昨日(2015/7/9)書いたノート「サイアム・ユナイテッド・スチール(SUS)をめぐる企業間の競争と協調」に書いた,TTPの創始者が西山弥太郎の友人という話は本当なのだろうか。彼は本当に日本の軍人だったのだろうか。私は手がかりを探そうとした。
まずは,自分で「タイの鉄鋼業」に記したTTPの最大株主の名前でGoogle検索する。何も引っかからない。スペルを間違えたのだ。これでは話にならない。しかし,あれこれやっているうちに,TTPの2006年時点での社長の名前が蔡英機であることがわかる。2006年にJFEスチールが出したTTPの新ブリキめっきライン完成に関するニュースリリースに掲載されていたからだ。華人系のオーナーであることはまちがいない。
次に,西山の伝記をあたってみることにした。『鉄鋼巨人伝 西山彌太郎』(鉄鋼新聞社,1971年)はもっとも詳しい伝記だが,該当する記述はない。もうひとつの西山記念事業会編『西山彌太郎追悼集』追悼集を見ると,タイのGSスチール社長,1917年生まれの蔡錦松という人物が文章を寄せている。同じ「蔡」だ。アジア系外国人唯一の寄稿者だ。タイ名は記されていない。日本語を自ら使えるらしい。というのは,同じ本にインドの経済人が寄せた文章は,もともとの英語がわざわざ併記されているのに,蔡の文章は日本語だけだからだ。しかし,TTPのことは書かれておらず,「縁あって,タイ国に川鉄製品を輸入するようになって」とある。また,「タイ国で,建材の輸入から始めて,今日,製鋼の事業に手を拡げてきた」ともある。
おそらくこの蔡錦松と2000年代の蔡英機社長は同一ファミリーだと思うが,まだはっきりしない。そこでネットを「蔡錦松 泰国」で検索すると,張嘉倫「泰國曼谷華人的台彎意識」という論文の中に蔡錦松の名が,1946年に泰国台湾同郷会をつくった人物の一人として記されている。また,例によってよく読めないが(おい),日中戦争後,日本兵であった台湾人がタイにとどまり,日本関係の仕事に就いたとも書かれている。
もし結構な有名人ならば,人物事典に載っているかもしれない。可児弘明ほか編『華僑・華人事典』(弘文堂,2002年)を引く。載っていない。タイ名の英語表記がわからないと引きにくいことに気が付き,もう一度ネット検索する。JFEスチールの別のニュースリリースが見つかる。Chayanon Visvapolboonだ。彼がおそらく蔡英機だ。
Visvapolboonで事典を引くが,見つからない。しかし,今度はVisvapolboonでネット検索すればよいのだと気が付く。やってみると,どうも先代の社長はChamni Visvapolboonであったらしい(「タイの鉄鋼業」でもChamniという名前は突き止めていた)。そして,TTPとGS Steel両方の社長であったようだ。またGS Steelは三菱商事が出資していることもわかる。
英語表記がわかれば,Brooker Group, Thai Business Groups, 5th editionという本も使える。財閥のダイレクトリだ。引いてみるが,載っていない。それほど大きなファミリービジネスではないのか。
残った資料は,戸田弘元『アジアの鉄鋼業』(アジア経済研究所,1970年)だけだ。TTPのところに創業者のことが書かれていないのは覚えているが,GS Steelのところをめくってみると,「日・タイ合弁の,タイ初の本格的鉄鋼会社」とある。電炉ベースの製鋼圧延企業だ。社長はChamniVisavapholbulとある。英文表記が少し違うが,これが蔡錦松であり,前述のChamniと同一人物とみてよいだろう。
2時間弱で研究室,附属図書館書庫,経済学部図書室,ネット検索で分かったのはここまでだった。Visvapolboonファミリー=蔡ファミリーであり,Chamni Visvapolboon=蔡錦松,Chayonan Visvapolboon=蔡英機であり,Chamniはまず日タイ合弁企業のGS Steelを経営し,続いてタイ資本のTTPを設立したのだ。Chamni=蔡錦松はおそらくアジア太平洋戦争直後のタイにおける台湾系華僑のリーダーの一人であり,そして西山彌太郎と何らかのつながりがあったのだ。だが,蔡錦松が日本の軍人であったのかどうかはわからなかった。
私のように,あちらこちらの地域を英語と日本語で研究する産業論研究者でも,ここまではすぐできる(一言だけ言いたいが,この程度のこともやらない研究者もいるのは驚異だ)。しかし,ここまでしかできない。蔡錦松にとっては,きっと母語は中国語であり,第2の言葉は日本語であり,第3の言葉はタイ語だったのであろう。彼を理解するには中国語やタイ語の資料に当たらなければならない。それは地域研究者の領域だ。
しかし,産業というものの姿を,不完全な市場としての産業組織だけでなく,技術や経営や文化や歴史を含めて理解すべきだとすれば,どうだろう。産業論とはそういうものだとすれば,もとより学際的研究としてしか成立しえないことになる。その意味では地域研究とも軌を一にしている。だとすれば,地域研究者の領域に踏み込まなければ,真実はわからないのではないかという疑問が生じる。
では,どうしたら多くの地域の言語や歴史を一人で理解できるというのか。こうして結局,いつも不完全なままに,いろいろな地域に手を出し,薄く広く調べて終わるしかないのだろうか。埋もれさせてはならないことは,たくさんあるというのに。
サイアム・ユナイテッド・スチール(SUS)をめぐる企業間の競争と協調 -タイ鉄鋼業断章-
2015/7/10 Facebook
2016/1/6 Google+
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