日本において学歴主義と学歴社会はいつ,どのようにして,どのような範囲で成立したのか。それは労働社会とどうかかわっているのか。これが著者の直接の問いである。しかし,その課題に取り組む過程で見えてくるのは,むしろ,どのような範囲と低度でしか学歴主義と学歴社会が成立しなかったかということである。つまり,女性が男性と比べればほとんど学歴主義と学歴社会の対象とされず,排除され差別されてきた戦前・戦後の歴史であり,また学歴主義よりも通俗道徳によって動機づけられる自営業の世界が根強く存在し,しかし高度成長期以後,ついに衰退していく歴史である。
むろん,より立ち入って言えば色々な論点がある。たとえば,著者は第二次世界大戦以前の1920年代において男性の学歴主義は「地域的にも,また社会階層的にも,日本社会全体から見れば狭いもの」であり,「局地的」に成立したという。つまり,男性については,どちらかというと従来の天野郁夫氏らによる教育社会学の研究に比べると,著者は,学歴主義の成立速度や成立範囲は限定されると主張している。一方,女性の学歴主義は官吏制度とはほとんど,大会社とはまったく関係がなく,特定の専門職,主として教員において,「1920年代に特定的」に成立したという。従来の研究が戦前の女性の学歴主義についてまったくといってよいほど取り上げていないことを著者は批判し,この特定的にしか成立しえなかった事実を実証的に明らかにしている。本書は,この他にもいくつかの,先行研究に対する挑戦に満ちている。
ただ,現状分析家である私は,どうしても本書を現代に引き寄せて,著者の日本社会論を読み取ってしまう。著者が描く学歴主義と学歴社会の歴史的帰結として,現在の日本では格差の底辺が自営業から現代的な非正規労働者に転換し,女性は学歴社会からの排除は弱められたかわりに非正規労働者のマジョリティとされている。そして非正規労働者の割合の増大とは,扶養される存在としての主婦,低利潤でも再生産されるがゆえに家族労働者を抱え込める自営業,という形をとっていたセーフティネットが消滅することでもある。強引に要約するならば,このように読める。
もちろん,もっと歴史に内在した読み方もできる。本書は,教育社会学に近い歴史の本としても,労働社会学の本としても,現代日本社会論への歴史的洞察としても読めるのだ。もっとも,明治の任官制度や留学後の津田梅子の話になったかと思えば,著者の少年時代と沼津高専時代の話になる本書の叙述に,読者は戸惑うかもしれない。しかし,一見あちこちに飛んでいるかに見える歴史分析の一つ一つのピースが,実は大きな地図の一部分をなしていることを,一人の読み手としては強調したい。
著者は当研究科を定年退職される際に大学院特別演習で最終報告を行ったが,延々と昭和30年代の小中学生時代を語り,さらに力を込めて高専時代を語り続け,1時間を過ぎても大学での研究の話に入らずに参加者を動揺させた。そのことの文脈は,本書を読んでようやくわかった。
野村正實『学歴主義と労働社会 -高度成長と自営業の衰退がもたらしたもの-』ミネルヴァ書房,2014年。
http://www.minervashobo.co.jp/book/b184828.html
2014/12/17 Facebook
2014/12/31 Google+
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