2018年10月12日金曜日

萩原久美子『「育児休職」協約の成立』に関するノート (2013/5/14)

 萩原久美子『「育児休職」協約の成立』勁草書房,2008年について。結局,問題が複雑すぎで使えていないのですが,授業準備のためにレビューをしたことがあります。育児休業をめぐる論争が盛んになっていますが,過去に行われた社会運動の教訓も生かした方がよいと思います。本書は,育児休職の成立をめぐる前半部分と,その後,電電公社が取り組んだ女性の職域拡大をめぐる後半部分に分かれているのですが,前半部分のレビューを以下に記します。
 
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 本書は,1965年に成立した,日本における育児休業制度の最初期の事例である日本電信電話公社(電電公社)・全国電気通信労働組合(全電通)間の「育児休職」協約の労働協約化過程,その後の電電公社による女性の職域拡大政策の経過を,第一次資料分析と関係者へのインタビューを通して実証したものである。育児休職制度が提起されて協約提携に至るまでの経過と,これに関する労使それぞれの評価の変遷,全電通内のポリティクス,公社の経営政策,技術革新,電話交換手という職場集団のあり方を,実証的に跡付けている。

 著者は,日本の戦後社会において,「職場における男女平等」をめざす動きと,高度成長期における大都市を中心とした「夫は働き,妻は家事,育児」という近代家族モデルの浸透が,具体的にどのように対抗し,妥協しあいながら「育児休職」という形をとっていったのかを,実証的に明らかにしている。

 全電通による育児休職の提案は,組合内では大都市の交換手に支持された。それは,彼女らが核家族,夫が会社中心に生活する,長い通勤時間,交通ラッシュなどの事情を抱えていたからである。これらの問題が高度成長期には,2010年代の現在よりはるかにひどかったことを思い起こさねばならない。例えば,なぜ交通ラッシュが問題だったかである。それまで全電通は,子どもを持った女性が働き続けられるように,職場に託児所を設置する要求を行い,それなりに実現もしていた。ところが,電車の混雑が,子どもが押しつぶされかねないほどひどいために,職場に連れてくることはできないという声が起こっていたのである。

 他方,地方の交換手には,育児休職はそれほど支持されなかった。それは,彼女らが親族ぐるみの子育て,短い通勤時間,女性が働かないと「嫁」としての地位がかえって下がるなどの事情を抱えていたからである。地方の方が働く嫁をよしとする規範があったという,今日では意外にうつる価値観が浸透していたことを著者は明らかにしている。

 電電公社や自民党政府は、当初は全電通の要求に理解を示さなかったが、徐々に変化が生まれる。公社は、高度成長期の労働力不足に応じて、熟練を必要とする交換手を確保する必要に迫られていた。出産後も交換手が働き続けることは、公社にとっても合理的と解釈できた。また、このタイミングで「子どもは3歳まで母親がそばにいた方がよい」という考え方が浮上して、人口に膾炙するに至る。その線に沿って政府も育児休職に理解を示すようになるのである。

 全電通の育児休職は、当初,労働組合の側から,「女性が出産によって退職を余儀なくされることなく,男性と変わらずはたらき続けられるようにする」ための要求として提起されたものであった。裏返すと、育児休職は、単なる労働力不足対応として自然に生まれた制度ではないし,政府や労使が女性の家族的責任をもっぱら意識して提起したものでもなかった。「育児休業は女性に家族的責任を果たさせようとするものである」、という一面化は、それを肯定するのであれ否定するのであれ、適切ではない。育児休職の社会的役割は、労使関係や社会的コンテキストに依存するのである。
しかし,その社会的コンテキストは、特定の性別分業をよしとする価値観に引っ張られる傾向も持っていた。育児休職の実現をめざす労働組合運動と世論形成の過程で,全電通の主張は,次第に「女性が固有に持つ家族的責任をまっとうするために必要なもの」と読み替えられていった。そして、皮肉なことに,むしろその論理に電電公社や自民党政府が理解を示すことによって抵抗が弱まり,育児休職は実現していったのである。

 とはいえ、その後の電電公社の人事管理が、女性の家族的責任ばかりを強調するものになったわけではない。その後、公社は女性の職域拡大に積極的に取り組んでいく。しかし、その道もまた平坦ではなかった。しかし、とはいえ、しかし、と話をつなげざるを得ないほど、女性が働き続けられる職場をつくる道はジグザグだったのである。
(以下、本書後半の職域拡大の試みに関する分析は略)
 
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 本書からは,育児休業の社会的機能は、あらかじめ一つに決まっているのではなく,コンテキストに依存しながら決まっていくという視点を得られます。現在の論争にこれをどう生かすかが課題でしょう。
 また、現在ではまったく機能の弱まってしまった労働組合が、高度成長期に、社会の変化に対応して、組合員の多面的な生活要求のために懸命に活動していたことも記憶されるべきです。その記憶をどう生かすのかも、現代の労使関係論や人事管理論の課題でしょう。

萩原久美子『「育児休職」協約の成立』勁草書房,2008年.
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b26256.html

2013/5/14 Facebook
2016/1/5 Google+

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