2018年10月11日木曜日

リフレーション政策に関するノート A Note on reflation policy (2013/4/5)

アベノミクスは金融緩和、機動的な財政拡張、成長戦略を柱としているが、いまのところ大々的に実施されているのは黒田総裁・岩田副総裁が率いる日本銀行に要請した上での大々的な金融緩和である。いわゆるリフレーション政策・インフレターゲティング政策が現実のものとなったのである。
 
 私はマクロ経済学に弱いが、何も考えないわけにもいかないのでノートを書いておく。
 
1.リフレ論の命題は必ず妥当するか
 
 リフレ政策論の最大公約数的理解は、「通貨供給量の膨張は景気回復の有力な手段である」というものだろう。しかし、ここから先は色々なバリエーションがあり、どれくらいリジッドな主張をするかは人によって異なる。もっともリジッドな意見は以下のようなことが確実に起こる、それが経済学の法則だと主張する。
a.通貨供給量の調節こそが景気に関与する唯一の有効な手段であり、財政政策は役に立たない。
b.貯蓄は利子率に反応して増減する。
c.投資は利子率に反応して増減する。
d.インフレ期待があれば企業は債務者利得を想定して借り入れを増やし、消費者は貯蓄して将来消費するよりも今の時点で消費を増やす。
 
 aは裁量的財政政策は合理的期待によって無効にされるというフリードマンの主張をベースにしている。現在のマクロ経済学では主流の意見らしいが、正直、合理的期待形成仮説は、仮説としてはわかっても現実にはまるでありそうには思えない。しかし、これを議論すると空中戦に入るので、いったんわきにおく。
 
 bやcやdは、他の条件を一切無視すれば理屈としては理解できるが、他の条件が加わってもこうだと言い切れるとは思えない。そもそもbとcは現実に日本でそうなっていないことを考える必要がある。

 bについて。貯蓄金利がずるずるさがっても、不況の下で防衛的に貯蓄を増やそうとする人が多い。

 cについて。貸出金利が引き下げられても、事業の見通しが好転する期待が持てないのでお金を借り入れず、投資をしない企業が山ほどある。だからこそ、日銀から出てきたお金が市中に回らず、銀行が国債を買うことによって日銀に戻るか、政府支出の裏付けになるにとどまってしまうのではないか。これは理屈では「たこの紐」理論と呼ばれている。紐を引っ張ってたこを制御することはできるが、押して制御することはできない。金融もそうなのだという主張で、こちらが現実的と思う。

 少なくとも現実との関係では、bやcが必ず実現するという前提で政策を立てることはできないと思う。
 
 dは、そうなる可能性も合理的に推論できる。しかし、これも他の要因のかく乱でそうならない可能性もあるとしか言えない。期待がこう動くからこうなるだろうというのは、bやc以上に心理的な問題であるから、経済理論から必ずこうなるとはb、c以上に言えないはずである。とりわけ不安なのは、「物価だけ上がって不況のままというスタグフレーションになるんじゃないか」という期待が醸成されてしまうと、結局企業は投資を絞り、消費者は消費を絞る結果になってしまわないかということである。
 
 私は経済学者でありながら現代の経済理論に疎い。しかし、a、b、cが理論的に強固だということは一応知っている。だから、そう主張したいのはわかる。しかし、現実がそれに反しているのではないか。
 
2.投資は不確実なものだ
  私は、マクロ経済学は何も役に立たないと言いたいのではない。この状況は、a命題につながるような現代のマクロ経済学よりも、ケインズ『一般理論』原典の方が相対的に正しいことを示すのではないかと言いたいのである。とくに問題は投資のところである。

 『一般理論』では、企業が投資をするかどうかは、利子率と資本の限界効率(=期待利潤率)のどちらが高いかで決まる。期待利潤率が一定である限り、利子率が下がれば投資が増える可能性が高まる。これは確かである。しかし、期待利潤率自体がどう決まるかというと、これは不確実だとケインズは述べている。期待利潤率は株価によって企業が評価されることで表現される。ところが株価決定が不確実である。投資家は、「美人コンテストで誰が優勝するかを当てたら賞金が出る」状態に置かれた投票者のようなものである。自分が誰を美人と思うかではなく、みんなが誰を美人と思うかを推測して投票をする。全員がそうすれば、誰が美人かを最初に考えた人はいなくなり、美人の基準は一体何なのかがわからなくなる。株式投資も同じなのである。「きっと他の人もこの株を買うだろう」という、からみあった意思の中でしか投資は行われず、株価は決まらないのである。こういう状態のもとでの投資となると、ある程度はアニマル・スピリットに委ねるしかない。訳が正しい限り、『一般理論』にはこう書いてあるとしか私には思えない。

