2018年10月17日水曜日

「日本的雇用慣行」から「同一価値労働同一賃金」へ:遠藤公嗣『これからの賃金』旬報社,2014年に関するノート (2015/3/3)

2014年度企業論の資料作成にはまにあわなかった遠藤公嗣『これからの賃金』旬報社,2014年。最後の30ページくらいを放置していたが,ようやく読み終わった。この本の主張は冒頭で宣言されている通りだ。


「これからの日本の賃金には,日本で働くすべての労働者の均等処遇をめざす賃金制度が必要であること,その賃金制度は「範囲レート職務給」が中心になるはずであって,それに必要な職務評価は「同一価値労働同一賃金」の考え方で実施すべきこと,これらを私は本書で主張したい。 この主張は「日本で働くすべての労働者」の側に立った主張であって,彼ら彼女らの望ましい労働と生活のための主張であると,私は思っている。そして,その派生的な効果として,日本企業と日本経済を成長させる主張であると,私は思っている」(3ページ)。


「日本的雇用慣行」=「属人基準雇用慣行」が経済的・社会的に行き詰まり,その崩壊過程でブラック企業,低処遇の非正規労働の拡大,性差別是正の遅さ,ワーキング・プアなどの問題が発生していることは,私も授業やこれまでの投稿でも述べてきた。本書もこうした現状を直視して,職務評価による同一価値労働同一賃金,「職務基準労働慣行」による均等処遇の必要性を述べており,共感するところ大だ。


本書で新たに学んだことは,まず1990年代にアメリカから輸入され,その後日本では職能給の改革版としてそれなりに定着したかに見える「コンピテンシー基準賃金」が,いまではアメリカでまったく議論されておらず,普及もしていないということだ。これは知らなかった。著者は,十分な証拠を見つけてはいないが,論文に現れた書き口から,ホワイトカラー労働者の「一般的な特徴」や「水面下に隠れた特徴」を評価する発想が,雇用差別禁止法とみなされたのではないかと推定している。


もう一つは,自治労によって「同一価値労働同一賃金」の研究開発が行われていることだ(詳細は遠藤編著『同一価値労働同一賃金をめざす職務評価』旬報社,2013年)。具体的な観点が紹介されている。まず,職務評価をするときに,経営者がやると「責任」「知識・技能」しか設定しないが,「労働環境」「負担」も設定すべきこと,「負担」の中で「感情的負担」を設定することが,実際に女性が携わっている労働(自治労の場合は窓口業務)の正当な評価につながることなどだ。こうして職務評価によって均等処遇に向けた具体的根拠を設定しようとしているのだ。


著者の政策的主張は私にとって賛同できるものだが,歴史的に見ると,「どうして年功賃金はなかなか変わらないのか」という問題に突き当たる。私の授業はこの問題意識に沿って行われていると言ってもよい。この本自体,冒頭の主張や,出版社が旬報社であることから見て,労働運動側に「属人基準雇用慣行から職務基準雇用慣行へ」という主張をもっと普及しようという意図で書かれたものだと思う。逆に言うと,まだ普及し切っていないのだ。これは労働側だけではないだろう。はっきり労働側の遠藤氏とちがって,以前に紹介した濱口桂一郎氏の場合は,中道的な立場で職務基準慣行の妥当性を主張しているとも言えるが,その叙述からは,やはり経営側,労働側の双方から抵抗があることがうかがえる。ここが一つの考えどころだ。


それとかかわるもうひとつの問題は,賃金制度改革が社会政策全般の改革と連動する必要性だ。本書はこの点は示唆されてはいるが論じられてはいない。仮に男子正社員の視線らみると,子どもの養育費や養育労働を家計で負担する割合の大きい日本では,右肩上がり賃金がなくなっては身動きが取れない。これが年功賃金を是とする考えの根深さを規定しているように思われる。とすれば,子育て,教育の社会化を,税金が重くなるということと引き換えに実施するか,それとも男性正社員の視線がまったくの少数派になるほど日本的雇用慣行が崩壊するのを待つかでないと,この規範は変わらないかもしれない。前者を実行するのはたいへんだが,後者になるまで待っていては社会生活の崩壊を招きかねない。ここが一つ,乗り越えるべきところではないか。

旬報社 
http://www.junposha.com/book/b317159.html  
2015年3月3日:初稿

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