2018年10月12日金曜日

企業論ベースの直接投資論と比較優位論ベースの直接投資論:ハイマー、ダニングの「所有特殊的優位性」が留保したもの A note on the theory of foreign direct investment (2013/12/10)

 スティーブン・ハイマーの多国籍企業論における「優位性」や、それを発展させたジョン・H・ダニングの「所有特殊的優位性」の概念をどのように理解すべきだろうか。実はここに、対外直接投資をミクロ的企業論から解明する方向と、マクロ的比較優位論から解明する方向の接点があると私は考えている。
 
 優位性とは元来相対的なものであり、そのことはハイマーもダニングもよく分かっている。彼らは、一方では設備技術などの有形資産、管理ノウハウなどの無形資産が、漠然とした意味で優れていることを持って優位性を規定知るようにも見えるが、実は、厳密な定義を行っている。それは、在外生産を行う企業が、進出先において、地場企業や他の国籍の企業に対して持つ優位性である。
 
 ハイマーにおいては、この所有特殊的優位性の活用が、競争の排除、事業の多様化と並ぶ直接投資の動機の一つであり、その際、リスクの問題から投資先を子会社として支配することは半ば一般的な傾向とみなされる。

 ダニングの折衷パラダイムにおいては、考察はより分析的となる。ダニングは、所有特殊的優位性を海外で活用しようとすれば、そこには直接投資とライセンシングの二つの選択肢があることを認め、どちらが選ばれるかは、別の優位性である内部化優位が存在するかどうかに左右されるという。加えて、投資先に立地優位性が必要なことは言うまでもない。所有特殊的優位性(O)、立地優位性(I)、内部化優位性(I)の組み合わせ(OLI configuration)と企業戦略よって在外生産が実現されるか、またその在り方が決まるというのが折衷パラダイムの核心である。
 
 ここで注意すべきは、所有特殊的優位性は、本国における優位性については理論的には何も語っていないということである。多国籍企業が、本国において優位性を失って海外に投資するのか、本国において優位性を持ちながらさらに海外に投資するのかは、理論的には明確にされていない。多国籍企業が、本国の本社事業と在外生産拠点を内部化するという想定からは、何らかの意味で本国でも優位性を保った事業が存続するという想定が読み取れる。しかし、本国で優位性を保つ機能と、投資先で優位性を発揮する機能が同一なのか、異なる(たとえば本国で研究開発、投資先で製造など)のかは明確ではない。ハイマー、ダニングの叙述には揺れもあるが、本国に所有特殊的優位性があり、それが投資先に移転されて同一の所有特殊的優位性になると解釈すべきではないと、私は思う。
 
 私は折衷パラダイムの中核部分しか学んでいないが、ともあれ中核部分はこのように限定的に理解すべきと思う。このパラダイム中核だけを用いても、OLIの優位性がそろい、戦略的考慮がこれを覆さない限りにおいては、在外生産が起こることは明確である。しかし、OLIの一部が欠けた場合については不明確となってくる。Iが不在の場合は比較的明確で、海外へのライセンス供与が行われるであろう。しかし、Oが不在の場合は、在外生産しても他の企業に勝てないことは明らかなので在外生産は行われないであろうが、では本国で生産を強化するかというと、それは不確定である。さらにLが不在の場合はもっとややこしい。在外生産が行われないのはやはり明らかであるが、Oがあることの意味が明らかでないのである。優位性があるから本国で生産が強化されると理解すると誤りになる。Oはあくまで、ある直接投資先の候補国で、他の国籍の企業に対して持つ優位性であり、本国で持つ優位性ではないからである。
 
