2018年10月12日金曜日

ロナルド・コース&王寧(栗原百代訳)『中国共産党と資本主義』に関するノート A Note on R.H.Coase and N. Wang, "How China Became Capitalist?" (2016/1/6)

 やっと邦訳を読み終えた。前半が改革史の叙述で,後半が理論的総括になっている。個々の事実についても,農業の請負制の起源について通説と異なる見解を提示しているなどの特徴はあるが,どちらかというと改革・開放全体をとらえる理論的視点にこの本の独自性があると思う。

 恥ずかしながら,私はこれまでコースの著作を『企業・市場・法』しか読んでいなかった。「企業の本質」(企業理論の基礎)と「社会的費用の問題」(コースの定理)は,自分自身ではコースにやや反発するつもりで,制度の面を重視して理解していた。たとえば,コースの定理をその対偶で,つまり「権利・義務が確定していなければ社会的費用の問題は当事者の自発的交渉では解決できない」ととらえていた。たいていの教科書には「権利・義務が確定していれば社会的費用の問題は当事者の自発的交渉で解決できる」という市場経済の機能に信頼する側面が強調されており,それゆえコース本人もそうなのであろう,つまり自由放任でたいていのことはうまくいくと主張するという意味でのシカゴ学派なのであろうと思い込んでいた。しかし,少なくとも今日のコースはそうではないということを本書で知り,衝撃を受けた。私がとくに感銘を受けたコース・王の理論的視点は以下の通り。

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1.目的として意識していることと,実際に行っていることとは,ずれることがあるという視点。「市場経済は効率的だから市場経済を実現しよう」と意識し,唱えたからそれが実現できたのではない。中国共産党内でそう主張したらいくら何でも政治的に反対されて,改革は実現できなかっただろう。中国共産党の指導者たちは社会主義を守ろうと意識していたが,トウ小平と陳雲を先頭に,毛沢東時代の反省を踏まえて,現実から提起される問題にプラグマティックに対応していった。その結果,社会主義を守ろうと意識しながら資本主義を実現するという結果になった。

2.上記の観点から見た改革史への視点。共産党の政府は,改革を主導して成功させたのではない。現に1980年代の国有企業改革は成功しなかった。草の根の改革,「辺境革命」が広がり,やがて公認されて定着していったとみるべきである。農業の請負制はそのようなものであった。

3.市場経済の機能の仕方は制度に依存する。その中心は所有権の保障であるが,それだけではなく,もっと様々なものに依存するという,強い制度派的視点。「市場経済は制度的空白状態では機能しない。価格制度が,その下で機能する広義の制度的背景と分けて吟味されるとき,国家,法律,社会規範,道徳律といったすべての非市場的制度は外にあると考えられ,市場の機能から切り離されてしまう。だがこれはとんでもない誤りだ。」「一つの社会で一つの時代に社会的事実として通用していること,たとえば取引先には誠実に対応するとか,ビジネスの契約はたいがい尊重されるといったことは,別の社会の別の時代にはそうでないかもしれない」(本書邦訳,351-352ページ)。制度の違いにより様々な資本主義があるのだ。
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 本書は中国の改革では「行為の意図せざる結果」が生じたことを含蓄をもって考察している。これは,「正しい理論を唱えるから正しい政策が実行できる」と思い込みがちな経済学者,また多くの人のノーマルな思考法に対する警告である。これが近代社会にまとわりつく問題であるらしいことについては,長谷正人『悪循環の現象学』ハーベスト出版,1991年と,沼上幹『行為の経営学:経営学における意図せざる結果の探究』白桃書房,2000年,中西洋『日本における「社会政策」・「労働問題」研究』東京大学出版会,1979年が参考になる(が,整理できるほど学んでない)。

 本書は,事実関係の詳しい分析は1990年代半ばくらいまでにとどめている。そして,1990年代半ばの現代企業制度以後になると,このような草の根改革の普及と公認という論理で現実を分析できるのかどうかには疑問もある。しかし,それは本書の達成点を踏まえた上での次の課題であろう。

 まったく個人的に衝撃だったのは,温家宝前総理が『国富論』と『道徳感情論』の愛読者だと初めて知ったことだ。コース・王が書いている通り,「30年前ならば,社会主義国の指導者が,アダム・スミスという現代資本主義の知の源流を読み,まして称賛することなどは考えられないことだった。毛沢東の死から32年後の中国にアダム・スミスが指針となる人物として登場したことは,きわめて興味深い」(本書邦訳357ページ)。

 同時に,驚いたのは,コース・王がそのことの積極的意義を説いていることだ。コース・王が温家宝に触れながら,『国富論』の論理だけでなく,『道徳感情論』の論理も市場経済の成り立ちを理解する上で必要だと述べていることだ。コースが市場経済を最終的に信頼していることはもちろんだが,所有権を設定し,あとは市場に任せろという類の政策論からははるかに離れた地点に立っていることは明らかだ。取引費用経済学は,創始者に倣って,そのように発展させられるべきではないか,という問題がここにある。

 しかし,これ以上は言うまい。もう一つ深刻な打撃を受けたからだ。「西側諸国の何人の政治指導者が『道徳感情論』を読んでいるだろう。温家宝は機会があれば,実業家,作家,大学生,一般大衆に『道徳感情論』を勧めてきた」(本書邦訳358ページ)。……すみません,私も途中までしか読んでいません。がんばって読んでからもう少し考えます。

2013年5月6日初稿。同日,「行為の意図せざる結果」についてコース&王の見解要約とコメントが混じっていた部分を分離して整理。
2014年9月28日誤字修正。
2014年10月1日誤字修正。

2013/5/6 Facebook
2016/1/6 Google+

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