・アベノミクスの中心は「インフレターゲティングをともなう金融緩和論」であるが,物価だけ上がって賃金が上がらないと勤労者が困るという意見が沸き起こったためか,安倍首相や麻生財務相が賃上げを財界に促したりしている。自民党から共産党まで賃上げを求める妙な情勢となっている。
・財界はためらっている。企業の業績が回復しないうちに賃上げは無理だというのである。例えば宮原耕治経団連副会長(日本郵船会長)は,「賃上げは来年まで待つべきだ」と言っている(日経ビジネスオンライン,2013年2月28日)。
・これに対して,内部留保を賃上げ財源にすれば十分可能だという意見がある。かねてから日本共産党や全労連が主張していた意見だが,数年前から連合も主張している。また,旧民主党政権でも現自民党政権でも,国会答弁で,この意見を頭から撥ねつけず,考慮に値するものととらえる動きがある。そこでこれにコメントする。
・内部留保論については,実はいくつかの考えが混じっているように思う。2月14日に日本共産党が出した「働くみなさんへのアピール」を材料にしよう。複数の考えが混じっていることがよくわかる主張だからであり,他意はない。
・日本共産党や全労連のかねてからの主張は「大企業は巨額の内部留保を持っており,それを賃上げに回す余裕は十分にある」というものである。この意見自体が前半と後半に分かれる。
・まず,「大企業は巨額の内部留保を持っている」という前半部分である。「内部留保」のだれでもが同意する狭い意味は,利潤のうち株主に配当しなかった留保利益である。私は会計上の細かいことは知らないので,大まかなところだけ言うと,これは貸借対照表の上では利益剰余金として自己資本の一部分になる。ここまでは誰も争わない定義である。
・しかし,共産党が内部留保という場合は,これだけではなく資本剰余金と各種引当金等を含めている。共産党による内部留保の定義は「企業が年々のもうけをため込んだもの。各年の利益から配当を引いた部分をため込む「利益剰余金」、資本取引などでのもうけをため込む「資本剰余金」、実際には支出していないのに隠し利益としてため込む各種引当金などが含まれます」(「内部留保 雇用のため使えないのか」『しんぶん赤旗』2009年2月13日から引用)である。
・資本剰余金がなぜ内部留保になるのか。資本剰余金を単純化すれば,「株式を発行した際に額面価格以上の値がついた場合の,額面と払込価格の差額」である。これを「株式プレミアム」などともいう。実はこれについては,資本の払い込みとみるべきか株式取引からの利益とみるべきかについて研究者も論争してきた。共産党は株式プレミアムが利益だという説に立っているのである。これはこれで一つの立場である。ただし別の立場(資本説)も相当有力である。
・引当金等を内部留保とみるのは,共産党がこれを「隠し利益」とみているからである。つまり必要な引き当てはごく一部であって過大計上されているということだ。利潤を小さく見せて賃上げ財源がないかのように見せたり,税金を逃れようとしているというのである(引当期のどこまでを内部留保とみるかで,共産党や全労連と連合とでは意見が異なる)。これは実証的によく詰める必要がある。引当金がみな隠し利益だというのは会計上は無茶なので,隠し利益だと主張する方にそれを証明する責任がある。だから,実証すべきである。かつては,退職給与引当金が多すぎるとか燃料費を過大計上しているとか,実証的な追求がよく行われていたが,最近は弱いように思う。しかし,大企業が税金を払っていないという事例も確かに報告される。結論は個々の実証次第だと思う。
・次に,「賃上げに回す余裕は十分にある」という部分である。「500億円以上の内部留保をもっている約700の大企業グループについてみると、1%程度を取り崩せば、8割の企業で月額1万円の賃上げが実施でき、月額5000円以上であれば9割以上の企業で可能です」と共産党は主張する(「働くみなさんへのアピール」より引用)。この意見は,総論としてはいささか乱暴である。「隠し利益」が企業の懐に入った時点でただちに摘発し,それが使われてしまう前に吐き出させるというようなフローの論理であれば話としてはわかる。しかし,利益剰余金であれば資本剰余金であれ引当金であれ,いったんストックになってしまうと,すべては区別のない投下資本となってしまい,何らかの形で使われる。設備投資されているかもしれないし,在庫投資されているかもしれないし,金融資産に投資されているかもしれないし,現預金で存在しているかもしれない。内部留保の部分が他の部分と区別されて,どこかに現預金で溜めこまれているというようなものではないのである。よって,「内部留保が巨額だから賃上げ財源はある」という議論は,一般論としては成立しない。共産党であれ誰であれ,正しくないと私は思う。
・しかし,実は今回,共産党は一歩議論を進めて,内部留保の使われ方まで問題にしている。「内部留保が増えても、それが設備投資として工場や機械になっていけば、そこから新しい雇用も生まれ、関連企業の仕事も増え、経済に還流していきますが、そうなってはいないのです」(日本共産党「働くみなさんへのアピール」から引用)と述べている。ではどうなっているのかというと,企業の資産の側で有形固定資産・棚卸資産・ソフトウェアが減る一方,有価証券等や現預金が増えているというのである。これは検証可能である。複数の年度の貸借対照表を整理して,内部留保の積み上がり具合に対応して,資産の側で何が積み上がっているかを見ればよいのである。もっとも,株式への投資は他社の生産的投資につながっている場合もあるので一部問題はあるが,そこを差し引けば理屈は通る。
・現在の景気の問題は,一つは個人消費が裾野広く回復しないことであるし,もう一つは企業の投資が不活発なことであろう。このときに共産党は,「現下の情勢では,内部留保を有価証券や現預金として運用するくらいならば,賃上げに回して労働者の購買力を高めた方が日本経済全体にとって効果的だ」と主張しているのである。これは,共産党が言おうと誰が言おうと一理ある。このように,使途を含めて,具体的な情勢と結びつけて議論するならば,妥当性はぐっと増すと私は考える。
・もう少し考えてみると,実はここでは,誰が内部留保に対して権利を持つかが争われているのである。「会社は所有者たる株主のためにつくすべきである」という立場と「会社は,利害関係者たる従業員や,広くマクロ経済のためにもつくすべきである」という立場である。
・内部留保の主要部分である資本剰余金や利益剰余金は,自己資本なのだから,所有権上は株主のものである。そこで,前者の立場に立つならば,内部留保は株主の利益のために使われるべきと言うことになる。使い道のない現金をもっていたり,投資先がないから国債を買っているのは株主の見地から見て効率が悪いことになり,もっと有効な投資のために不採算事業の売却など事業構造を見直すか,その手立てがないならばいっそ配当しろということになる。こうしたことは,投資ファンドがしばしば要求する。しかし,後者の立場に立つと,利害関係者としての従業員のため,さらに社会的責任の見地からマクロ経済のことも経営者は考えて,内部留保の一部を賃上げに回すべきだということになる。このように,内部留保をどう使うかということについての見解の違いは,実はコーポレート・ガバナンスについての,株主統治説と利害関係者統治説の違いをあらわしているのである。当面の賃上げの是非も大切だが,この理論的含意を見逃さずに考える必要があると,私は思う。
「賃上げは来年まで待つべきです 宮原耕治・経団連副会長(日本郵船会長)に聞く」『日経ビジネス』オンライン、2013年2月28日。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130225/244169/?rt=nocnt
日本共産党「働くみなさんへのアピール 賃上げと安定した雇用の拡大で、暮らしと経済を立て直そう」2013年2月14日
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2013/02/2013214.html
「内部留保 雇用のため使えないのか」『しんぶん赤旗』2009年2月13日。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-13/2009021303_02_0.html
2013/3/2 Facebook
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