 たとえて言えば、ユニクロがバングラデシュでジャケットの縫製を行うかどうかを考えるときに、OとIとL、すなわちユニクロが投資環境がよくコストの安いバングラデシュで子会社を設置して生産を行えば地場企業や欧米企業や中国、インドの企業に勝てる見通しはあるとしよう。しかし、政策や政治的安定などにより投資環境が悪化し、Lがなくなった場合を考えよう。ユニクロのOを、もともと本国でも通用する生産性や能力の高さとみるならば、国内で縫製工場を持てばよいということになるかもしれない。しかし、そう理解すべきではない。ユニクロが日本でジャケットの縫製を行った場合に優位に立つかどうかは、ハイマー、ダニングの理論の中核部分においては不確定なのである。そして、現実の状況を念頭に置くならば、ユニクロが優れた技術や管理システムを持っていても、日本でジャケット縫製をしては採算が合わず、バングラデシュで工場を建設できれば合う、ということはおおいにありそうなことだ。ここで、バングラデシュでだめなら優れた能力を使って日本で生産すればよいなどと言っては、現実的な理論にならないだろう。
 
 ハイマー、ダニングのこの不確定さは、一方に置いては彼らの理論を曖昧なものとする。優位性の理論とは、企業の理論であり、ミクロ的な企業の優位性が先に確定して、その集合として産業があり、マクロの産業経済があるという考え方である。ところが、同じ有形資産や無形資産を(経営学的に言えば組織能力や資源を)持っていても、それは進出候補の途上国では優位性になるが、本国では優位性にならないかもしれないのである。これでは、優位性、資源、能力という概念にふさわしい、実在的な価値のストックであるという強固なイメージは失われてしまう。優位性、資源、能力をせっかく蓄積しても、それは場所によって役に立ったり、立たなかったりするということになりかねない。
 
 しかし、この不確定は他方では、ハイマーやダニングの多国籍企業論がマクロ経済的な比較生産費説を否定せず、これとの接点を維持している証拠でもある。比較生産費説は、複数国における、多数部門の相対的な関係によって比較優位、劣位が決まるという考え方である。同じ生産性を持つ企業であっても、立地する国によって比較生産費は異なる。同一の生産性を持つ企業が、先進国では先進国内他部門との関係により比較劣位となり、途上国では途上国内他部門との関係で比較優位となる。だから、自由競争と自由貿易の下では、先進国で比較優位部門に属する企業には、そもそも直接投資のインセンティブがない。国内で生産して製品を輸出すればよいからだ。むしろ先進国の比較劣位部門に属する企業が途上国に向けて直接投資を行うインセンティヴを持つ。その企業は途上国では比較優位部門に属する上に、もし先進国に存在した時よりも大きく生産性を落とさずに生産できるならば、当該国の平均的な企業よりも高い生産性を持つと予想されるからである。これはつまり、ハイマー、ダニングのいう所有特殊的優位性を発揮するということだ。
 
 このように理解することで、国民的生産費格差による比較生産費を論じた村岡俊三理論とハイマー、ダニング説は接点を得る。比較優位には生産性を用いず、直接投資企業の優位性にのみ生産性を導入した小島清理論を用いても矛盾はないが、生産性を貿易と直接投資の両方の説明原理に置いた方が一貫するだろう(ただし労働価値説のあらゆる問題点を背負うことは否定しない)。
 
 しかし、これはハイマーやダニングの多国籍企業論を比較生産費説に解消できることを意味しない。仮に先進国の比較劣位部門に属する企業の途上国に対する投資に限っても、村岡理論や小島理論は企業組織の理論を欠いているため、本国に残る拠点と投資先の生産拠点が内部化される論理が解明できないからである。その上、個別企業の置かれたOLIの条件によって、比較優位構造を覆すような直接投資が個別に行われることについては説明のしようがない。これを説明しようとすれば、小島氏が行っているように独占などのより具体的で、企業のあり方に即した契機を導入する必要がある。
 
 とりあえずまとめよう。ハイマー、ダニングの所有特殊的優位性の概念は、一方では、それにより、マクロ的理論では解明できない在外生産のあり方を論じる多国籍企業の理論を可能とした。他方では、進出先における優位性を本国における優位性と同一視しない慎重さによって、企業の理論に未完結な部分を残してしまった。しかし、まさにこの慎重さによって、比較生産費によって課せられるマクロ経済的法則と企業の法則とを整合させる可能性に道を開いた。真の問題は、マクロとミクロの整合である。

2013/12/10 Facebook
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