2018年10月18日木曜日

満薗勇『商店街はいま必要なのか 「日本型流通」の近現代史』講談社現代新書,2015年に関するノート (2015/10/13)

 夕方,丸善で目につき,院生と議論する材料にと思って買ったところ,面白くて一気に読んでしまった。

 著者は,百貨店,通信販売,商店街,スーパー,コンビニという順にフォーカスを定めて日本の近現代流通史を概観しながら,それが利便性やサービスに重きを置く「日本型」という特性を継承していることを主張している。「フランチャイズ・システムにおける家族経営の担い手も,品質やサービスに対する高い要求水準をもつ消費者も,ともに日本型流通の歴史のなかで培われてきたものであり,日本のコンビニを,日本型流通の申し子として捉え直すことができる」(288頁)と著者は言う。歴史家として重みのある発言であり,しかも「日本型流通が消え去ってコンビニの時代になる」という通念に揺さぶりをかけるものだ。

 同時に著者は,流通史の中で消費の論理,地域の論理,労働の論理がどのようにかみ合い,また乖離してきたかを明らかにしている。さびれゆく商店街は,消費の論理と地域の論理が接点を持たないことによるものであり,そのままでコミュニティ活動に力を入れても活性化は難しいのではないか,コンビニの成長は労働へのしわ寄せとなり,消費の論理と労働の論理のバランスを崩しているのではないか,と著者は問いかける。新書の簡潔な叙述で産業と経営をトータルに把握する力量に感嘆する。

 タイトルからすると,著者は「歴史」と「地域の論理」を重視して現在の問題をとらえたかったようだが,私は個人的には「自営業の論理」の重みを感じとった。スーパーは資本主義的経営だ。しかし,もっと新しい業態に見えるコンビニは,実は自営業の論理で成り立っている。コンビニはフランチャイズ店にはっきりと家族経営を求めている。そこに作用しているのは,オーナー経営ならば効率化のインセンティブがあるという教科書的な論理だけではない。フランチャイジーの各店舗が経営を成り立たせようとすれば,営業費用の最大割合を占める人件費を節約しようとせざるを得なくなり,いきおいオーナー夫婦の長時間労働に頼らざるを得なくなるのだ。本書の著者自身も,コンビニオーナーである両親の休みなき毎日を見て育ってきた。コンビニの隆盛は,日本経済が長く保持してきた自営業の論理の終わりを意味するのではなく,それを,フランチャイズという形で巨大資本と結び付けて,新しい形で作動させるものだったのだ。

満薗勇『商店街はいま必要なのか 「日本型流通」の近現代史』講談社現代新書,2015年。


2015/10/13 Facebook
2016/1/6 Google+


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