当研究科の卒業生が森岡孝二氏の過労死論について投稿しているのを見て、記憶がフラッシュバックしたので、忘れないうちに書いておく。時代遅れの戯言かもしれないが、記録にとどめるくらいはよいだろう。
いまは取引費用論や経営戦略論や経営史やマルクス経済学がまぜこぜの私だが、大学院生時代まではほぼマルクス経済学一本やりであった。しかも、1980年代にもなって、数理化されていない、自然言語で語るマルクス経済学であった。とはいえ、いつも同じことを考えていたわけではなく、マルクス経済学の範囲内でも何度か理論転換は経験した。院生時代、森岡孝二氏の研究を追跡していて、彼と同じように理論転換したことを覚えている。
森岡氏は1980年代前半までは独占理論の専門家であり、簡単に言うと、現代社会の現代たるゆえんは独占にある、資本主義一般とは別の独占資本主義という独自の構造があり、それに対応して一般理論も二つあると考えていた(1)(2)。しかし、有井行夫氏の批判を受けて(3)、そうではなく、資本主義の原理は原理でひとつしかないのであって、資本主義の現代的なありかたはさまざまである、独占はその形の一つに過ぎず、独占が重要な情勢で独占資本主義と言えばいいし、他の形が重要なときは「●●資本主義」と別に呼べばよいのだと考えるようになった。付け加えると、マルクス経済学は資本主義の矛盾を明らかにするものであるから、その矛盾のあり方が現代にどう表れているかを、労働や、独占や、コーポレートガバナンスや、国際化などの形態に即して論じればよいのだということだ。これは私の推測ではなく、森岡氏が自ら1988年に宣言して行った転換である(4)。
これは要するに、「現代資本主義はまず何よりも独占資本主義と呼ばねばならない」という、日本のマルクス経済学内部の「独占資本主義パラダイム」が、マルクス経済学自身によって否定されたことを意味していた。学説史上、意味のある自己改革だったと思われるが(※)、今日、あまり記憶されていないようである。
その後、森岡氏は、独占ではなく労働過程のあり方や、企業と社会の関係こそが、資本主義の現代的特徴を示すものではないかと考えるようになった。こうして、広く知られている、過労死問題の専門家、株主オンブズマン代表の森岡孝二氏が誕生する。森岡氏の活動は、「独占資本主義パラダイム」を否定したことによって生まれたのだ。
私は森岡氏と有井氏の研究を追跡していて(森岡氏にはお会いしたことはないのだが)、最終的に有井氏の見解に納得し、1989-1990年ころに2年ほど考えた挙句、森岡氏とともに、「独占資本主義パラダイム」という見解を放棄したことをよく覚えている。では、独占資本主義でないならばどんな資本主義なのか。森岡氏は労働と企業統治にそれを見出そうとした。駆け出しの院生だった私は、ここからまた混迷を続けるのだが、それはまた別の話である。
(※)この「現代はとにかく何よりも独占資本主義だ」という「独占資本主義パラダイム」は、レーニン『帝国主義論』を1910年代の世界経済分析としてではなく、一般理論として受け取ったことに由来するものであり、1970年代くらいまでは日本のマルクス経済学内部にかなりの影響を持っていたし、1980年代にもまだその残照は残っていた。私の師、金田重喜教授もこの見解を終生持ち続けた。有井氏や森岡氏は理論的探究からこのパラダイムの無理さに気が付かれたのだが、実は1980年代には現状とのずれがひどくなっていたために影響力を失ったという事情もあった。つまり、独占のもっとも重要な表れと思われていた、マークアップ方式による独占(寡占)価格が、先進国、とくにアメリカで崩れたからである。この状況を正面から受け止めて新しい理論展開を図る動きは、1990年代になってようやく伊藤誠氏などによって試みられるようになった(5)。また、レギュラシオン・アプローチがフランスから輸入されたことも、新しい動きの模索に拍車をかけた。独自の新しい展開、レギュラシオン理論、あくまで「独占資本主義パラダイム」という3者の討論も行われたことがある(6)。私も、「独占資本主義パラダイム」を放棄した後、それではアメリカ鉄鋼業において管理価格が崩壊した後には何が起こったのか、という問題意識で論文を書いたことがあった(7)(8)。
(1)森岡孝二『独占資本主義の解明』新評論、初版1979年、増補新版1987年。
(2)森岡孝二『現代資本主義分析と独占理論』青木書店、1982年。
(3)有井行夫「独占資本主義における『構造』と『歴史』」『関西大学経済論集』第33巻第2号、1983年7月。
(1)森岡孝二『独占資本主義の解明』新評論、初版1979年、増補新版1987年。
(2)森岡孝二『現代資本主義分析と独占理論』青木書店、1982年。
(3)有井行夫「独占資本主義における『構造』と『歴史』」『関西大学経済論集』第33巻第2号、1983年7月。
(4)森岡孝二「現代資本主義分析の諸前提」『経済』1988年1月号(この論文はなぜかNDL-OPACで検索できない。特集の一部として、他のタイトルのもとにくくられてしまったのかもしれない)。
(5)伊藤誠『逆流する資本主義』東洋経済新報社、1990年。
(6)北原勇・伊藤誠・山田鋭夫『現代資本主義をどう視るか』青木書店、1997年。
(7)川端望「アメリカ鉄鋼業のリストラクチャリング」(金田重喜編著『苦悩するアメリカの産業』創風社、1993年)。
(8)Nozomu Kawabata, "Technology, Management, and Industrial Relations of U.S. Integrated Steel Companies: The Process of Restructuring", Osaka City University Economic Review Vol. 30 No. 1・2, The Faculty of Economics and The Institute for Economic Research, Osaka City University, pp.53-79, January 1995.
(5)伊藤誠『逆流する資本主義』東洋経済新報社、1990年。
(6)北原勇・伊藤誠・山田鋭夫『現代資本主義をどう視るか』青木書店、1997年。
(7)川端望「アメリカ鉄鋼業のリストラクチャリング」(金田重喜編著『苦悩するアメリカの産業』創風社、1993年)。
(8)Nozomu Kawabata, "Technology, Management, and Industrial Relations of U.S. Integrated Steel Companies: The Process of Restructuring", Osaka City University Economic Review Vol. 30 No. 1・2, The Faculty of Economics and The Institute for Economic Research, Osaka City University, pp.53-79, January 1995.
2016/1/5 Google+
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