 ここにはケインズの諧謔が入りすぎかもしれないし、話を株式市場に集中しすぎている。しかし、財・サービス市場での経営者の意思決定を考えるとしても、期待利潤率は、新技術のトレンド、世界経済のトレンド、政策の見通し、金融機関の態度、株式投資家の不安定な心理、金融機関と産業企業経営者が横並び体質かそうでないか、などによってふらふらと揺れ動くものだろう。例えば、日本の経済人の感覚からすると、次の新技術、新成長産業はこうなりそうだ、ここで投資してがんばらなきゃ、というのが見えているかどうかが一番大きいと思う。ともあれ利子率が下がれば、その分だけ必ず投資は増えるにちがいない、などとはとても考えられない。

 この不確実性のもとで、日本経済では経営者の期待も金融機関の期待も沈滞しまくっている。そこから、いわゆる実物経済のレベルでのデフレ・ギャップが生じていると考えるべきだ。その点ではリフレ論よりも、白川元総裁の方が理屈としては正しいと私は思う。
 
3.金融緩和は希望の見える成長戦略とセットになってのみ成功する。成功しても失敗しても劇薬である
 以上のことから、私は金融緩和「のみ」で景気が回復するとはまったく思わない。景気回復は、期待利潤率を引き上げ、需要を喚起することに、政府・経済界・企業が成功するかどうかにかかっている。金融緩和がそれとセットになれば成功する確率は高くなる。一方の利子率を引き下げるだけでなく、他方の、不確実な期待利潤率を引き上げることが必要なのである。
 
 その意味では、アベノミクスが金融緩和「のみ」が有効とするリジッドなリフレーション論を採用せず、機動的な財政拡張、成長戦略も柱としていることは、それ自体は正しい。ただ、問題は、その中身が金融緩和に比べると一向にはっきりしないことである。さすがに、物価だけ上がって賃金が上がらなかったら不況は終わらず消費者は自民党を恨むことはわかり切っているので、賃上げの必要性には言及し始めた。それは目の前の課題として必要である。しかし、政策の見通し方としては底が浅い。
 
 政府は総需要を直接にもそこそこ調整できるが、過去20年間、公共事業は財政赤字の深刻化に終わっている。東日本大震災からの復興には財政動員が当然必要であるが、それを未来の産業への投資、安定した暮らしからの消費支出に弾みがつくような形でできるかどうかが問題である。
 
 また、根本的には企業の投資と家計の消費のあり方によって需要は決まるのであり、政府ができるのはそれを間接的に支援し、おかしな動きを抑制して整合的な動きに誘導することである。例えば、グローバル競争の最先端分野では、イノベーションの気配がない既存大企業を救済することではなく、新製品・新サービスを生み出すベンチャーにお金が回るエクイティ投資の仕組みが必要だろう。一方、生活密着のローカル産業では、起業し、経営しやすくするための、債務の個人保証の廃止(とそれを代替して金融機関の貸出行動を後押しする制度)などが必要であろう。特に被災地では。
 
 企業が単にコスト削減のために中高年の給与を削減して非正規を増やし、誰もが意気消沈するような状況を是正する制度改革も必要ではないか。例えば、年功序列を是正して企業の労働コストを下げると同時に同一価値労働同一賃金の法規制を強めて女性・非正規差別をなくす。あわせて右肩上がり賃金カーブがなく、平均年収が下がっても暮らせるように育児や教育の自己負担を下げて社会化すべきではないか。
 
 私が述べている政策の中身は居酒屋談義のレベルを出ないとして、言わんとすることは、金融緩和は成長戦略とセットになってのみ成功するということであり、その成長戦略は、企業が経営に、家計が生活に希望を持って投資と消費をできる方向を示唆し、動きやすくするものでなければならないということである。成長戦略の中身が問題なのである。
 
 ただやっかいなのは、このセットは成功しても失敗しても劇薬になるということである。
 
 第1に、成功して好況になった場合である。景気もよくなるが、インフレーションが加速するおそれがある。日銀がお金をジャブジャブと供給しようとしている以上、いったん需要が伸び始めると物価も急速に上がる。そこで引き締めができるかどうか。
 
 第2に、中途半端に成功して株式や金融商品の価格はは上がるが物価は上がらないという事態になった場合である。とくに土地と住宅価格が上がるだけで、住むに住めないという無意味な事態が起こると困る。東京でも困るし、被災地ではもっと困る。資産格差もひどくなる。
 
 第3に、これまでと同じで、お金をいくら流しても、企業は借りず、銀行が国債を運用して終わるという事態である。銀行は、貸し出し審査の必要もなく楽をしながらちょこちょこ稼ぐ。日銀が国債を買いまくってもすぐにお金は日銀に戻って来るか、政府の支出にまわり、たいした効果が上がらない。そしていずれ財政が破たんし、国債価格は下落、円は安すぎるほどに下がる。
 
 沈滞しすぎるほど沈滞した日本経済に劇薬が必要なことは、私は否定しない。しかし、劇薬は劇薬であり、リスクがあることは踏まえておかねばならない。「リフレでうまくいく」という夢に心を奪われてはならない。リスクを踏まえ、成長戦略の中身をきっちり議論する時であると思う。
 
 マクロ経済学の理解について誤りが予想されるので、専門家のご指摘を乞う。
 
4月5日初稿。
4月7日字句修正。

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