1990年代に,日本の鉄鋼業界はタイに2社の冷間圧延を行う合弁企業を設立した。1社は,NKK(現JFEスチール)がサハビリヤ財閥と合弁で建設した純民間ベースの事業であるタイ・コールド・ロールド・スチール・シート(TCR)。もう1社は,民間事業とタイへの技術協力を兼ねて,新日鉄,住友金属(現在は合併して新日鉄住金),川崎製鉄(現JFEスチール),神戸製鋼が出資し,タイ側パートナーに王室財産管理局の主要企業サイアム・セメントを迎えた,サイアム・ユナイテッド・スチール(SUS)であった。その上,おそらく新日鉄が誘ったのだろうが,SUSにはPOSCOまで出資していた。SUSは技術協力政策の一環とされ,国際協力銀行(JBIC)からの融資も受けることができた。
新日鉄ほかの日本連合は,NKKにも声がけはしたそうだ。ここで意見は二つに分かれる。NKKは以前からサハビリアとの提携を模索しており,SUSは,初めからオールジャパンになるはずはなかったという説もある。つまり,新日鉄は,自らイニシアチブを取りやすいSUSを,オールジャパンという正当性を演出しながら設立したというのだ。しかし,サハビリアは当初イタリアのイルバと組んでおり,NKKと組むようになったのはかなり後のことだ,NKKにはSUS参加の選択肢もあったが,あえてそうせずに独自路線を歩んだという説もある。その真相は私にはわからない。
結果として,アジア金融危機以後にサイアム・セメントがSUSから撤退したために,SUSは日泰技術協力の象徴という性格を弱め,普通の外資企業になって行った。そのため,SUSとTCRの政治的な非対称性は,それほど目立つことはなかった。
日本側株主の中で,多数を出資する新日鉄が強い利害関係を持つのは当然だったが,川崎製鉄にとってもSUSは重要であった。というのは,SUSは冷延鋼板の中でも特殊な加工を要する,ブリキ原板(TMBP)を製造したからである。TCRにはこの機能はなかった。
川鉄は,タイ最大のブリキメーカー,タイ・ティンプレート・マニュファクチャリング(TTP)と提携していた。TTPは1960年という,途上国の鉄鋼企業としては早い時期に設立された。自動車産業発展以前の,タイの最大の冷延鋼板需要産業は,缶製造業だった。タイは,ツナ缶や缶ジュースで国際競争力を持っていた。それは,アグロインダストリーを工業に結び付けた,タイのNAIC型工業化(末廣昭)の産物だった。
タイ語資料が読めず,裏取りできなかったので私の論文には書いていないが,タイ鉄鋼業関係者からのヒアリングによると,TTPの創設者は,川崎製鉄の元社長,西山弥太郎の友人の台湾の人であった。彼はアジア太平洋戦争中に日本の軍人としてタイに来て、そのまま残り,中国系の女性と結婚した。西山は彼を支援し,川鉄からTTPに技術を提供し,原板を供給した。1980年代以後,タイのブリキ市場が拓けて来ると,川鉄にとってTTPとの関係は,改めて重要な意味を持つようになった。川鉄は,SUS経由でTTPに原板をより効率的に供給しようとしたのだ。
SUS内で,新日鉄と川鉄は,ブリキ原板をめぐる緊張をはらんだ共存関係にあった。なぜなら,新日鉄は第2のブリキメーカー,サイアム・ティンプレート(STP)に出資していたからだ。SUSはTTPとSTPの双方にブリキ原板を供給することになった。TTPはSUSの株主にもなった。
2003年にNKKと川崎製鉄が合併してJFEスチールとなったとき,JFEは競合する2社に同時に出資することになってしまった。これが,今回解消されることになった「ねじれ」である。この時,JFEはSUSから出資を引き揚げてもおかしくはなかったが,そこまではせず,スリーピングシェアホルダーとして取締役会の決定には携わらないということになった。すぐに引き上げなかったのは,SUSからTTPへのブリキ原板供給を確保するためだったと思われる。
今回,JFEがSUSから完全撤退することになり,確かに冷延メーカーへの出資における「ねじれ」は解消される。では,SUSからTTPへの原板供給はどうなるのだろう。JFEは持ち分売却に際して,TTPへの原板供給について何らかの約束を新日鉄住金と取り交わしたかもしれない。そうでなければ,自らSUSの株主であるTPPが,新日鉄住金と単独で交渉し続けることになるだろう。
いまやPOSCOも神戸製鋼も撤退しており,SUSでの新日鉄住金の立場は圧倒的なものになっている。そして,SUSの隣には,新日鉄住金出資の自動車用亜鉛めっき鋼板メーカー,ニッポンスチール&スミキン・ガルバナイジング・タイランド(NSGT)が建設された。タイにおける冷延鋼板の最大の需要産業は,自動車産業なのだ。新日鉄住金は,需給がタイトな時には,SUSからNSGT,そしてSUSからSTPへの原板供給を優先したいという動機を持つし,出資比率だけから言えばそれも可能なはずだ。しかし,少数株主とはいえTTPは,自らへの原板供給を求めるだろう。関連会社のライバルとはいえ,STPより規模の大きいその需要を,新日鉄住金が無視することも難しいだろう。
合弁企業の出資比率も,技術選択と工程構築も,make or buyの選択も,歴史も政治も,企業間の競争と協調のツールであり,またそのあり方の表現なのだ。そうで「しかない」とは決して言わないが。
「新日鉄住金、JFEからタイ冷延事業『SUS』の株式取得」『鉄鋼新聞』2015年7月8日。
川端望「タイの鉄鋼業 -地場熱延企業の挑戦と階層的企業間分業の形成-」佐藤創編著『アジア諸国の鉄鋼業』アジア経済研究所,2008年。
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