度や密度を左右するので,比較優位構造の決定因となる。この点で,貿易論の発想はヘクシャー・オリーンよりもリカードに近い。
情報は,なにがしかの媒体に乗っからねばならない。媒体によって,情報を書き込みやすいものとそうでないものがある。例えば,メモリに書き込むよりも鉄板を変形させる方が労力がかかる。媒体なしに情報創造・転写はできない。生産活動の本質は情報の創造と転写という「実践」だが,その前提は媒体の「存在」である。その意味でこの説は哲学的には実践的唯物論であり,情報がすべてでモノはどうでもいい,モノの制約など考えなくてよいという観念的な議論ではない。
労働価値説は,価値と価格の二重の関係など,理論的弱点,あるいは実践的使いにくさを持っていた。情報価値説も,それが価格体系にどう反映されて,マクロの均衡はどうなると尋ねられれば同じであろう(そのことなしにどうするという経済学者は,たぶんこの説に関心を持たない。それはやむを得ない)。
しかし,情報価値説の核心はマクロ経済を整合的に論じ切ることにはない。広義の生産(サービスを含むオペレーションと言ってもよい)の現場(※)の有様が,経済のパフォーマンスを究極的に決めているというベクトルの所在と向きにある。経済のパフォーマンスを論じようとすれば,結局は現場のあり方を観察しなければならないということだ。もちろん,経済全体と現場の間には様々な媒介項があるので,直結はさせられないが,関連をたどることは必要である。もう少し直接の連関が強いレベルで言えば,産業のあり方は現場のあり方に強く連動する。なぜなら,産業とは,藤本氏によれば設計情報と空間を共有する現場の集合だからである(これに対し,企業は同一資本の支配下にある設計情報の集合であるから,資本のあり方にも強く左右される)。
藤本説が産業経済の研究態度にもたらす含意は,オペレーションの現場を観察する必要性を理論のうちに包括し,現場と企業,現場と産業,企業・産業と経済のパフォーマンスを関連づける理論が必要だということだ。そして,実際に現場を観察しようということだ。
……と,私は以前から思っていたのだが,「マルクスと似ている」というとご本人が嫌がるかと思い,どこにも書かなかった。しかし,今回はご本人が堂々とスミス,リカード,マルクスが偉いと書いているので安心だ。
(※)「現場」という言葉も振り回しすぎると曖昧になり,工場が現場なのかラインが現場なのか,職長の管理単位が現場なのかわからなくなり,自説に都合よく使う議論が出てくる危険がある。これは野村正實氏が「職場」について批判したことの応用で理解できるものであり,注意する必要がある(野村正實『日本の労働研究』ミネルヴァ書房,2003年,96-101ページ)。
(※※)私はマルクス経済学の世界経済論を村岡俊三教授から学び(『世界経済論』有斐閣,1988年。『グローバリゼーションをマルクスの目で読み解く』新日本出版社,2010年)その影響のもと,リカードとマルクスは労働価値説という点に加えて比較生産費説も継承関係にあると思っているので,上記のような理解になる。マルクスには比較生産費説などない,あるいはマルクス経済学は比較生産費説を否定するものだとお考えの方は違和感を持たれるであろうが,それはまた別途議論が必要である。
2014年2月24日:facebook初稿。
同日:改行修正。文献注追加。
2014年12月31日:Google+転載。
藤本隆宏『現場主義の競争戦略 次世代への日本産業論』新潮新書,2013年。
http://www.shinchosha.co.jp/book/610549/
2014/2/24 Facebook
2014/12/31 Google+
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